94歳「エリザベス女王」を支える「使命感」と「1日4食」の食習慣 饗宴外交の舞台裏(262)

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 この4月で94歳。終身君主の道を最高齢で歩み続ける英国のエリザベス女王がすこぶる元気だ。

 新型コロナウイルスの感染に用心して、ロンドン郊外のウィンザー城に自主隔離しているが、機会を見ては映像を通してメッセージを発信している。

 イギリス連邦の統合として生涯を全うしたいという使命感と、規則正しい生活と食事。これが女王の健康と長寿を支えている。

いまは我慢する時とのメッセージ

 エリザベス女王は欧州で第2次世界大戦が終結した5月8日(VEデー)に、テレビ演説を行った。75年前のこの日、女王の父ジョージ6世国王は、午後9時にラジオで国民向けの演説をしたが、女王もそれに倣って午後9時、ウィンザー城の、父の写真を飾った客間から約4分間、国民に語りかけた。

 あらかじめ録画された演説で、女王は多くの犠牲の上に今日の繁栄があると述べ、

 「決してあきらめない、絶望しない。これがVEデーの教訓でした」

 と説いた。そして大戦と、死者が3万人を超えた新型コロナとの戦いを重ね、

 「道路は空っぽではなく、人々の互いへの愛と思いやりで溢れています。……いまのわが国を見、そして人々が互いに守り、助け合っているのを見ると、(大戦を戦った)勇敢な陸海空軍の兵士はいまも英国を高く評価し、誇りに思ってくれる国であり続けていると自信をもって言えます」

 と語った。

 『BBC』の映像から語りかける女王は落ち着いたもの腰で、顔には艶と張りがあり、顔に刻まれたシワも品のいい銀髪も美しい。とても94歳とは思えない。グレーに近いブルーのシンプルな落ち着いた服に、抑えた真珠の首飾りと小粒の真珠のイヤリング。ブローチも地味なシルバー。いまは祝う時ではない、我慢する時、とのメッセージが服装からも伝わってくる。

 4月から6月にかけての1年で1番いい季節、英国では祝日や記念日が相次ぐ。4月21日の女王誕生日、VEデー、6月2日の女王戴冠記念日、6月6日のノルマンディー上陸作戦記念日――。本来なら人々は屋外に繰り出し、路上でパーティーや祝宴を楽しむが、今年はコロナウイルス問題ですべての自粛を余儀なくされた。

 またこの季節は国賓を迎える時期でもある。昨年6月は、ドナルド・トランプ米大統領が訪れた。今年もコロナがなければ、天皇陛下が即位後初の外国訪問として、皇后陛下と共に国賓で訪英し、大歓迎を受けていただろう。現在の上皇、上皇后と長年親交を結んできた女王は、息子世代の天皇陛下と雅子皇后に、君主の先達としてさまざまな教えと示唆をその振る舞いから伝えたはずだ。1921年、昭和天皇が裕仁皇太子として訪英した時、女王の祖父であるジョージ5世国王が裕仁皇太子に「君臨すれども統治せず」という立憲君主制のあり方を教え、大きな影響を与えたように。

「きっとまたお会いします」

 国内と外交の日程がすべてキャンセルされている女王だが、機会を見てはウィンザー城からメッセージを発出している。4月5日には、「コロナウイルスとの戦いにきっと成功する」と、ビデオメッセージで国民の団結と強い意思を持ち続けるよう呼びかけた。大戦中に英国で国民的応援歌として愛唱されたベラ・リンの「We’ll meet again」の歌詞を引用し、「きっとまたお会いします」とも述べた。女王が特別演説を行うのは、在位68年で5度目だった。危機にあって、ばらけがちな国民を結束させるのは自分に課せられた役割、との強い思いがのぞく。

 戴冠式記念日と重なる6月上旬には、例年「女王誕生日記念の叙勲者リスト」が発表されるが、英政府は女王と相談し、秋に延期することになった。ボリス・ジョンソン首相は、

 「現在の最優先課題はコロナウイルスとの戦いにあります。……叙勲は英国において特別な貢献をした人を対象としたもので、事態に取り組んだ人々の中でも中核的な役割を果たした人に与えられます。このことに鑑みて、女王は叙勲者リスト作成を秋まで延期することに同意された」

