安倍首相「世界最先端IT国家宣言」嗤う「行政デジタル化」のお粗末
今次の新型コロナウイルスの感染拡大。日本にとっては、第1次世界大戦末のスペイン風邪以来、100年ぶりに見舞われたパンデミック(世界的大流行)である。
が、各国政府が自国民の救済に知恵を絞り、次々と施策を打ち出す中、日本政府のスピード感の欠如が国民を苛立たせている。
感染防止の自衛グッズとして需要が急増したマスクは3カ月以上も店頭から姿を消し、装備が必須の医療従事者の下にさえ、十分に行き渡らなかった。個人や中小事業者を救済する給付金も窓口の自治体や担当官庁の段階で目詰まりを起こし、必要とするキャッシュが届かないことに悲鳴や怨嗟の声が上がっている。
原因の大半は行政のデジタル化の遅れにあるといっても過言ではない。
海外メディアでは、厚生労働省が全国の自治体から集まる日々のPCR検査の件数と結果の一部をファックスで集計していることなどを指し、
「“IT(情報技術)後進国”としての日本の弱点がそのまま露出している」(韓国『中央日報』)などと報じている。
首相の安倍晋三(65)が政権復帰の半年後に「ITは成長戦略のコアである」として閣議決定した「世界最先端IT国家創造宣言」とは何だったのか。
悲惨な行列
GW連休明けの5月7日以降、都内の区役所には、全国民に一律10万円が支給される「特別定額給付金」のオンライン申請のために窓口を訪れる人々が殺到した。
「オンライン申請のために窓口を訪れる」ということ自体、すでにブラックユーモアのように聞こえるが、なぜこんな現象が生じたかといえば、政府がオンライン申請の対象者を「マイナンバー(社会保障・税番号制度)カード」所持者に限定する一方、システムの不備で暗証番号やパスワードを忘れた際の再設定がオンライン上でできないため、申請者は役所の窓口で手続きをしなければならなかったからだ。
品川区役所で7日に8〜10時間待ちとなったのをはじめ、8日には江戸川区葛西事務所で5時間待ち、練馬区役所で3〜4時間待ちとなった。
入力時に暗証番号を間違えて画面にロックがかかったため、7、8日と連続して品川区役所を訪れた30代の男性など、8日だけで5時間半待ち。
あるいは、マイナンバーカードの電子証明書の有効期限が切れて失効したため、更新に訪れた別の30代の男性は、
「大行列ができたが、列の間隔も空いていなくて密集状態(いわゆる“3密”)だった」
と区役所の対応を問題視していた。
マイナンバーカードの交付が始まったのは2016年1月。そもそもは国民(外国人住民も含む)1人1人に番号を割り当て、行政が保有する住民情報を照合しやすくすることで、住民へのサービス向上や行政事務の効率化を目指す「マイナンバー制度」(2013年5月に「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法」が国会で成立)に基づいている。
同法が施行された2015年10月から対象者全員に各自の番号を知らせる通知カードの発送が始まり、受け取った住民は各自市区町村役場へ出向いて、この通知カードと引き換えに個人番号カード(マイナンバーカード)を受け取る仕組みだった。マイナンバーカードはICチップを搭載したプラスチック製のカードで、表面には本人の氏名・住所・生年月日などのほか、顔写真も掲載。身分証明書として利用できる。
ただ、政府がカード作成を希望する住民に限ったため、普及は進まず、今年5月1日時点でマイナンバーカードの発行枚数は約2085万枚強、人口に対する普及率はわずか16.4%にとどまっている。スタートから4年が経過してもさっぱり数字が上がらないのは、言うまでもなく行政の怠慢が原因だ。
給付金のオンライン申請での混乱が象徴するように、手続きにはいまだにデジタルとアナログが混在し、暗証番号やパスワードを失念した利用者がその変更(再発行)をしようとするだけで数時間も役所に並ばなければならない。旧ソ連・東欧諸国の崩壊過程で店頭に行列を成す住民の姿がしばしば映し出されていたが、連休明けの都内各区役所の光景は、その悲惨な行列を彷彿とさせるものがあった。
