「大谷世代」21人のプロ入り後を検証 甲子園に出場できなかった“雑草組”が活躍

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“不運”の投手・澤田圭佑

 左腕といえば、この床田より一足先にブレイクしたのが、神奈川大[神奈川]から1位指名で入団した濱口遥大(横浜DeNAベイスターズ)だ。

 翌17年の新人1年目で二ケタ10勝6敗をマークし、新人特別賞を受賞したほどの即戦力投手だったが、出身校は県立三養基[佐賀]という全国的には全くの無名校だった。3年夏の県予選は27回を投げ、31奪三振をマークするも、3回戦で敗退している。

 続いて12年以来、8年ぶりのAクラス浮上を目指す中日ドラゴンズから、同じ左腕の笠原祥太郎の名を挙げたい。

 新潟医療福祉大[新潟]からの4位指名入団だったものの、昨年にはプロ入り初の開幕投手にも抜擢されたほどだ。

 ただ、シーズン途中で不整脈を発症した影響で登板数はわずか8試合に留まってしまった。それでも3勝2敗の成績を挙げており、今季の捲土重来が期待されている。

 地元・新潟で甲子園出場経験もある県立新津に進学し、高2の春からエースになった。だが、強豪私立の前に夏の予選では2年連続の逆転サヨナラ負けで苦杯を舐めている。

 右腕なら小野泰己(阪神タイガース)だ。富士大[岩手]から2位指名で入団し、プロ2年目の18年シーズンには開幕ローテーション入りし、7勝7敗を挙げるなど、プチブレイクを果たした。

 高校は福岡の新興勢力・折尾愛真で2年秋からエースを任されるも、1度も甲子園出場は果たせなかった。

 ここまでの4人は、いずれも甲子園出場経験がない。

 その一方で甲子園の出場経験はありながら、悲しいかな、目立っていない……というケースもある。

 その筆頭が澤田圭佑(オリックス・バファローズ)だろう。東京六大学の雄・立教大の右腕エースとして活躍しながらも、16年のドラフトでは下位指名の8位だった。

 そこからプロ2年目の18年には47試合に登板し、負けなしの5勝8ホールドで防御率2・54をマークした。

 その結果、昨年は開幕から“勝利の方程式”を担うセットアッパーに抜擢されたほど。チームにとっては貴重な戦力となっているが、高校時代の澤田は高校野球ファンにとってはまさに“不運の投手”だった。

 12年の春夏の甲子園を連覇した大阪桐蔭のメンバーだったが、エース・藤浪の影に完全に隠れる形になってしまったからだ。

 事実、3年春夏の甲子園では春1試合、夏1試合の登板のみ。それでも夏の3回戦では先発し、2失点完投勝利を挙げるなど、意地を見せつけた。

 明治大からドラ1で入団し、プロ3年目の昨季に自身初の2ケタ勝利となる11勝7敗を挙げ、防御率も3・53という好成績をマークした柳裕也(中日ドラゴンズ)も甲子園では目立った成績を残せなかった。

 実は柳は神奈川県が誇る強豪・横浜のエースとして3回も甲子園の土を踏んでいる。

 だが、最初に出た高2の春の第83回選抜大会は初戦敗退の憂き目にあい、続く2年夏の第93回選手権大会もわずか2戦目で甲子園から去ることになった。

 3度目の出場となった3年春の第84回選抜大会ではようやくベスト8まで進出するも、最後の夏は県予選のベスト8で敗退してしまった。やはり夏に活躍しないとどうにも印象が薄くなるのだ。

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