吉田茂は「武装すべき」と唱えていた? 前統合幕僚長が振り返る「吉田ドクトリン」

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『宰相 吉田茂』 高坂正堯

 緊急事態宣言は解除されたものの、今後の国民生活は屋内で過ごす時間が増える新しい生活スタイルに移行するだろう。これを契機に、私は読書の習慣を身につけることをお勧めしたい。

 理由は複数挙げられるが、まず、間違いなく論理思考力、つまりは考える力が身につく。読解力は、イコール論理的思考力と言ってもいい。著者の言葉と正面から向き合い、じっくり考える。そのためにも、飛ばし読みはお勧めできない。

 そして、賛否は世代で分かれるだろうが、私は書籍の紙に触れることが大事だと思っている。いまや官民を問わずペーパーレスが世の流れであり、それに異論を挟むつもりはない。しかし、敢えて経験から言わせてもらえば、指でページをめくりながら書物に親しむことは、大いなる精神の安定をもたらすはずだ。

 人間は常に決断を迫られる生き物だ。難しい判断を下さなければならない局面に立った時、私は読書による蓄積が力を発揮すると思っている。もちろん、読書習慣があるから常に正しい判断をするとは限らない。それでも、多くの人々との付き合いが自分という人間を形成していくように、書物との対話は己を磨く行為にほかならないと思うのだ。

 今年は岸信介総理による安保改定から60年となる節目の年。各地で関連企画やイベントが予定されているが、1951年に総理として旧安保条約の締結に踏み切った吉田茂の決断を知ることは、現行の日米安保の原点を知る上で不可欠だ。

 吉田は「軽武装、経済重視」という路線を進めたことでも知られる。その政策を、政治学者の永井陽之助は「吉田ドクトリン」と呼んだが、果たしてそうだろうか。答えは、京都大学教授であり国際政治学者の高坂正堯が1963年から67年にかけて執筆した文章を集めた『宰相 吉田茂』(中公クラシックス)にあった。

 高坂は本書で〈吉田茂にとって、国際関係においてもっとも重要なことは、その国が富み栄えているかどうかということであった。この、いわば商人的国際政治観は、第二次世界大戦以前から彼の行動を色づけている。だから、第九条を交渉の道具として使ったことも、彼にとって当然のことなのであった〉としている。

 当初、高坂は吉田の“商人的政治観”こそが「吉田ドクトリン」の源流だと捉えていたのである。

 しかし後年、高坂は吉田から「『経済中心主義の外交』なんてものは存在しないよ」と言われたという。

 それを受けてか、高坂は〈彼は、昭和二十五年にはダレスの再軍備を断固として拒否したが、いつまでも日本の防衛をアメリカに大きく依存しようとは思っていなかった。彼があとから、能力に応じ、必要に応じて武装すべきであると説いたことはよく知られている事実である〉と、先の認識を改めるに至っている。

 本書では、吉田が1960年代に“もっと日本人に軍事防衛の重要性を説くべきだった”と後悔していたことにも触れている。いまの政界をはじめ、官界、経済界、マスメディアは「吉田ドクトリン」の本質を理解できていない。それを改めて痛感している。

前統合幕僚長 河野克俊

週刊新潮 2020年6月25日号掲載

特集「コロナ時代に心の糧 巣ごもり『本の虫』を救った名著をひもとく」より

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