病的な“有言不実行”
システムの目詰まりは個人向け給付金だけではない。
5月1日からオンライン申請が始まった中小事業者向けの「持続化給付金」でも、支給の遅れが問題化している。
年初以降に1カ月の売上高が前年同月より50%以上減った事業者(資本金10億円未満の企業や個人事業主)を対象に、法人は200万円、個人は100万円を上限に政府が支援する制度で、休業を強いられた飲食業や観光業、イベント事業者ら申請者が殺到し、所管の中小企業庁によると、初日のオンライン申請は約5万6000件にものぼった。抽選販売の受付初日(4月28日)に約470万件の応募が殺到した「シャープ」のマスクに比べれば僅かな数に思えるが、それでも「中小企業庁のシステムがパンクした」とのウワサが広がった。
5月11日時点で、持続化給付金の申請約70万件に対し、振り込み済みは約2万7000件と率にして4%弱。政府が全国の緊急事態宣言の延長を発表した5月4日の記者会見で、安倍はこの給付金について、
「政府の総力を挙げ、スピード感を持って支援をお届けする」
と強調したが、オンライン申請の開始から10日が過ぎて4%弱という処理の実態とは乖離が余りに甚だしい。この首相の“有言不実行”はもはや病的と言える。
その後も連日クビを長くして口座への入金を待つ事業者の鬱積は増す一方で、「自分の申請が審査されているのかどうか、問い合わせても答えてくれない」といった悲痛な声が洩れてくる。とりわけ、当座の資金を最も必要としていた事業者が殺到した5月1日の申請の処理が遅れているとの指摘が多く、「システムのパンク」説の根拠にもなっている。
中小企業庁が全都道府県にオンライン申請の支援窓口を設けるなど、連休後に広がった対策で処理件数が増えたことから、首相の安倍は5月21日の記者会見で、
「入金開始から10日余りで40万件を超える中小・小規模事業者に5000億円を届けた」
と胸を張ったが、実はこの会見の時点で申請件数はすでに90万件を超えており、まだ半数の処理も終わっていないことには触れなかった。
「はんこ議連」会長がIT担当相
周知のように、欧米アジアの先進国では行政のデジタル化のテンポが早い。
米国では社会保険番号(ソーシャル・セキュリティ・ナンバー=SSN)が住民に割り振られ、公的年金や納税管理に加え、運転免許証の本人確認、金融機関の口座との紐付けによる信用管理などへと活用が広がっている。
新型コロナ危機に際し、米国でも1人当たり最大1200ドル(約13万円)の給付金支給が決まり、3月27日に大統領ドナルド・トランプ(73)が関連法に署名。半月余り後の4月15日までに対象者約8000万人の銀行口座へ振り込まれた。
ドイツでは3月25日、総額約7500億ユーロ(約90兆円)の経済対策を決定。従業員10人以下の零細企業や個人事業主に対し、最大1万5000ユーロ(約180万円)の助成金を支給する制度も盛り込まれたが、独政府は従業員解雇や経営破綻を防ぐために極力簡素化したオンライン申請方法を導入。大半の対象者が申請から2日後に助成金を受け取ったと、現地メディアが報じている。
読者の中には、「日本は行政のデジタル化の先進国ではなかったのか」と疑問を持たれる向きもあるかもしれない。
確かに、国連が加盟国を対象に隔年で実施している「電子政府ランキング」で、日本は2012年の18位から2018年には10位に浮上。また、早稲田大学が世界11大学と共同で実施している「世界電子政府進捗度ランキング」(2018年度)では、7位につけている。
だが、この手の調査は眉唾ものが少なくない。
たとえば、早大が手掛ける後者のランキングでは、通信網の整備やオンラインサービスの使いやすさやなど10分野の評価対象のうち、「政府CIO(最高情報責任者)」の項目で日本を1位としている。日本には組織の枠を超えた責任者、つまりCIOが政府全体にも各府省にもいることが高評価に繋がっているようなのだが、現実にその代表格として日本国民が思い浮かべるのは、おそらく「IT政策担当相」ではないか。現任は、竹本直一(79)である。
