「女房と一緒の時間を少しでも長く」 在宅介護にはどのくらいお金がかかるか──在宅で妻を介護するということ(第2回)
介護を想定した際に不安になる要素は数多くある。時間、体力、精神的余裕、そしてやはりお金……。フリーライターの平尾俊郎さんも、奥様を在宅で介護すると決めたものの、気になったのはお金の問題だった。病院よりは安上がりかもしれないが、それでもいろいろ出費はあるだろう。実際にはどのくらいの負担になるのか。68歳夫による62歳妻の在宅介護レポート、第2回のテーマはお金である。
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【当時のわが家の状況】
夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週2回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)。在宅介護を始めて1年半になる。
費用は病院・施設の3分の1
家事や料理に関心があるわけでもなく、育児の経験すら持たない私が、「妻を家で看よう」と決めた理由は大きく二つある。
一つは、ここは照れずに告白すると、女房と一緒に暮らす時間を少しでも長く持ちたかったからである。彼女の病気、状態についてはこの後ご説明するが、簡単に言えば、「ウェルニッケ脳症」という神経系の急性疾患を発症し、四肢が自由に動かず寝たきり状態になった。
千葉大病院から茂原にある、長期療養を必要とする高齢者に特化した病院に転院したばかりのころ、私の心は深く沈んでいた。妻にはまだ意識障害が残っていて、私の呼びかけに反応するものの、目はあらぬ方向を向いていた。自分の意志で動かせるのは首から上だけで、もちろん言葉を発することなどできない。
CTスキャナーには認知症特有の脳の萎縮が見られ、入院時の検診を終えた担当医師は、「画像だけを見たら80代後半。今後、現状以上によくなることはちょっと期待しにくい」と言った。
もはや医療処置は必要とせず、自分より20歳は年上であろう老婆たちとベッドを並べ、一緒の介護を受けていた。悲観主義傾向の強い私は、てっきり、緩やかに植物人間になっていく過程にあると判断。「どうせ悪くなるなら家にいても同じだ。最後の時間を、少しでも元気なころと同じ環境で過ごさせてあげたい」と思った。
若いころの妻はとても行動的だった。27歳で広告代理店を起こし、ちょうどバブルの波に乗り会社は急成長。代官山におしゃれな事務所を構えたが、バブル崩壊で一気に夢はしぼんだ。私は外注スタッフの一人として、彼女のいいときも悪いときも見てきた。結婚して28年間は、二人で会社の存続に奔走してきた。妻というより、ずっと戦友のような夫婦を生きてきたから、最後だけ別々というわけにはいかないのである。
もう一つは他でもない、経済的理由からだ。4年ほど前から、妻はアルコール依存症専門病院と一般病院への緊急入院を何度か繰り返し、千葉大病院にも2カ月以上お世話になり、お金はとうに底をついていた。きれいごとを言わせてもらったが、実をいうとこれが一番大きい。
みなさん簡単に「病院に入れよう」「施設に預けよう」とおっしゃるが、いくらかかるかご存じだろうか。もちろん地域や受け入れ先によって差はあるが、当時、最低でも病院なら20万円、介護保険施設の中では最も割安の特養でも12万円は必要とした。自分の生活費以外にこの額を毎月別途支払うような芸当は、高齢者の仲間入りしたフリーライターにはできない。もちろん貯蓄もなかった。
頼みの綱は介護保険であった。私は仕事柄、重度の要介護者の場合、在宅で各種介護保険サービスを受けながら暮らすことが、病院や施設に入所するよりはるかに安くつくことを知っていた。在宅の場合、家人の「介護が大変」という記事はあちこちで目にするが、なぜか「経済的に助かる」という情報は少ない。国の政策も、病院・施設から在宅へと大きく舵を切った今日、「在宅」の経済性をもっと宣伝する必要があると思う。
仮に、女房が茂原の病院に入院し続けたとしよう。医療費(国民健康保険適用3割)、食費、居住費、その他(おむつ利用料金、日用品等)で合計17~18万円かかった。これでも世間一般的にいえば安い部類だと思う。千葉大学病院の入院費は、月額20万円を超えた。従業員を1人雇っている、もしくは事務所を借りている感覚に近いくらい高い。いうまでもなく、売れないフリーライターが毎月コンスタントに払える金額ではない。
これに対して「在宅」の経費はいくらかかるのか。詳細は省くが、「在宅」を始めたばかりのころは、支出(介護事業所への支払い、医療費・クスリ代、おむつなどの消耗品代)の合計は月7万円程度。入院・入所した場合のほぼ3分の1だ。ちなみに今は、身体障害者手帳(1級)を取得したことにより、千葉市より医療費助成やおむつ代支給などを受けているため、自己負担は毎月3万円程度で済んでいる。
経済面を考えれば、当時の私に「在宅」以外の選択枝はなかった。言い換えれば、「在宅」という道が残されていたからこそ、今日の日を夫婦ともに迎えることができたのである。
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