「英国のラスプーチン」カミングズ「政権の中枢」への道程と目的(上)

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 政治の世界には「スピンドクター」と呼ばれる人々がいる。最高権力者の最側近としてその人物のイメージやストーリーを描き、メディア操作を試みる。米ブッシュ(子)政権の大統領上級顧問カール・ローヴ、米トランプ現政権初期の大統領首席戦略官スティーブン・バノン、フランスのサルコジ政権で大統領特別顧問を務めたアンリ・ゲノらが知られる。

 英国の政治風土は、そうした役回りの人物が、ことさら影響力を持つようにできているのだろう。「労働党」ブレア政権の報道戦略局長アラスター・キャンベルや「保守党」キャメロン政権の戦略局長スティーブ・ヒルトンは、首相の厚い信頼を得て、閣僚を上回る影響力を行使した。

 政権担当者に限らず、例えば今年まで労働党党首だったジェレミ・コービンには広報戦略部長シェイマス・ミルンが寄り添い、左翼路線をひた走るその言動を取り仕切っていた。

 英首相首席特別顧問ドミニク・カミングズがジョンソン政権内で占める地位も、大雑把に見るとそのようなものだろう。ただ、その影響力は従来のスピンドクターよりもずっと大きい。

 振る舞いこそ堂々としているものの理念や政策に疎いボリス・ジョンソンに、首相としての目的と方向性を示し、それを実現させる手段も与える。「首相を操る男」「英国の怪僧ラスプーチン」と呼ばれるゆえんである。

 カミングズは、どのようにしてこの地位にたどり着いたのか。何を目論んでいるのか。彼の素顔を探ってみた。

ロシアとの特別な関係

 スピンドクターには、メディア関係出身者か政党内でキャリアを磨いた人が多い。前者には、米保守系ニュースサイト「ブライトバート」の会長だったバノン、英大衆紙『デイリー・ミラー』記者出身のキャンベル、英高級紙『ガーディアン』のコラムニストだったミルンらがいる。

 大学を中退して米「共和党」の活動家になったローヴや、仏右派政党「共和国連合(RPR)」で大物政治家の演説を起草していたゲノは、後者にあたる。カミングズはその双方を経験しつつ、やや風変わりな経歴を積み重ねた。

 彼は、世界遺産に登録された城や大聖堂を持つイングランド北部の古都ダラムに、1971年生まれた。父親は油田掘削プロジェクトのマネジャー、母親は特別支援教室の教師だった。

 『オブザーバー』紙によると、その後両親はダラム南郊で農場を営み、欧州連合(EU)からここ20年間で25万ユーロ(約3020万円)の補助金を受け取ったという。この農場は、ダラムから南に向かう街道筋に位置する一軒家で、先の本欄『英国「ラスプーチン」ロックダウン下の「感染旅行」が招く「政権破綻」』(6月8日)で紹介した通り、今年3月の外出禁止期間にカミングズが家族と訪れた場所だった。

 北イングランドは産業革命の発祥地で、その後は繊維産業や石炭産業の不調から失業や貧困の問題を抱えるに至っている。ただ、カミングズ自身は裕福な家庭の出身であり、そのような土地柄とは無縁だった。地元の小学校を出ると、15世紀に開校した名門ダラム・スクールを経てオックスフォード大学に進み、歴史を専攻した。

 大学を卒業した94年からの3年間は、やや謎に包まれている。ロシア語に堪能でドストエフスキーやトルストイを愛読する彼は、この間ロシアに滞在し、様々な事業にかかわったという。その1つは、ロシアのヴォルガ川沿いの都市サマラとウィーンを結ぶ航空会社の設立だった。

 この時期のロシアは、ハイパーインフレと高失業率の中で極端な浮き沈みが起きた時期であり、多様な事業が現れては消えた。カミングズらの試みも結局失敗に終わった。

 この経歴をもって、彼とロシアとの間に何か特別な関係があるのでは、と勘ぐる人は少なくない。総選挙前の昨年11月、野党労働党の「影の外相」エミリー・ソーンベリーが外務省に書簡を送り、カミングズとロシアとのつながりをただしたのは、その一例である。

 書簡には、カミングズとロシア情報機関との接触の有無などに関する問いも含まれていた。しかし、政府側の回答は、

 「個人の身元に関する問いには応じない」

 だったという。なお、ソーンベリーの下院議員としての選挙区は、カミングズの自宅があるロンドン北東のイズリントン南部であるが、これは偶然だろう。

 英国に戻ったカミングズは1999年以降、EUの共通通貨ユーロへの英国の参加に反対するロビー団体「スターリング(英ポンド)のためのビジネス」の幹部として活動した。当時から反EU意識が強かったと思われる。英国は結局、ユーロに参加することはなかった。

