村上春樹さんDJ「村上RADIO」緊急特別版の総指揮者が明かす「コロナ禍の奇跡」
オープン2シーターの村上さんは
「春樹さん、いつもより広い場所でやりませんか」
金曜夜の全国フルネット、22時から24時。通常の「村上RADIO」の倍となる2時間の枠を村上さんに提案すると、「そうか。じゃあ、もう少し曲を増やさないと」と、すぐさま追加のコメント入りのプレイリストが届いた。
『村上RADIOステイホームスペシャル~明るいあしたを迎えるための音楽』の骨子が固まった。「ステイホームスペシャル~明るいあしたを迎えるための音楽」というタイトルは、もちろん村上さん自身が考えたものだ。
それからまもなく天気のいい日、村上さんがレコードを抱えて、局に届けに来てくれた。KINOKUNIYAの紙袋に包んで。VANSのブルーのTシャツ、オープン2シーターの青色も空の青さによく似合っていた。
「ピカピカでしょう。時間があるから、クルマにワックスかけたんだ」と村上さんがはにかんだ。
換気のために会議室の窓を開けると春の強風が入り込んで選曲シートが舞い、いささか強すぎる「風の歌」を聴きながらオンエア楽曲の説明を聞いた。お互いにマスク姿で。
コロナ禍に再読する『コレラの時代』
緊急特別版は春樹さんの自宅書斎で収録された。
書斎に所蔵の膨大なコレクションから、“明るいあしたを迎えるための音楽”を、そして全国のリスナーと読者から募集した「いま、村上春樹さんと語りたいこと」「村上春樹さんと考えたいこと」のメールに向き合い、時にユーモアを交えながら、村上さんならではの知恵や「明るいあしたを迎えるための」希望の道筋を語りかける内容になった。
「……『明るいあしたを迎えるための音楽』というのが今日のテーマです。もやもやと溜まっている憂鬱な気分を、音楽の力で少しでも吹き飛ばしたいですね。今日は僕の自宅の書斎から。会いたい人にも会えない、行きたいところにも行けない、やりたいこともやれない、そういうみなさんのために、少しでも元気の出る、心が和む音楽を選んでみました。うまく元気が出るかどうかあまり自信はありませんけど、がんばってみます」
DJの曲紹介で音楽は輝く。「村上RADIO」のプレイリストはいつも絶妙だ。音楽にはコードがあり、その転調に心を奪われ、ふと切なくなることもある。村上さんの選曲がクセになるのはそのツボがあまりに心地よいからだ。
リスナーからのメールは募集から短期間だったにもかかわらず1500本を超えたが、伝説のサイト「村上さんのところ」の時と同じように、村上さんは質問を丁寧に読み、真摯かつ軽妙に答えていった。
――感染拡大後、一番変わったことは、常に『自分が大切にしたいものはなんだろう』と問われている気がしていることです。今できること、できないことは関係なく。人やもの、趣味、すべてにおいて。村上さんはどうですか?(40代女性、のりぐま)
「大きな変化について話すのはけっこう大変なので、小さなことを話しますね。僕はここのところなぜか、万年筆とインクを使って字を書くようになりました。もう二十年くらい使っていなかった万年筆を抽斗(ひきだし)奥から引っ張り出しきて、新しいインクを買って、字を書いています。すると、なんだか気分がいいんです。ああ、字ってこういうものだったよな、みたいな懐かしさを感じます。だから、あなたもそういう日常生活における『小さな変化』を、リストアップしてみるといいと思いますよ。そうすれば、あるいは『大きな変化』も見えてくるかもしれません」
――コロナ自粛生活で休校が続き、夜更かしもできるので、読書三昧です。久しぶりにカミュの『ペスト』を読み直しています。春樹さんは『ペスト』はいかがですか?(60代女性、教員)
「僕は高校時代に『ペスト』を読みました。昔の文学青年はみんなカミュを読んでましたね。今はあまり読まなくなったみたいだけど、このコロナ・ウイルスのおかげでというか、再び読まれるようになったみたいです。僕は今、ガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』を再読しています。こういうことでもなければ2度目を読むことはなかったかもしれないですね。異様なほど激しい愛の物語です。これ、面白いですよ」
――休業要請のため、2週間ドーナツショップを休店していました。不要不急かといわれると、別に食べなくても、自粛生活には支障はないですよね、ドーナツは。ドーナツの穴だけでもショーケースに並べられたら、面白い『無』の陳列になったかもしれません。今は時間短縮ながら、営業再開しドーナツ作って、仕事終わりにビールを飲んでいます。小確幸です。(50代男性、玄界灘の羊男、ドーナツ店店長)
小確幸とは、村上さんによる「小さいけれども確かな幸せ」という意味の造語である。
「ドーナツ、たとえ何があろうと、何が起ころうと、世の中には絶対に必要なものですよね。ドーナツ本体ももちろん素敵ですけど、『ドーナッツの穴』という無の比喩も社会には欠かせません。ドーナツはいろんな意味で、世界を癒やします。がんばってドーナツを作り続けて下さい。僕は常に、ドーナツ・ショップの味方です」
北海道から沖縄まで、ラジオの前でじっと春樹さんの声に耳を澄ませているリスナーの姿が浮かんでくる。
――1人暮らしをしている学生です……ずっと家に1人でいるととても孤独を感じます。村上さんは強い孤独を感じたときに何をしますか?(23歳、女性)
「僕は1人っ子だし、1人でいることはもともとあまり苦痛じゃないんです。1人で本を読んだり、音楽を聴いたり、文章を書いたりしているのは好きです」と言いながら「でも若いときに1度、20歳の頃ですが、孤独の『どつぼ』みたいなところにはまっちゃったことがありまして、これはかなりつらかったです。本物の孤独というのはこれほど厳しいことなんだと、そのとき初めて実感しました。それは、『人は1人じゃ生きていけないんだ』ということ。人を求め、人に求められる。あなたもきっと今は、そういうことを学ぶべき時期にいるのだと思います。トンネルには必ず出口があります」
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