 と発表した。新型コロナとの戦いに貢献した人をリストに含めたいための延期であることが窺える。

実務の責任者はスー・シェフ

 こうした公的な女王の振る舞いの一方で、私の関心事は、果たして新任のスー・シェフ(料理次長)が、ロンドン郊外に自主隔離している女王に同行しているかということだ。というのは今年初め、バッキンガム宮殿は女王の日常食を担当するスー・シェフを公募していたからだ。

 宮殿のサイトにアップされた「スー・シェフ公募要領」によると、次のような料理人を求めていた。

1. 経験と一級の料理の腕前をもったシェフで、新しい挑戦を求めている人
2. 食材への広い知識をもち、伝統的なフランス料理を学んでいて、さまざまな機会に応じたメニューを構築でき、また大人数にも対応する自信があること
3. 強いリーダーシップは特に重要で、饗宴を企画し、周りの料理人を組織し、仕事を任せ、また彼らをやる気にさせて動かすためにも枢要である。
4. コミュニケーション能力があり、厨房において料理人仲間と効果的な協力関係を維持できること
5. 調理師法に通じ、それを遵守できること

 この5項目で特に目につくのが2で、求めているフランス料理のスキルも、軽めのヌーベル・キュイジーヌではなく、バターとクリームをしっかり使い、ソースも重めの「伝統的なフランス料理」であることだ。

 バッキンガム宮殿の饗宴料理の伝統から当然であるが、雇い入れるスー・シェフはフラナガン料理長の後任候補となる可能性も念頭に置いているのだろう。それまでいたスー・シェフが辞めるかして欠員となり、内部に候補者がいないこともあって外部に求めたと思われる。

 バッキンガム宮殿の厨房はマーク・フラナガン料理長をトップに約20人の陣容である。

 ただ、フラナガン料理長は宮殿の事務方ナンバー2の官房副長官を兼務していて、厨房以外のことにも目を配らなければならない。このため厨房の実務の責任者はスー・シェフになる。

 200人を超える国賓歓迎晩餐会では料理人たちを指揮し、前菜からデザートまで時間通り、いささかの遺漏もなくやり遂げ、一方で女王とフィリップ殿下の日常食も担当する。また今回のように、女王がバッキンガム宮殿以外の離宮に滞在する時は、宮殿を離れられない料理長に代わってスー・シェフが同行し、日常食を作る。

 雇用条件は、住み込みの週5日勤務。年休は33日。宮殿内のスポーツ、娯楽施設などは自由に使え、食事も無料。ただし住み込みの部屋代はとられる。給与について記載はないが、英紙によると約3万3000ポンド(約437万円)だという。責任と激務から考えて決して高給ではないが、バッキンガム宮殿のスー・シェフを務めたという経歴は料理人にとっては大きな魅力だ。

 この公募は2月12日に締め切られた。恐らく大勢の応募者がいただろう。その後、バッキンガム宮殿は何も発表していないが、応募者の中から条件に合いそうな人をフラナガン料理長らが面接し、3月末には決まったはずだ。

 新任のスー・シェフが研修を兼ね、女王に同行してウィンザー城に行っている可能性は十分ある。外交饗宴が入らないいまこそ、女王の日常食を作りながらじっくり学べるいい時期だ。料理の技術は高いだろうが、女王の好き嫌いや味覚の傾向、同じ料理でも宮殿で踏襲されている作り方がある。さらには英王室の食のしきたりなど学ぶべき事柄は多い。

無駄や浪費、贅沢が嫌い

 女王は「1日4食」である。朝、昼、晩の3食以外に、英国人に欠かせない午後のティータイムにサンドイッチをつまむ。しかしこのサンドイッチはそれなりに完璧なやり方で作らねばならない。

