妻の下の世話は意外と苦にならなかった 在宅で妻を介護するということ──在宅で妻を介護するということ(第1回)

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「訪問食器洗い」というサービスが欲しい

 親の介護などを経験した人は、一番きついのは「痰の吸引」というだろう。痰や唾液が気管や気管支に入ると肺炎を起こす。喉にからまった痰を吸い取る吸引吸入器は、介護の必需品と言っても過言ではない。本来は医療行為で、医師や看護師しか使えないのだが、在宅介護では家族に使用が許されている。

 鼻の穴に細長い管を、食道に届くまで深く挿入し痰を吸い取るのだが、私はこれがダメだった。

 大学病院に入院中、つまり女房の意識がまだ完全に戻らないころ、看護師が定期的に部屋に来ては吸引した。やられる方は当然いやがり、痛がり、首を振って拒絶する。そうはさせじと看護師は、「痛いよね、でももう1回だけだから」などと言いつつ2度3度、いや痰がなくなるまで続けるのだ。まるで拷問だ。下の世話の100倍はきつい。そういう意味で正解だと思う。

 ただ、幸いなことに女房の場合、長期療養型病床に転院した途端に痰がパタッと出なくなり、吸引器は不要となった。これは本当にラッキーだった。もしも毎日の吸引を求められたとしたら、とっくに施設入所に路線転換していたかもしれない。

 何を隠そう、1年半の間「在宅」を続けてきて、いちばんきついと思うのは「食器洗い」だ。もともと食べた後の片付けが苦手なこともあるが、経管栄養の管を抜いて口からモノを食べるようになって以降、我が家の流し台のシンクの底が見えたことがない。

 2人分の皿、茶碗、コップ、女房専用のプラスチック製容器、ストロー、フォーク。それにクスリの包装材、食べ残しの食材、まな板や包丁までがまるで廃材置き場のように重ねられ、もう手が付けられない。食器棚の使えそうな食器を全部引っ張り出して使っても、3日で底をつく。コンビニで弁当を買い、回転ずしですませる。それにも飽き、ついに重い腰を上げて山積みになった食器を全部洗う。その日の晩にはまたシンクがいっぱいになる。食器棚を探す、この繰り返しだ。

 朝起きて一杯の水を飲むきれいなコップのないほど情けないものはない。これが私の一番の苦痛だ。「在宅」のがんと言ってもよいだろう。「そうだ、ホームヘルパーさんに来てもらおう」とケアマネに相談したところ、「介護保険の仕組み上、要介護者の食器の後片付けはできますが、家族の分はできません」とのこと。しかたなく、今日も食器の山と格闘している。

 食器洗いが一番つらい──私にとって在宅介護とは所詮この程度のものである。もちろんこれは個人差があると思う。私が能天気なのかもしれない。人工呼吸器をつけている人、要介護度は低いものの認知症で目が離せない人、文字通りの老々介護の人などからは、「あなたは恵まれている。その程度で在宅介護を語るな!」と叱責を浴びるに違いない。疾患や身体状況、家庭環境によって在宅介護の様相は全く違ったものになる。

 ただ、私自身は、これでもう少し自分に家事への適性があれば、「『在宅』は~、気楽な稼業ときたもんだ」と鼻歌を歌えるかもしれない、というのが今の実感なのである。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年6月4日掲載

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