大阪15区(堺市の一部や富田林市、河内長野市など)選出の衆院議員である竹本は、元建設省(現国土交通省)のキャリア官僚。昨年9月の内閣改造で初入閣したが、IT分野への造詣が深いわけでもなく、メディアで話題になったのは、自民党の「はんこ議連」(正式名称は「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」)の会長を務めていたことくらいだ。
新型コロナの感染防止が急務になって以降、政府は企業に従業員のテレワーク(在宅勤務)を推進するよう要請。これに対し、書面に押印を求める日本の「はんこ文化」が障害になっているとの指摘が相次いだが、この件について4月14日の記者会見でIT担当相として質問を受けた竹本は、
「押印は民間同士の取引で支障になっている例が多い。話し合っていただく以外にない」
と他人事のようなコメントを発して批判を浴びた。
IT担当相以外でも、2018年10月にサイバーセキュリティー戦略本部担当相(五輪担当相と兼務)に就任した桜田義孝(70)が、
「パソコンを使ったことがない」
「(USBメモリについて)細かいことは分からない」
などと国会で珍答弁を繰り返したことは、多くの国民の記憶に残っているに違いない。
比較政治経済学が専門の米シラキュース大学准教授、マルガリータ・エステベス・アベは、
〈「桜田現象」は日本の現状の象徴。教育機関や職場のIT化が非常に遅れており、せっかくの良質な労働力に真価が発揮されていない〉
と解説している(『ニューズウィーク日本版』2020年5月5・12日号)。
国力衰退の象徴
誰が大臣でも変わらない――。
日本の多くの国民がそう考え、国家戦略上の重要ポストであっても、年輩の初入閣者にその座を与える愚作を繰り返してきた安倍内閣を甘受してきた。
だが、人材の配置によって、国難を克服する道が拓けることを今回のコロナ禍は明示した。
格好の例は台湾だろう。
いまや有名なエピソードになりつつあるが、いち早く中国本土での新型コロナ感染を察知した台湾政府は、今年1月末にマスクの輸出を全面禁止とし、全土のマスク工場を管理すると共に、中央健康保険庁がマスクを販売する薬局の30秒ごとの在庫データをネットに公開。ICチップを内蔵した健康保険証にマスクの購入履歴を記録し、買い占めや転売の防止に結びつけた。マスクの在庫データはスマートフォンのアプリで確認できるため、住民はどの店に行けばマスクを入手できるかが一目で分かるようになり、マスク不足は瞬く間に解消した。
こうした一連の「マスク配布システム」構築の中心人物は、デジタル担当政務委員(閣僚級)のオードリー・タン(唐鳳、39)。独学でプログラミングを学んだ後、米シリコンバレーで起業した経験もあり、2016年から蔡英文(63)政権の一員として行政サービスのデジタル化を担当している。
台湾とほぼ同時期にマスク不足が叫ばれるようになった日本では、官房長官の菅義偉(71)が2月初めから「マスク増産」を繰り返し表明した。しかし店頭には一向に商品は届かず、苦肉の策として、官邸主導で布マスク(いわゆる“アベノマスク”)を全国民に配布すると発表したが、感染防止効果に疑問があるうえ、早期に届いたマスクに虫や髪の毛が混じっていたことで評判は散々であることは記憶に新しい。それどころか、そんなアベノマスクでさえ、いまだに配布が完了していない。
市販のマスクは5月の連休明けにようやく都心の店頭に並ぶようになったが、アベノマスクは、今では日本の国力衰退の象徴として語られるようになった。
台湾だけではない。韓国では人工知能(AI)などを活用した技術開発をPCR検査の大幅な拡大に繋げ、いち早く感染抑止を成就した。
新型コロナ対策での「敗北」を認め、IT戦略はもとより、永田町・霞が関の政治家、官僚たちの抜本的な発想の転換を図らない限り、アナログ社会から抜け切れない日本の退潮は止められない。(敬称略)