「英国のラスプーチン」カミングズ「政権の中枢」への道程と目的(下)

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 ドミニク・カミングズを主人公とし、英俳優ベネディクト・カンバーバッチがその役を演じた『チャンネル4』の2019年のテレビ映画『ブレグジット EU離脱』は、「離脱投票」陣営でデータ分析や投票対策に当たった企業を「アグレゲイトIQ」社だと特定している。

 これは、カナダの政治コンサルタント会社で、英「戦略広報実験室(SCL)」や英選挙コンサルティング会社「ケンブリッジ・アナリティカ(CA)」と密接な関係を持っていた。SCLの元社員でCA設立にもかかわったクリストファー・ワイリーによると、彼がカミングズに紹介した友人の1人が、同社の関係者だったという。

温和な聞き上手

 また、「離脱投票」には別のコンサルタントもかかわっていたといわれる。英データサイエンティストのマーク・ワーナーらが2014年に設立したAI企業「ASI(先進技術イニシアチブ)データサイエンス」である。現在では、彼らが陣営の中心的な役割を果たした可能性が指摘されている。

 ASIに関する情報は多くないが、選挙支援のほか、テロ対策の広報活動などにも取り組んでいるといわれ、かかわる分野はSCLと似ている。大量の個人情報をもとにターゲット広告を打ち、人々を無意識のうちに行動に走らせるのが、彼らに共通するやり方である。

 それは、データ処理やAI関連の世界で広く共有されているノウハウであり、米大統領選当時、選対責任者だったスティーブン・バノンの手法も、英国民投票でのカミングズの手法も、そうした枠内に過ぎないのかもしれない。

 ただ、2016年の国民投票の時点で、欧州連合(EU)残留派にはそのような戦略を広範囲に構築する人物がいなかった。そこに、明暗の分かれ目があった。劣勢と伝えられていた離脱派は形勢を逆転し、国民投票で51.89%を得たのである。

 『ガーディアン』紙によると、カミングズはトラブルメーカーである一方で、温和な聞き上手でもあるという。未知の技能や新しいアイデアに耳を傾け、吸収し、役立てる。

 そうした謙虚な態度こそが、まだ評価が確立していなかったAI戦略を大胆に取り込むことにつながった。この運動を通じて、カミングズがキャンペーン専門家としての技術を磨き、経験を積み重ねたのだった。

 なお、ASIはその後、「ファクルティ」と改称し、昨年12月の英総選挙で与党「保守党」の選挙戦にもかかわって大勝利の原動力となった。保守党はこの選挙で全650議席中365議席を得たが、そのうち364議席の結果をファクルティは事前に言い当てたという。

 選挙直後、創設者マーク・ワーナーの兄弟にあたるデータサイエンティストのベン・ワーナーは官邸に採用され、カミングズの下で新型コロナ対策などにかかわった。

 また、ファクルティ社はコロナ対策関連のデータ分析で、多額の業務を英政府から受注している。これは、野党から「癒着だ」と批判を受けることにもつながっている。

低迷しつつある評価

 国民投票で勝利した後、カミングズは再びダラムの農場に引き籠った。政治活動が一段落すると晴耕雨読。まるで諸葛孔明だが、これは単に、長男を出産したばかりの妻メアリー・ウェイクフィールドが子守を命じたからだったともいわれる。いずれにせよ、カミングズは官邸に入る以外関心がなく、国民投票後に発足した穏健派のメイ政権では、その可能性はなかった。

 メイ政権はEUとの離脱協定を巡って行き詰まり、昨年7月にボリス・ジョンソンが首相に就任した。同時にカミングズは官邸に入り、スタッフを事実上統括する新設の首席特別顧問に就任した。以後の活躍ぶりは、本欄で随時伝えた通りである。

 昨年12月の総選挙で勝利を収め、彼の栄華は長続きしそうだった。しかし、今年に入って到来した新型コロナ対策のかじ取りに失敗し、さらには自らのスキャンダルも起こし、評価は低迷しつつある。

 結局、カミングズとは何者なのか。どんな理念を抱き、何をしようとしているのか。

 英国の保守党はもともと、EU離脱派と残留派の双方が共存する組織だった。しかし、ジョンソン政権になってから残留派の有力者が次々と表舞台から退き、さらに昨年の総選挙でも離脱を前面に掲げて勝利を収めたことから、反EU色が極めて強まった。現在の政権や与党は、支持者の間でも、幹部の間でも、離脱を求める強硬な意見が主流である。

 ただ、同じようにEU離脱を求めても、その先にどのような世界を思い描くかは、人によって異なる。特に、一般の大衆と、政権や与党の幹部との間で、意識の乖離は激しい。

 大衆レベルの反EU意識は、反グローバル化志向に基づいている。その背後には、古き良き英国社会への憧れや、移民への反発が横たわる。特に、「労働党」や「連合王国独立党(UKIP)」支持から近年保守党支持に鞍替えした低所得者層の間に、そうした傾向が強い。

 一方、ジョンソン政権と保守党の中枢にいる政治家や一部インテリの反EU意識は、グローバル化推進志向に基づいている。英国が貿易や金融サービスを拡大する上でEUの規制が足かせになっており、それを脱することで世界に羽ばたける、と考える。

 つまり、運転手たる政治家と乗客たる大衆は、離脱という名のバスに一緒に乗り込んだものの、それぞれ違う行き先を勝手に信じ込んでいるのである。今後、バスが進めば進むほど「行き先が違うじゃないか」と乗客たちが騒ぎ始める恐れは拭えない。

