英国「ラスプーチン」ロックダウン下の「感染旅行」が招く「政権破綻」

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 昨年12月の総選挙で大勝し、議会の圧倒的多数を握った英国のジョンソン政権は、順風満帆の任期5年を全うするはずだった。しかし、予想に反して半年足らずの間に窮地に陥り、早くも破綻の気配さえ見せ始めている。

「首相を操る男」

 他の欧州各国の多くは、6月に入って新型コロナウイルスの災禍から徐々に抜け出し、ロックダウン(外出規制)を解除して正常化と経済復興に向かっている。その後ろ姿を遠く見つめながら、英国だけがぽつんと取り残された。

 初動の対策を怠ったツケが回ってきて、1日あたりの死者がいまだに100人を超え、収束への道筋は見通せていない。離脱した欧州連合(EU)との貿易交渉も、暗礁に乗り上げつつある。有権者の信頼を失って、政権の支持率は大きく落ち込んだ。

 この間の政権を事実上とりまとめてきたのは、首相官邸の首席特別顧問ドミニク・カミングズである。

 プロパガンダと世論操作を得意とする戦略家で、閣僚人事さえ差配する権力を持つと言われながら、Tシャツにジーンズといったラフな格好を変えようとしない。人前に出ることがなく、政界とも距離を置き、与党「保守党」の党員資格さえ持たない。その謎めいた存在は、彼を「首相を操る男」「英国の怪僧ラスプーチン」と呼ばしめた。反対派の中には、ナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスに彼をなぞらえて「現代のゲッベルス」と呼ぶ人もいる。

 EU離脱の是非を問う2016年の国民投票では、「離脱キャンペーン」を事務局長として率い、昨年の総選挙では保守党の戦略をまとめ、いずれも勝利に導いた。個人情報とデータサイエンスを駆使しつつ敵の弱点を徹底的に突くその手法は、首相ボリス・ジョンソンの厚い信頼を得た。

 万全と見えたその態勢は、新型コロナ対策で大きく揺らぎ、さらにカミングズ自身が主役を演じたスキャンダルも加わって、各方面からの反発を招くに至っている。カミングズには組織を無視する傾向が強く、恣意的で独断的な態度も目立っていただけに、不満がもともとたまっていたのである。

 出来事の経緯を追いつつ、ジョンソン政権の現在とこれからを考えてみたい。

一躍、悪役ヒーロー

 ロンドン北東部のイズリントンは、金持ちと貧乏人が混在する少し複雑な街である。
金融街シティーに隣接し、域内には大学や博物館があり、中心のアッパー街には小洒落たカフェやレストランが並ぶ。その背後に閑静な高級住宅街が連なり、インテリや金持ちが住まいを持つ。

 かと思うと、少し通りを外れるとアフリカ系を中心とした移民が暮らす低所得者住宅が立ち並び、街全体で見てもロンドン市内の32行政区のうち、貧しい方から6番目にあたる。街の北半分は、最近まで「労働党」党首を務めていた左翼教条主義の政治家ジェレミ・コービンの地元選挙区であることでも知られている。

 この街の一角に、カミングズの自宅がある。もちろん、貧しい地区ではなく、高級地区の方である。街路樹の緑豊かな通りに面したれんが造りの建物で、著名な建築家が設計したという。彼はここで、保守系週刊誌『スペクテイター』副編集長の妻メアリー・ウェイクフィールドと4歳の息子との家庭を営んでいる。

 その周辺がにわかに騒がしくなったのは5月23日土曜日朝、左派系高級紙『ガーディアン』と左派系大衆紙『デイリー・ミラー』がカミングズの疑惑を報じたからだった。

 感染拡大を防ぐためのロックダウン下であるにもかかわらず、260マイル(約400キロ)離れたイングランド北部の故郷ダラムまで車で往復していた、というのである。市民に規制を守るよう求めながら、政府の中枢にいる人物がそれを破るとは、一体何事か。抗議の声が一斉に上がり、それまで陰の人物だった彼は一躍、悪役ヒーローとして脚光を浴びた。

