小池都知事、カイロ時代の道ならぬ恋 日本人空手家との関係証言
「4年前の原点に戻って」。ようやく出馬を決めた小池百合子都知事(67)は会見でそう語った。だが、彼女の「本当の原点」は学歴詐称疑惑の発火点たる異国での日々から政界進出するまで、にある。多くの男たちと交差し、権力に近づいた“妖婦”の履歴を辿ると――。
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ロックダウン、ステイホームに東京アラート。コロナ禍で横文字を連発し、時に都民の恐怖を煽る。
かように世間の風を読んで、支持を集めてきた小池百合子都知事だが、意外にも、大正時代に活躍したある政治家の名前をよく引き合いに出しているという。
関東大震災後に帝都復興計画を立案したことで知られる、第7代東京市長の後藤新平である。
後藤は東京市長就任から遡ること25年の1895年、陸軍検疫部に在籍。日清戦争が終わり、コレラなどの感染症が蔓延していた中国からの復員兵23万人にどう対処するか、という問題に直面していた。結果、彼らを広島の離島などに隔離。日本での感染拡大を防いだ功労者とされる。
ロックダウンをはじめとする小池氏の一連の発言は、後藤の行動が念頭にあったというわけなのだ。
その小池氏が12日、7月5日投開票の東京都知事選への立候補を表明した。
後藤は政党政治を嫌ったことでも知られる。小池氏はそこも見習ったのだろうか、無所属で出馬することを明らかにし、こんな言葉を強調した。
原点回帰――。
4年前に圧勝した都知事選では、政党の推薦をもらわなかった。その時の気持ちを思い出し、今回も都民の声に耳を傾けたい、というのである。
今回の知事選で自民系候補が出馬しない背景には、小池氏と自民党の二階幹事長との蜜月関係がある。だからこそ、自民党の推薦を受けない、という表明は驚きをもって迎えられた。
「実は二階さんは小池さんに対し、“推薦を出す”と猛プッシュしていたんです」
と、都議会関係者。
「9日に小泉純一郎元総理らと赤坂の小料理屋で会食した際、二階さんらが小池さんに電話して、“頑張れ”と激励していました。実はその翌日も二階さんはある自民党の重鎮と会食中に小池さんに電話し、“推薦は出すぞ”と念押ししていたのです。二階さんは自民党都連の反発を抑え、小池支持を表明していた。恩を売るつもりだったのでしょうけれども、小池さんはやんわりと断りを入れたのです」
与党幹事長を手玉に取る寝業師の本領発揮である。
政治解説者の篠原文也氏は小池氏についてこう語る。
「都民ファーストの会からの突き上げもあり、土壇場で自民党を含めて、どこからも推薦・支持を貰わないということになりました。一方で、小池さんとしても勝敗が見えている中で、来年の都議選を考えると、フリーハンドでいたかった、という思惑もあったでしょう」
二階氏の心中については、
「小池さんに翻弄され、結果的に肩透かしを食らったという思いはあるかもしれません。ただ、二階さんの根本戦略はどんな時も勝ち馬に乗る、ということ。小池さんに勝てる候補者が見当たらないのだから、推薦・支持をしなくても支援していくのが二階さんの考えですよ」(同)
与党幹事長を袖にしながら、関係を維持するしたたかさが滲むのだ。
そうした彼女の立ち居振る舞いは40年以上も前、「本当の原点」と言える場所でも発揮されている。
小池氏は高校卒業後、関西学院大学を1年生で中退し、通訳を目指すという触れ込みでエジプトへ留学した。遠い異国の地で過ごし、真偽はどうあれ、カイロ大学卒業という肩書を引っ提げて帰国したことが現在の彼女の礎だ。カイロ時代から1992年に政界に進出するまで、彼女はどうやって権力に近づくための足掛かりを掴んだのか。それこそが、彼女の「原点」ではないか。
当時、その若さと美貌に惹かれ、彼女を通り過ぎた男たちがいた。彼女もまたその男たちを利用した。
一人はカイロ時代に出会う日本人空手家である。
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