 カミングズも、政権を支える幹部として、グローバル化を推進する一群に含まれているのはいうまでもない。ただ、他の政治家たち、特に離脱強硬派の集まりである「欧州研究グループ(ERG)」のメンバーが、「英国はこれからどんどん繁栄する」といった極めて能天気な見通しに浸っているのに対し、カミングズが描く英国の将来像は逆に、英国に対する深刻な危機感に根ざしている。

 このままEUとともに歩んでも英国は没落するばかりだろう。ここで関係を断ち切り、あえて独り立ちして苦難の道を歩んでこそ、英国の将来は開けてくる――。彼の言説を総合すると、そのような悲壮な意識が浮かび上がる。

 彼が政界や議員らを軽蔑するのも、過激な公務員改革を仕掛けるのも、英国自体が機能不全に陥っており、その政治システムをいったん破壊しなければならない、と信じるからに他ならない。その意味で彼は冒険家であり、もっと踏み込むと一種の革命家かもしれない。

思い描く「エリート主導の社会」

 カミングズは、どのような英国を目指すのか。

 「今とは全く異なる英国像を、カミングズは思い描いているでしょう。もっと進取の気性に富み、もっと創造性豊かで、決意高らか、エリート主導の社会です。そのためには、英国がこの何十年もの間陥ってきた悪しき慣習を破壊し、取り払わなければならない。ブレグジットは彼にとって、終着点ではなく、そのような自らの目標を実現する手段に過ぎないのです」

 保守党政治研究の第一人者で、ロンドン大学クイーンメアリー校教授のティム・ベイルは、こう分析する。実際、数学を趣味の1つとするカミングズには理系重視の志向が強い。データを冷静に分析し、判断を下す科学的な思考こそが、英国の将来を切り開く、と考えているようである。

 ただ、それは見方を変えると、能力を備えた者だけが生き残れる厳しい世界である。弱者を切り捨てる差別的な意図を、そこに読み取る人もいる。

 キャメロン政権で政務広報官を務めたクレイグ・オリヴァーは、その回想録『ブレグジット秘録』(江口泰子訳、光文社)でカミングズに言及し、

 「カミングズ自身は否定するが、彼がブログで優生学をもてあそんでいると非難する声も多い」

 と記している。

 このように理念が先行するカミングズの存在は、首相のジョンソンにとって極めて好都合である。すでに前稿『英国「ラスプーチン」ロックダウン下の「感染旅行」が招く「政権破綻」』(6月8日)で述べたことだが、ジョンソンは首相になりたくて仕方なかった一方で、首相になって何をしたいか自分でもわかっていない人物である。ベイルはこう語る。

 「以前の首相デイヴィッド・キャメロンが大きな変化を望まなかったのに対し、ジョンソンは少なくとも何かを成し遂げてキャメロンを乗り越え、『ジョンソン主義』を歴史に刻みたいと考えている。ただ、ジョンソン自身、『ジョンソン主義』とは何なのか理解していないのですが」

 ジョンソンとキャメロンは、名門イートン校からオックスフォード大学にかけての友人である。年下ながら先に首相になったキャメロンに、ジョンソンは激しいライバル心を抱いていたといわれる。

 「問題は、ジョンソンが何の理念も、政策を方向付ける何の主義主張も、持っていないこと。だから、カミングズに頼らざるを得ない」

 主義主張に関するジョンソンの節操のなさは、国民投票で当初残留派に加わると思われながら、逡巡の末に離脱に走ったことからもうかがえる。

 状況に応じて、自分に有利な理念に相乗りする。その対象が今はカミングズなのである。逆にカミングズから見ると、ジョンソンは自らの理念通りに動いてくれるありがたい存在であるに違いない。

 カミングズはもはや、「スピンドクター」という1つの役職にとどまらない巨大な権限を握っている。首相ジョンソンとの関係は、すでに主従が逆転しているようにも見える。

 ただ、ブレグジットにコロナ禍も加わってより混迷化する英国のかじ取りが、カミングズの発想だけで可能だろうか。

 「キャンペーンを牽引する運動家として、カミングズは極めて有能です。ただ、政策を組み立てる能力はどうでしょうか。

 彼は確かに、素晴らしいスローガンを編み出し、陣営を1つの目的に集中させる術を知っていますが、それと実際の政治とは全く別の話。21世紀の複雑な経済を彼がしっかり制御できるとは、到底思えないのです」

 ジョンソン政権とカミングズが抱える危うさを、ベイルはこう指摘する。

 英国の伝統的な政治の流れから見ると、カミングズはその経歴も発想もかなりの異端である。そうした才能こそ、この難しい時代には必要なのだと、考えることもできる。

 翻って、ダラムの農場での沈思黙考から生み出され、何ら体系立っているわけでなく、考えようでは思いつきに過ぎない彼の冒険的革命的思考に、英国の将来を託していいのだろうか。十分な説明も国民の納得もないまま、そのような賭けに踏み出して、後に大きな後悔が待っていないか。

 しかも、本人は「首相首席特別顧問」という官邸の雇われに過ぎず、選挙の洗礼も議会の追及も受けることがない。

 そのような人物に動かされているのが、今の英国なのである。
 

国末憲人
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長を経て、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など多数。新著に『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)がある。

Foresight 2020年6月19日掲載

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