 反対派の運動家らは彼の自宅前に押し寄せて抗議行動を展開した。カミングズ本人に対しても、近所の人から罵声が浴びせられるようになった。

 その3日後、不動産関連のサイトからその地番を割り出した筆者は、現地に行ってみた。ロンドン中心部からバスで30分あまりのところである。

 自宅前には、警備の警察官2人と、市民団体出身らしき女性が1人プラカードを掲げて立っている。そのプラカードを、英メディアのカメラマンら10人ほどが取り巻いて撮影している。てっきりカミングズに抗議する運動と思ったら、プラカードには「カミングズをいじめるな」とある。彼を擁護しようと駆けつけた人のようだった。

 ただ、全体では非難の声が圧倒的に強い。実際、これを受けてジョンソン政権への支持率も急落した。支持と不支持の差を示す独自の手法を使って調査機関「サヴァンタ」が毎日実施している世論調査によると、22日に支持が19%上回っていたジョンソンは、25日に不支持が1%上回る結果となった。3日で20ポイント、という異例の下落ぶりである。

24時間の内に起きたこと

 ただ、ジョンソンやカミングズは当初、このスキャンダルを些細な失態程度に受け止めていたのではないか。すぐに沈静化するだろう、と簡単に考えていた節がうかがえる。

 ジョンソン自身が新型コロナに感染し、入院生活を余儀なくされたのは、本欄『ジョンソン「新型コロナ入院」で英政権「脆さ」と「軽さ」』(4月15日)で伝えた通りである。その感染判明が発表された3月27日、首相官邸から鞄を抱えて逃げるように走り去るカミングズの姿を映した動画がツイッターなどで出回った。当時官邸では感染者が相次いでクラスター化していたことから、「彼も逃げ出したのか」などと揶揄された。

 実際には、カミングズはこの時、新型コロナ感染が疑われる妻メアリーから、「症状がひどい」との連絡を受け、自宅に急いでいたのだった。それをメアリー自身が後に、『スペクテイター』誌のコラムで記している。

 「夫は、私の看病をするために家に駆けつけてくれた。人々が何と言おうと、彼は格別優しい男なのだ」

 その文章は、

 「それから24時間後、彼自身『気分が悪い』と言って倒れた」

 と続き、カミングズ本人も感染したことを明らかにしている。ただ、その24時間の内に起きたことに、メアリーは触れていない。そこに、スキャンダルの本筋があった。

 後にカミングズ自身が記者会見で説明した内容や地元報道によると、3月27日夜、メアリーとカミングズは息子の世話について話し合った。メアリーの症状は落ち着いてきたが、再発するかもしれない。カミングズ自身も罹患すると、4歳児が1人取り残されることになる。カミングズが提案したのは、郷里に息子を連れていき、20歳と17歳の姪に預けることだった。

 ただ、英国はその4日前に当たる23日夕、首相自身が記者会見して、ロックダウンの導入を明らかにしていた。食料品などの買い物以外は出歩かないよう求め、違反者には罰金も科すと警告した。

 しかも、その導入にはカミングズ自身もかかわっていたといわれる。当然ながら、その制度下では何百キロもドライブをすることなど想定されていない。カミングズはいわば、自ら定めた規定を破る形になった。

ビデオゲームも登場

 3月27日夜、一家は車で出発し、深夜ダラムに到着した。実家から50メートルほど離れた小さなコテージに滞在したが、翌28日朝に今度はカミングズ本人に兆候が現れた。症状は次第に重くなり、ベッドから起き上がれないほどだった。

 カミングズの感染は30日の英メディアで報じられた。みんなは彼がロンドンで自主隔離に入ったものだと思っていたが、実際には遠く離れたダラムにいたのである。逆にメアリーの症状は軽くなった。息子は、彼女が引き続き世話をしたため、姪たちには預けられなかったという。

 4月2日朝、カミングズは回復したが、今度は息子が熱を出した。夫妻が呼んだ救急車で、息子はメアリーとともに病院に行った。その翌日、「タクシーを呼べなかった」ことから、カミングズ自身が車を出し、数マイル先の病院に2人を迎えに行った。息子は結局、新型コロナには感染していなかった。5日、一家はすでに回復し、農場で戯れているところを近所の住民に目撃されている。

 復活祭の4連休の真ん中で日曜日にあたる4月12日、一家はダラムでの2週間の隔離を終え、ロンドンに戻ろうとした。しかし、彼は病み上がりで運転する際の視力に不安があった。メアリーの発案でテストドライブをしようということになり、ダラム南西の町バーナード・キャッスルまで出かけていった。古城の廃虚や小さな博物館がある地元観光地である。あらかじめ決めていた行き先ではなく、現地では観光などもしなかったという。