 続いて2002年、彼は党員資格を持たないまま、保守党の党首イアン・ダンカン=スミスの下で党戦略部長に就任した。ただ、当時は労働党ブレア政権の全盛期で、ダンカン=スミスはほとんど存在感を示せていない。また、先例を踏襲せず独自の手法を試みるカミングズは、多くの議員とも衝突した。失望したカミングズは、8カ月後にダンカン=スミスを、

 「無能」「首相になったらブレアよりもひどい」

 と批判して辞任した。

イスラム教の風刺画でクビに

 ロンドンでひと仕事を終えると、故郷に戻る――。カミングズはそのような生活パターンを繰り返している。

 この時も、ダラムにある両親の農場に戻った彼は、地元イングランド北東部に独自の議会を設立するという政府の「北東イングランド自治権付与」構想に反対する運動に携わった。本欄『ブレグジット後の英国「主権」考(下)あぶり出された問題』(2月14日)で少し紹介した通り、この構想については2004年に住民投票が実施され、反対派が8割近くを得る圧勝に終わった。

 ユーロ参加に反対する運動に続き、カミングズがかかわった運動としては2度目の勝利である。それは、以後すべての投票選挙に勝ち続けるカミングズの「不敗神話」の始まりでもあった。

 カミングズは、保守系人脈が集まる右派週刊誌『スペクテイター』のウェブ版編集にも携わった。彼が騒ぎを引き起こしたのは、この時である。

 オランダで2004年、イスラム教の女性虐待に批判的な短編映画を製作した監督が、イスラム過激派の男性に殺害された。これを「表現の自由の危機」と受け止めたデンマークの有力紙『ユランズ・ポステン』は、その状況を議論の対象にしようと、イスラム教の預言者ムハンマドに関する風刺画12作品を05年に掲載した。

 当初話題にもならなかったこの企画は、しかし次第にイスラム主義者の攻撃の対象となり、イスラム諸国で広範囲な抗議運動を引き起こした。逆に、欧州各国のメディアのいくつかは同紙への連帯を表明し、風刺画を転載した。なお、フランスでこれを掲載した風刺週刊紙『シャルリー・エブド』がアルカイダの攻撃対象となり、2015年の襲撃事件に結びついた経緯は、本欄でも2015年3月から半年にわたって連載した「テロリストの誕生」(全22回)や、大幅に加筆した拙著『テロリストの誕生』(草思社)で詳述している。
 イスラム主義やイスラム過激派に長年寛容な態度を示してきた英国は、この騒動としばらく無縁でいた。しかし、英国内でも翌2006年になって、この風刺画を転載するメディアが初めて現れた。それが『スペクテイター』のウェブ版である。風刺画には、

 「欧州の人々は死んでいき、イスラム教徒の人口が増える」

 などと説明が添えられ、イスラム主義を明確に批判していた。

 週刊誌の『スペクテイター』編集部は掲載を把握していなかったようである。『ガーディアン』紙によると、指摘を受けた責任者は、

 「ウェブ版は別の男が編集している」

 と弁明した。その男がカミングズだった。風刺画はウェブから削除され、カミングズはクビになった。

「キャリア・サイコパス」

 どちらかというとそれまでお騒がせキャラだったカミングズが、戦略家としての評価を定着させるのはその後である。

 2007年、彼は保守党の有力政治家マイケル・ゴーヴのスタッフとなった。ジャーナリストのオーウェン・ベネットが著したゴーヴの評伝『マイケル・ゴーヴ 急ぐ男』(未邦訳)によると、裕福な家庭の子が通う私立学校の出身で、広い範囲のテーマについて読書を重ね、また欧州懐疑派を公言するなど、ゴーヴとカミングズにはいくつか共通点がある。もっとも、ゴーヴが礼儀正しいのに対し、カミングズは逆で、「無政府主義者」と揶揄されていたが。

 ゴーヴは以前からカミングズのキャンペーン能力に注目しており、2002年に当時の党首ダンカン=スミスに彼を推薦したのもゴーヴだった。その時はうまくいかなかったが、カミングズはゴーヴと直接関係を築くようになると、頭角を現した。教育相に就任したゴーヴの下で、2011年に特別顧問に抜擢され、教育省のスタッフを統括した。

 もっとも、急激な省内改革を進めようとした彼は官僚らと対立し、連立相手の「自由民主党」党首で副首相のニック・クレッグや保守党の有力者らとも衝突した。特に、当時の首相デイヴィッド・キャメロンとの確執は有名で、キャメロンはカミングズを「キャリア・サイコパス」と呼んで忌み嫌い、政策の決定ラインから外そうと試みた。

 この間の2011年、カミングズは『スペクテイター』編集者メアリー・ウェイクフィールドと結婚した。カミングズにとって、友人の姉にあたる女性である。

 イングランド北部に城を持つ準男爵の家系出身で、名門エディンバラ大学を出て同誌に勤めた。同誌で彼女を採用したのは、その時編集長だった現首相ジョンソンである。以来、メアリーとジョンソンは信頼関係を築いたが、カミングズ自身がジョンソンと親しくなったわけではなかった。