 1990年代初め、宮殿で料理人だったオーエン・ホジソン氏は、働き始めた頃に料理長が教えてくれたツナ・サンドの作り方に仰天した。

 「長い食パン1本を縦に何枚かに切り分けます。大きな長方形のパン切れの2枚両方にバターを塗ります。片方だけではダメなのです。そのバターを塗ったパン切れにマヨネーズで和えたツナを乗せ、薄く切ったキュウリをその上に。そしてほんの少しの胡椒。ツナを挟んだ2枚重ねのパンをさらに2つに折り畳み、パンの耳を切り落とします。そして8等分の三角形になるように切り分けます。パンの耳は厳禁、8等分の切り分け方と、宮殿の厨房は細部にこそ拘ります」

 と、ホジソン氏は英紙に語っている。このツナマヨにキュウリのサンドイッチはいまもって女王のティータイムの定番である。

 同氏がいた頃、主菜に添えられるマッシュルームには、英国特製の調味料マーマイト(イーストと野菜エキスのペースト)が一味加えられていたが、これも変わっていない。同氏によると、マッシュルームとマーマイトはどちらも旨味成分が多く、味に相乗効果を生み出し、女王のお気に入りだという。

 細部に拘る点では、女王の愛馬用のニンジンの切り方も決まっている。女王の指の長さに揃え、皮を残さずきれいにむく、が鉄則だ。

 「女王が馬にニンジンを与えていて指をかじられたら、ニンジンの切り方が短すぎたということで料理長の責任だ」

 現在、女王に食べたいものを聞くのはフラナガン料理長の役目である。赤い色の革で装丁されたメニューを週2回、女王の下に持参する。さまざまな料理が箇条書きされていて、女王は食べたいものの冒頭にバツ印をつけ、興味がないものには横線を引く。それを元に料理長は数日間の献立を立て、厨房に伝える。

 フラナガン料理長をはじめ、ホジソン氏ら歴代の料理人が異口同音に指摘する女王の食の傾向は一致している。

 「美食家ではなく、食習慣はほとんど変えず、料理は定番を好む」

 「贅沢はせず、質素なこと」

 「健康を考え、食は軽めで抑制的」

 定番でいえば、アイルランド風ビーフステーキ、舌平目のムニエル、鶏のローストなど当たり前の料理が度々主菜になる。付け合わせはポテト以外の野菜。サンドイッチや朝のトーストを除き、女王はお米やパスタ、ポテトなどの炭水化物を取らないようにしているからだ。野菜は付け合わせのほか、サラダでも多く取る。ビーフステーキはウェルダンで、人と接することを考えて、ニンニクはご法度だ。

 女王はトリュフに目がないが、ふだんは出させない。唯一、クリスマス・シーズンに市民から献上されると、使用許可が厨房に下りてくる。料理に添えられて使わなかったレモンも、捨てずに次の時に出すよう指示がくる。戦前派の女王は戦争中の物資不足も経験し、無駄や浪費、贅沢が嫌いなのだ。

 皿に料理を残すこともない。逆にいえば女王が無理して食べなければならないほど多めに盛ったり、重い料理を出したりするのでは失格だ。新任スー・シェフが外交デビューするまでに学ばねばならないことは山ほどある。

 英国はナチス・ドイツとの対立が深まっていた1936年12月、エドワード8世が退位してヨーク公が国王ジョージ6世として即位した。これに伴い、国王の当時10歳だった長女エリザベス王女(現在のエリザベス女王)が王位継承権者第1位となった。

 1947年21歳の誕生日の時、彼女は最初の外遊地である英自治領だった南アフリカのケープタウンにいたが、ラジオを通じてこう述べた。

 「すべての人々を前に、私は自分の人生が長かろうと短かろうと、すべての人々のために捧げることを誓います」

 否も応もなく、10歳から植え付けられてきた使命感だった。長寿の相当の部分を、この使命感と食習慣が支えてきた。
 

西川恵
毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員を経て、2014年から客員編集委員。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。著書に『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』(新潮新書)、『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『ワインと外交』(新潮新書)、『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。

Foresight 2020年5月29日掲載

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