 ただ、以上はカミングズが後に記者会見で釈明した内容であり、本当に「視力云々」の問題があったかどうかは怪しい。この町で彼を見かけた元化学教師の男性は、車のナンバーを覚えており、それが『ガーディアン』と『デイリー・ミラー』の特ダネにつながったといわれる。

 バーナード・キャッスル郊外の川岸で15分ほど休憩した後、一家は結局ロンドンに向かわず、途中で息子に立ちションをさせたあと、その日はダラムに戻った。

 スキャンダル発覚後、ウェブ空間には「バーナード・キャッスルまで30マイル」と称するビデオゲームが登場した。ドミニクという男がゴホゴホと咳をしながら車を運転し、様々な障害をかわしつつダラムの実家近くから目的地バーナード・キャッスルを目指す、という趣向である。

 当時カミングズはだいぶん回復していたから、咳をするのはあくまで風刺だろう。

 「カミングズ批判の高まりとともに、ゲームも人気を博した」

 と、『インディペンデント』紙は伝えている。

20%を下回った支持率

 間もなくカミングズは官邸に復帰した。4月14日にロンドンにいるところを写真に撮られている。その後、

 「4月19日にカミングズをダラムで見た」

 との証言があり、実は2往復していたのではとの疑惑が持ち上がったが、彼自身はこれを強く否定している。

 新型コロナ感染で入院していたジョンソンも12日に退院しており、政権は表面上、何の変化もないように見えた。ただ、ジョンソンは重症に陥って一時生命も危ぶまれただけに、回復も長引き、首相としての公務を再開したのは27日になってからだった。

 その後、医療関連物資の不足や老人施設での被害拡大、感染状態を検査するシステムの不調などが続き、政府の迷走と無策ぶりが目立つようになった。英国で感染による死者は連日数百人のレベルを下らず、累積の死者数もイタリアを抜いて欧州で最多となっている。入院に対する同情もあって、「サヴァンタ」調査で一時は支持が40%前後上回っていたジョンソンへの評価も、対策の遅れが明らかになるに連れて次第に下がり、5月中旬以降は20%以下に落ち込んでいた。

 そのタイミングで暴露されたのが、カミングズのロックダウン破り感染旅行である。

 『ガーディアン』『デイリー・ミラー』の5月23日の特ダネを、他のメディアも一斉に追いかけた。普段だと政権寄りの姿勢が顕著な保守系高級紙『デイリー・テレグラフ』や保守系大衆紙『デイリー・メール』が異例の攻撃を展開しただけでなく、最右派の週刊誌『スペクテイター』も批判に加わった。

 『スペクテイター』は、カミングズの妻メアリーが勤務するだけでなく、かつてジョンソンが編集長を担い、カミングズ自身も働いていたことがある。保守政界と結びついた言論人の巣窟だが、そうしたつながりもどこかに吹き飛んでいた。

 英国ではそれまで、ロックダウンの規則を守って親の死に目に会えない市民の例などが報告される一方で、逆に政府関係者の規則破りが発覚し、責任を取らされるケースも相次いでいた。国際的に著名な疫学者で政府のロックダウン政策を主導したインペリアルカレッジ・ロンドン教授のニール・ファーガソンは、愛人をこっそり自宅に招き入れていたことが発覚し、政府の「緊急科学諮問グループ(SAGE)」の委員を辞任した。

 スコットランド自治政府の首席医務官キャサリン・カルダーウッドは、自宅から1時間あまりの別荘を2度訪れていたことがばれて退任した。カミングズも当然、同じように責任を取るべきだと、多くの人が考えた。しかし、彼は反省の色を全く見せず、自宅前に集まったメディアに対し、

 「ソーシャル・ディスタンシングを取れ」

 と言いながら追い払う始末だった。

 批判は、反対派や野党からに限らず、身内の側からも続出した。与党議員らがカミングズの辞任を公然と求め、賛同する声は40人以上に達した。

 スコットランド担当政務次官のダグラス・ロスは、「有権者に説明できない」と述べて自らの職を辞した。カミングズは普段から議員をばかにし、無視する態度を隠さないでいただけに、議員らの積もる恨みが爆発した形だった。

 そのような中で、カミングズ自身が記者会見を開く、との連絡が届いた。発覚から2日後にあたる祝日の5月25日、首相官邸でという。それまで人前を避け、陰の役割に徹していた彼が、メディアの前に出てくるのである。何か策略があるのだろうか。逆転の爆弾発言でも飛び出すのか。