 カミングズは2014年にゴーヴのもとをいったん離れ、その翌年に国民投票でのEU離脱を目指す運動「離脱投票」の事務局長となった。彼の周到さ、冷徹さが存分に発揮されたのは、この間である。それは、キャンペーンを成功に導き、2016年の国民投票で「離脱」という結果を導き出した。

 この運動で、彼は「Take Back Control」(主権を取り戻す)というキャッチフレーズを考案し、多くの支持者を動員した。ただ、それ以上に効果を発揮したのは、大量の個人情報を分析しつつ世論操作を仕掛ける彼のAI戦略だったといわれる。

 その詳細は依然として検証すべき点が多いが、推測する手がかりはある。国民投票の半年足らず後に実施された米大統領選で、ドナルド・トランプの陣営が仕掛けた戦略である。

電子空間からリアルな人間関係へ

 米大統領選でトランプ陣営の選対責任者となったバノンは、ソーシャルメディアを使った選挙戦術に強い関心を示していた。その下で実務を担ったのは、バノン自身が役員を務める英選挙コンサルティング会社「ケンブリッジ・アナリティカ(CA)」だった。

 CAは、ケンブリッジ大学の学術調査に基づいて導入されたアプリを利用し、フェイスブック(FB)から8700万人分の個人情報を抜き取り、徹底的に利用した。それは、以下のような手法だった。

 まず、FBの個人データから人格を推定し、「自己陶酔」「冷酷」「精神病質」といった傾向がうかがえる人物に対して、ウェブ広告で脅威をあおる。

 次に、その人物を偽のFBページに設けた右翼フォーラムに誘い、互いに交流させる。

 続いて、少人数イベントに招待し、「自らが選挙運動の中心だ」との意識を高める。

 電子空間から次第にリアルな人間関係に導く手法は、現代のマーケティング戦略とも共通している。CAはこうして、一見社会にうまく適合できていない人物を、陣営の熱心な運動家につくりかえ、選挙戦を主導させたのである。

 CAの親会社は英「戦略広報実験室(SCL)」で、もともとは英国防省などの発注でテロ対策上の世論操作などに携わる一方、アフリカやカリブ海など途上国の選挙で特定の候補を支援する事業にも乗り出していた。CAは、このSCLのスタッフと米右派系富豪の資金によって2013年に設立され、ウェブでの技術を駆使しつつ、主に米選挙にかかわったのである。

 CAの手法について長々と紹介したのは、この会社とカミングズとの間に接点がうかがえるからである。

 SCLの元社員でCA設立にもかかわったというカナダ人データコンサルタントのクリストファー・ワイリーは、カミングズと会った時の様子を回想録『マインドファック』(未邦訳)で描いている。

 カミングズがEU離脱運動を立ち上げようとしている頃で、保守党有力者の紹介がきっかけだった。「まるでタイタニック号から救命ボートに這い上がってきたかのようなぼさぼさの髪」の姿ながら、頭脳明晰で、大衆の関心をよく理解しており、『BBC』の政治番組に見入る政治家たちとは全く異なる意識を抱いている、というのがカミングズの第一印象だったという。カミングズは、CAについてもしっかり下調べをしていた。

 しかし、CAはこの時すでに、「連合王国独立党(UKIP)」党首だったナイジェル・ファラージが率いるもう1つの離脱派運動「離脱EU」との契約を進めていた。「離脱EU」とカミングズの「離脱投票」は、目的を1つにしながらも、主導権を巡って対立を深めていた。

 ワイリーはカミングズに対し、CAが関与しない代わりに、同様の能力を持つ同僚や知人らを紹介したという。彼らは「離脱投票」の活動に加わり、カミングズの下で働いた。従って、彼らを通じてCAのノウハウがカミングズらに伝授された可能性は残る。

 もっとも、カミングズ自身はこれを否定している。彼は、2018年に自らのブログでCAを「ペテン師」と呼び、ワイリーに対しても、

 「たわごとを私に売りつけようとする」

 と批判した。

 両者の間でどのようなやりとりがあったのかは、判然としない。CAはその後、ワイリーを含む複数の関係者が実態を内部告発したこともあって、大きな批判にさらされた。カミングズのブログはその時期に重なっており、CAと距離を置こうとした可能性は否定できない。もともとCAの周囲には怪しげな人物が多く、それぞれが勝手な証言を繰り広げており、真実は藪の中である。

 投票という民主主義の根幹制度の周囲に、このようなフェイクまみれの世界が広がっている。それが、今という時代なのだろう。(つづく)
 

国末憲人
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長を経て、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など多数。新著に『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)がある。

Foresight 2020年6月19日掲載

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