韓国を蝕む「反日民族主義」という病 日本が真の友好国になるのは100年後……
「反日」を必要としない北朝鮮
重村教授は今回の著作で興味深い事実を指摘している。韓国社会で国民統合の象徴となっている「反日民族主義」は、北朝鮮には全く存在しないというのだ。
「実情はともあれ、北朝鮮は第二次大戦中に抗日パルチザン運動を展開し、日本帝国主義に勝利したことになっています。日本の左翼知識人が北朝鮮を訪問し、面会した幹部に戦争責任を謝罪すると、『我々は日本帝国主義と戦ったのであって、日本人と戦ったわけではない』と言われることは、珍しいことではありませんでした」(同)
田中角栄(1918~1993)と日中共同声明に調印したことでも知られる周恩来(1898~1976)も似たような発言を残しているのは興味深い。
「ところが韓国の場合、彼らにとっての“解放”は突然、日本の敗戦でもたらされました。中国の毛沢東(1893~1976)や、インドのマハトマ・ガンジー(1869~1948)、ジャワハルラール・ネルー(1889~1964)といった、独立を勝ち取った英雄もいません。そのため韓国は、自分たちに国家のアイデンティティーが存在しないことに悩みました。それを一気に解決してくれるのが『反日』だったのです」(同)
独立間もない韓国では、植民地教育のため、平仮名や漢字は書けても、ハングルは書けない大人もいたという。
ところが戦後世代が成長するにつれ、「ハングルが書けない戦前世代」は若者から攻撃の対象となってしまう。
慌てた戦前世代は、ことさらに「日本が悪い」と弁解することで、戦後世代と融和を果たそうとした――万事がこんな調子だったのだ。
「朝鮮戦争は1953年に休戦協定が結ばれ、その後の韓国社会は『反日』と『反共』が2つの大きな柱となります。70年代から80年代にかけて大統領を務めた朴正熙(1917~1979)や全斗煥(89)といった“軍事政権”は、反日より反共を優先し、日韓の対立は、さほど目立たない時期が続きました」(同)
だが、次第に韓国でも“民主化”が進む。1997年には左派の金大中(1925~2009)が大統領選で当選。北朝鮮に対して融和政策を採り、2000年には金正日(1941~2011)との南北首脳会談が実現した。
「この時、半島統一が現実のものとなりつつある、と多くの韓国人が思いました。そうなると統一国家のアイデンティティーが必要になります。北朝鮮と韓国が同じ国になるのであれば、『反共』を掲げるわけにはいきません。そこで『反日がいいだろう。反日なら北朝鮮も賛成してくれるはずだ』と韓国社会は考えたのです」(同)
だが北朝鮮は「反日民族主義」を必要としていなかった。これは前に見た通りだ。彼らは自分たちを戦勝国と見なしており、金日成(1912~1994)は“抗日の英雄”とされた。
何より北朝鮮にとって重要なのは「反日民族主義」ではなく、「金日成民族主義」なのだ。
韓国における「反日民族主義」の誕生と現状を追ってきたが、「それほどまでに民族主義が必要なのか」と首を傾げた方もおられるだろう。
重村教授はここで、アメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン(1936~2015)が83年に上梓した『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』(白石隆、白石さや・訳:書籍工房早山)を紹介する。
「アンダーソンは東南アジアの専門家でした。彼は、西欧を中心とする従来のナショナリズム研究では、東南アジアの政治史を読み解けないことに気づきます。そして独自の研究を重ねるうちに、アジア各国は旧来の王朝から近代の国民国家に発展する際、国民が一体化する民族主義を“想像”する必要に迫られたことを明らかにしました」
李氏朝鮮は1392年に成立したが、日本では室町時代にあたる。そして1894年の日清戦争で下関条約が結ばれ、韓国の王朝は1897年に、一応、終焉を迎える。
その後、1904年には第一次日韓協約が結ばれ、1910年に日韓併合が行われる。韓国は王朝の“滅亡”を経験すると、間髪を入れず、植民地として支配されてしまう。
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