しゃべり口は訥弁

 当日、夕方4時に設定された会見は30分ほど遅れて始まった。相変わらずノーネクタイで、白い長袖シャツの腕をまくって現れたカミングズは、官邸の庭の椅子に腰掛け、間隔を置いて並んだ英主要メディアの記者らと向き合った。

 英国のメディア対応は極めて閉鎖的で、外国人記者の私たちにこのような場が開放されることはほとんどない。私も自宅から、『BBC』の画面を通じて彼の言葉を追った。

 これまでも、カミングズの姿を目にすることはあった。昨秋にマンチェスターで開かれた保守党大会では、会場を訪れた彼を見つけて追いかけ、ぶら下がりを試みて無駄に終わった。しかし、彼が発する言葉を聴くのはこれが初めてである。彼は最初、用意した紙を読み上げて経緯を説明し、以後は記者からの質問に応じた。

 ある程度予想したことだが、そのしゃべり口は決して能弁でなく、むしろたどたどしく、弱々しい。訥弁ともいえるほどだった。

 かつて官房長官を長く務め、鋭い切れ味から「カミソリ後藤田」と呼ばれた自民党の後藤田正晴がそうだったように、優秀な戦略家に雄弁な人は少ない。策略と弁舌は、脳の中で使う場所が異なるのだろう。

 1時間ほど続いた会見の中身自体は、これまで報道された範囲をなぞっただけで、何とも締まらないものだった。謝罪は決して口にしなかった。

 卓上の水を何度も飲み、落ち着かない様子に終始したその姿に、失望感を抱いた人は少なくなかっただろう。「ラスプーチン」だの「陰の副首相」だのと呼ばれ、逆に今は「国民の敵」扱いされる仰々しいイメージの割には、威厳にも怪しさにも欠ける。どちらかというと凡人の雰囲気である。

 この会見は何だったのか。周到な計算に基づいていたのかもしれない。自らが前面に出ることでジョンソンに批判が行かないようしたのでは、と勘ぐる人がいた。そういう深謀遠慮があったかもしれない一方で、「批判に対してひとまず反論しよう」という単純な発想の結果かもしれなかった。あるいは、官邸広報の統制が利かず、番記者から突き上げを食らって渋々会見を認めたのかもしれない。

 はっきりしているのは、この会見が人々を納得させるにはほど遠かったことである。
会見2日後に『デイリー・メール』紙に掲載された世論調査によると、市民の多くは彼が真実を語っていると考えず、59%がその態度を「傲慢だ」と見なした。66%は「カミングズは辞任すべきだ」と答えた。

 しかし、カミングズの会見に続いて、コロナ禍の状況を説明する定例会見に出たジョンソンは、カミングズを擁護する姿勢を鮮明にし、首席特別顧問職の辞任を否定した。何としてもカミングズを失いたくない意識が透けて見えた。

 常に前向きで明るく、人を逆恨みすることもなく、開放的で弁も達者なジョンソンは、世界的に見ても第一級のエンターテイナーだろう。一方で閣僚経験に乏しく、政策に明るいとも言い難い。8年間にわたってロンドン市長を務めたこともあり、多くの英政治家が経験する議会での修業を重ねておらず、英政界で彼の首相就任を予想した政治家は多くなかったといわれる。

 そのような彼にとって、政策全般に指示を与え、策略を巡らして目的を達成できるカミングズは、極めて頼りになる存在だろう。逆に見ると、カミングズを失うとジョンソンは何をしていいかわからず、右往左往するばかりかもしれない。

 そこに、今の英国の最大の病理がある。カミングズは知性と理念を備えたたぐいまれな戦略家であるが、公職に就いて有権者からの審判や批判を受けたことがなく、チームプレーにも関心がない。いわば、個人の限られた経験と思考によって英国全体を動かそうとする人物である。それは、まかり間違えば単なる夢想家や勘違い男に過ぎず、そうした人物に大国が振り回されかねない危険性をはらんでいる。

 彼は、どのような遍歴を経てこの立場にたどり着いたのか。なぜそれほどの地位を得たのか。その経緯は、稿を改めて検証してみたい。
 

国末憲人
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長を経て、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など多数。新著に『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)がある。

Foresight 2020年6月8日掲載

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