「ジャイアント馬場」「具志堅用高」夫人ら…格闘技界に女帝・女傑が君臨しやすいワケ
相撲部屋の女将はもちろん、ボクシングジムやプロレス界でも会長やオーナー夫人が現場を切り回ししているのがほとんどだ。女帝、女傑などと、ともすると揶揄する声もないわけではないが、ジャイアント馬場ら格闘技界のスーパースターがそう足りえたのは、賢夫人あってのものだったという。
95歳の現役マネージャーも
週刊新潮(2020年5月21日号)に、「具志堅用高妻に悪評噴出 愛弟子 右腕が相次いで離反」といった見出しが躍った。珍しいボクシング関連の記事である。
記事の要旨はこうだ。
「13度の世界王座防衛記録を持つプロボクシング元世界王者、具志堅用高の経営する『白井・具志堅スポーツジム』において、具志堅夫人が何かと口を出し、現場を混乱させたことで、選手もスタッフも嫌気が差して、ジムから離れていった……」
この件において、当事者ではない筆者は記事を批評する立場にない。ただし、ボクシングという武骨な世界に容喙する夫人を指して、「素人たる妻ごときが」「素人たる女ごときが」と読者を誘導しかねない論調には、ボクシングファンとして、幾分異を唱えねばなるまい。
なぜなら、ボクシング業界における女性の存在は、世間が考える以上に、不可欠なものだからだ。
記事では具志堅夫人が、夫を差し置いてジムの運営に口を出して、かき乱していたことを問題視するが、ボクシングジムの多くは、会長やオーナーの夫人が現場を切り回していることを、まず理解されたい。
筆者の知る限りにおいても、輪島功一、渡嘉敷勝男、薬師寺保栄といった往年の世界王者の夫人は、ジムの経営において、陰になり日向になり夫を支えている。それどころか、元日本フライ級王者、ピューマ渡久地夫人のように、夫になり代わってジムの代表となる夫人もいる。
いくら、往年の名チャンプが過去の名声を恃(たの)みに、自身の名を冠したジムを立ち上げようとも、経営には別種の才を要する。「会員の募集」「月謝の徴収」「「後援者へのフォロー」──それらの多くが会長夫人に委ねられる。時には、試合における他のジムとの折衝に乗り出すこともある。内助の功の域を超えている場合もなくはない。
それどころか、ボクシング業界は、男性を凌駕する才質を有し、夫以上の地位と名声を得る女傑が時折現れる稀有な分野である。
1920年代から、ロサンゼルス五輪(1932年)をはじめ、ボクシング、プロレスと数多のビッグイベントの舞台となった「グランド・オリンピック・オーディトリアム」のオーナーにして、西海岸一帯の興行権を握ったプロモーター、カル・イートン。その妻であるアイリーン・イートンは、女性として唯一ボクシング殿堂入りを果たした、名うてのボクシングプロモーターである。
入場者数に比例して選手のファイトマネーを定めるなど、現代のボクシングビジネスの祖型にも連なる施策を採り入れた彼女は、モハメド・アリに「プロモーションとはなんぞや」を指南した人物とされる。すなわち、アリの代名詞となった試合前の挑発的な言動や、マスコミを巻き込んでのパフォーマンスの何割かは、イートン夫人によるものと見ていい。
日本にも同種の人物がいる。帝拳ボクシングジムでマネージャー職にある長野ハル女史である。1948年に前身の帝国拳闘会拳道社に入社し、95歳の現在もマネージャーとして采配を振るう彼女は、正真正銘「奇跡の女傑」である。
もともと、秘書兼事務員として就職した彼女が、ボクシングマネージメントに着手したきっかけは、先代会長の本田明氏が他界したことによる。現会長の明彦氏がまだ高校生だったからだ。
以降、名門帝拳の実質的経営者として、東洋王者、小坂照男の三度に渡る世界挑戦を皮切りに、「伝説のボクサー」大場政夫、「モントリオール五輪日本代表」瀬川幸雄、「沖縄の拳豪」浜田剛史、「和製石の拳」尾崎富士雄ら、所属選手の世界戦を取り仕切ってきた。スポーツ界広しといえど、こういう履歴を歩んだ女性は、彼女くらいのものだろう。
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