石田純一が語る「コロナ肺炎地獄」からの生還 “医師は「もうダメなんじゃないか」と…”

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 新型コロナウイルスの犠牲者が高齢者に多いことを考えれば、石田純一(66)も危険にさらされていたと言っていい。実際、一時は息子宛てに遺言までしたためながら、幸い退院がかなったいま、生還するまでのすべてを語った。

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 不注意で見通しの甘い行動により、多くの方々にご迷惑、ご心配をおかけしたことを、深く反省しています。5月12日に退院して1週間が経ち、おかげさまで体調はよくなってきましたが、あと2週間は、週に1回、採血や経過報告のために通院するほか、自宅で隔離生活を続けます。

 感染経路は、実はよくわかっていません。ひょっとしてここで、と思ったのは4月5日、北関東でゴルフをしたときです。2組8人でプレーした後、デリバリーを頼み、みんなで食事しまして、いま思えば軽率でしたが、日本酒やワインを利き酒のように回し飲みしたんです。

 4月11日、沖縄に滞在していると、そのゴルフで一緒だった会社社長から「あのとき一人、熱があったんだって」と電話で伝えられました。でも、その人はPCR検査で陰性と確認されたので、感染したのはゴルフ場以外ではないか、といまは思っています。一緒にゴルフと食事したなかで陽性になったのは、僕とその社長だけで、しかも、その社長はいろいろな方に会う仕事をされているので、どこで感染したかわからないというのです。

 最初に症状らしきものが出たのは、4月12日でした。沖縄で僕が経営している冷麺店に顔を出したのですが、だるさを感じ、イマイチ元気が出ませんでした。ただ、そのときは1時間ほどでホテルに戻って、しばらく休憩すると、回復したんです。幸い、店のスタッフやお客さんにもうつさずに済んでいます。

 ちなみにその前日、沖縄のゴルフ場で倦怠感を覚えたかのように報じられていますが、このときはゴルフの調子が振るわず、うなだれていただけなんです。

 次に症状が出たのは、東京に戻った翌日、14日でした。朝、熱を測ると38・8度。周囲の勧めで3月中ごろからパルスオキシメーターを持ち歩いては、血中の酸素飽和度を測っていましたが、それまでは異変がなく、沖縄のホテル入り口の検温でも平熱だったので、本当に急でした。

 それでも、新型コロナウイルスへの感染が疑われるのは「37・5度以上の熱が4日続いたら」だと思っていたので、まだ様子を見ようと考えていたら、妻の理子が「とんでもない!」と言って、帰国者・接触者相談センターや保健所、伝手のある病院など、100回以上も電話をかけてくれたんです。僕の顔色が明らかに悪かったので、危ないと思ったそうです。ありがたかったですね。

 とはいえ、公的機関には電話が全然つながらず、医師からも「解熱剤を飲んで様子を見てほしい」と言われるばかり。結局、僕が懇意にしている順天堂大学医学部附属順天堂医院の先生に連絡し、診察の約束を取りつけました。

 妻の運転で順天堂に行き、パルスオキシメーターで酸素飽和度を測り、CTスキャンを受けましたが、酸素飽和度は90%まで下がり、CTでも明らかに肺炎の症状が見られたので、即入院です。その後、PCR検査を受け、翌日に出た結果は陽性。「まさか」と愕然とすると同時に、年齢が年齢なので、不安にもなりました。

 入院後の主な症状は熱、頭痛、息苦しさで、妻と電話で話すだけでキツく、途中で切ったこともありました。振り返れば軽い味覚障害もあり、差し入れにいただいたジュースの後味が薬っぽかったり、食事が塩辛く感じられたりしました。入院前、家の近所の工事現場を通ると少しゴミ臭く感じたのは、嗅覚異常だったのかもしれません。あとは軽い下痢くらいで、咳は全然出ませんでした。

 入院して4、5日経った真夜中、脈拍が160まで上がったことが一度だけありましてね。看護師さんには「大丈夫です」と伝えながら、妻のメールに、小2になる息子の理汰郎宛ての遺言を送りました。

 重症化すると、人工呼吸器や人工肺エクモを装着することになりますが、そうなると自分の力で呼吸もできません。もちろん、そこから回復する方もいますが、麻酔して意識がないまま戻らない方もいますからね。「地位が高い人やお金持ちが偉いわけじゃない。努力して新しい自分を獲得していくことが一番尊いんだよ」というような文面です。

 結果的に持ち直しましたが、そのときはICUの目の前まで行ったようで、退院時に看護師さんから聞いて驚きました。5月19日に病院に行き、あらためて医師と話すと、僕が入院したとき、肺の状態がかなり悪く、「もしかしたら、もうダメなんじゃないかと思った」と言われました。その後、僕が持ち直したのは、驚きだったそうです。

 入院して10日もすると平熱に戻り、以後は元気にすごしていました。久々に時間ができたので、本も8冊読みました。しかし血液検査の結果が芳しくなく、PCR検査で2度続けて陰性になって退院できるまで、1カ月かかりました。

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