「山本太郎」参戦、“組織がまとまれば勝てる”とは言えない都知事選事情

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「野党票の食い合い」について

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」。この至言は、今年の2月に他界した元プロ野球監督、故野村克也氏のものだ。しかし、それはプロ野球に限ってのことかもしれない。「不思議の負け」もあるのが、選挙である。国政選、地方選ともに「不思議の勝ち」もあれば「不思議の負け」もある、いわば奇々怪々の世界である。

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 6月15日、国政政党「れいわ新選組」代表の山本太郎前参議院議員が、東京都知事選挙(6月18日告示・7月5日開票)への出馬を正式に発表した。

 かねてより噂には上っていたこの一報が、現実味を帯びて駆け巡ったのは、6月10日夜半のことである。

 情報を知った野党支持者の反応は、概ね否定的だった。なぜなら、現職の小池百合子知事への対抗馬として、弁護士の宇都宮健児氏が早々と出馬を表明し、立憲、共産、社民の推薦を取り付けていたからである。「折角の野党共闘に水を差す行為」と解釈されたためで、事実、Twitterにおける著名人の投稿は次のようなものである。

「これは。票が割れて小池氏を利することになりませんか。国政で頑張ってほしいんだけどなあ」(ラサール石井)

「彼の中にもし大義があるならば致し方ないでしょうが、潰し合いをしていい結果が出るとは今の時点で材料が無さ過ぎるなぁ。誰を利するかを考えて頂きたい」(松尾貴史)

「一本化は必須だと思う。でないと勝負は決まってしまう」(古舘寛治)

 以前から安倍政権に批判の眼差しを向けて来た彼らは、山本太郎には総じて好意的で、賛同の意を繰り返し表してきた、いわば「勝手連的同志」のような存在の著名人である。その彼らの困惑ぶりは、野党票を食い合う危惧から生じていることは言うまでもない。

 筆者自身も一報を耳にしてすぐ「悪手」とは思った。山本太郎が掲げる、それも旧自由党時代から訴えてきた数々の政策を見るにつけ、国政で、それも衆議院で議席を得るべきだろうと考えていたからだ。

 ただし、長年都内に住み、選挙愛好家として、その期間を存分に愉しんできた筆者は、山本太郎の出馬が「野党票を食い合うことになる」とは1ミリも思わなかった。

 なぜなら、東京都知事選は、「組織がまとまれば勝てる」とは必ずしも言い難い側面があるからだ。

 よくよく思い返してもらいたい。

「無党派層」が流行語にもなった95年都知事選において、与野党四党相乗りの石原信雄を大差で破ったのは、前参議院議員でタレントの青島幸男である。このとき、野党系の候補はまとまっていたかといえば、まったくそうではない。前出雲市長の岩國哲人、前衆議院議員の上田哲、「平成維新の会」の大前研一、共産推薦の黒木三郎ら次々と有力候補が名乗りを上げたものだが、それでも、組織と無縁の青島が圧勝したのだ。

 99年に至っては、自公推薦の明石康、民主推薦の鳩山邦夫、元外務大臣の柿澤弘治、国際政治学者の舛添要一、共産推薦で「金八先生のモデル」とされた三上満と、「組織票分捕り合戦」の様相を呈していたが、当選したのは、またもや無所属で立候補した、前衆議院議員で作家の石原慎太郎だった。

 前回の2016年都知事選は、さらに顕著である。本来であれば、自公推薦の増田寛也と、共産も含む全野党推薦の鳥越俊太郎の一騎打ちだったはずだが、自民党衆議院議員でにわかに出馬した小池百合子が、風を巻き起こし、ゼロ打ちで当確を決めたものである。

 前出の著名人が抱いた「組織がまとまらないと勝てない」という危惧は、空論ですらあるのかもしれない。ここであげた3人は、本来組織が計算した票を上手に掬い取って、当選をものにしたからである。小池百合子に至っては、居直り強盗よろしく増田が得るべき自民票ごと、ごっそり持ち去ったようにすら映る。

 では、なぜこういったことが起きたのか。

 答えは明快だ。首都の首長を決める東京都知事選は、ある意味において、自身の支持政党の呪縛から解き放たれた、究極の人気投票だからである。

 すなわち「大人の学級委員選挙」と言い換えてもいい。

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