巨人、開幕3連勝の意味、気になる吉川尚の打順【柴田勲のセブンアイズ】

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 プロ野球が約3カ月遅れで開幕した。今年は「コロナ禍」によって特別なシーズンとなったが、こうして開幕にこぎつけると、つくづく良かったなと思うし、やはり胸が躍る。

 さて、注目の開幕戦。巨人は東京ドームでの阪神との3連戦を3連勝。開幕3連勝は3年ぶりで、阪神との開幕3連戦3連勝は史上初だという。

 今コラムで何度か記してきたが、今季は例年よりも試合数が少ない(120試合)。なにより重要なのはスタートダッシュだ。その意味では理想形となった。

 それにしても開幕戦の逆転勝利は実に大きな1勝となった。

 阪神の開幕投手・西勇輝は内・外角にしっかり投げ分けて巨人打線を手こずらせていた。非常に出来が良かった。しかも3回には菅野智之から先制の本塁打、同点で迎えた5回は勝ち越しの二塁打を放っていた。

 孤軍奮闘の働きで本人も手ごたえをつかんでいたはずだ。だが、阪神ベンチは6回限りで西を引っ込めて継投策に入った。

 これが誤算となった。2番手「勝利の方程式」の一角、岩崎優が吉川尚輝に一死二塁から逆転の一発を浴びた。

 西の球数は97だった。確かに開幕戦は一種独特の緊張感があるし、疲れが出始めていたのかもしれないが、まだまだ余力はあった。なによりも乗っていた。

 おそらく矢野耀大監督は最初から勝ちパターンに入った時は継投策を取ろう、こう決めていたのだと思う。阪神の中継ぎ陣は分厚い。早々に「勝利の方程式」を確立したかったのだろう。

 しかし、勝負事には「流れ」というものがある。せめてもう1回、続投させていたらどうなっていたか。交代は走者を背負ってからでもよかった。結果的に巨人に流れを渡したことになった。

 巨人にとって3連勝の分岐点となった。この試合、菅野が西に一発を浴び、さらにタイムリーも許した。どうなることかと見ていたけど、終わってみれば開幕戦勝利をモノにした。菅野にも大きい。でも一発は仕方がないにしてもタイムリーはいただけない。油断だろう。このへんは反省点だ。第2戦は7回に打線が爆発して大量点を奪って突き放した。先発の田口麗斗が5回を1失点でまとめて、まずは合格点だ。

 1点差勝利の後は大差勝ち。打線がよくつながった。丸佳浩がちょっと心配だが、坂本勇人、岡本和真が振れている。

 ことに坂本はコロナ感染で一時、戦列を離れていただけに気持ちが入っていたように思える。責任感だろう。オレがチームを引っ張る。主将としての姿勢がにじみ出ていた。

 第3戦も中盤に打線がつながった。新外国人のエンジェル・サンチェスが6回途中で降板したが、それまでは走者を背負っても粘り強く投げた。最速155キロのストレートに変化球を操って緩急をつけていた。来日初勝利で今後に弾みがついた。中継ぎ陣もしっかり仕事をした。今季は過密日程でこれまで以上の負担がかかるが、まずはいいスタートが切れた。

 打線だが、5番に亀井善行、中島宏之が入っていたけど、これからは新外国人のヘラルド・パーラを入れる手もあると思う。7番でスタメン出場したが、ブンブン振り回すタイプではない。選球眼がよさそうだし、バットコントロールも巧みだ。2戦連発したが、ヒットの延長線上にあるのが本塁打と心がけているように思える。

 確実性がある。岡本が歩かされるケースでは相手にとって脅威になる。

 第3戦では1番に吉川尚に代わって、3年目の湯浅大がスタメン出場した。吉川尚は第2戦で4打数無安打、2打席連続で三振を喫している。1番としてもう少し考えなさいということだろう。

 これからも吉川尚は欠かせない戦力だ。例えば、彼を9番に置いて1番・亀井、2番・坂本、3番・丸、4番・岡本、5番・パーラ、6番に陽岱鋼か中島、7番・捕手、8番・投手というのはどうか。チャンスで投手が凡退しても吉川尚が9番にいれば相手投手は嫌がる。投手で攻撃が切れても、次の回では吉川尚から始まる。出塁すれば、1番・亀井との連携も期待できる。

 まあ、開幕3連戦を見ながら、いろいろと考えてしまった。これもプロ野球が始まったからこそだ。

 巨人が開幕戦で球団通算6000勝を達成した。これまで1000勝ごとの節目を最速で達成してきたが、また金字塔を打ち立てた。

 実は2000勝時、私もこの節目の勝利に貢献した。あれは1965年、7月25日の中日戦(中日球場)だった。1点を追った8回一死一塁で坂東英二さんから逆転の2ランを放った。最後は8時半の男・宮田征典さんが締めた。V9スタートの年でよく覚えている。最後に何度も言うが、開幕3連勝は本当に大きい。これも開幕戦で阪神から渡された流れをしっかりとつかんで勝ったからだ。シーズン終了後、あの1勝と思い返す1勝になるかもしれない。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月23日掲載

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