「締め切りのある人生を生きて下さい」(古市憲寿)

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 歴史学者の佐藤卓己さんが教鞭を執る大学の卒業生に贈る言葉だという。佐藤さんとは1度しか会ったことがないのだが、折に触れてこのフレーズを思い出す。

 人によって、締め切りとは嫌なものだろう。『〆切本』(左右社)という書籍では、文豪たちがどんな言い訳を使って締め切りと向き合ってきたか(どう破ってきたか)が紹介されている。

 たとえば作家の高見順の日記はこんな具合だ。毎日、友人との食事や観劇には行っているのに、全く仕事が進まない。それで結局「どうしても書けぬ。あやまりに文芸春秋社へ行く」と諦めてしまう。ひどいな。

 しかし締め切りに文句を言う人たちが、何の時間的制約もなく名作を生み出せたかといえば、そうではないだろう。古今東西、名作を残したアーティストは一般的に多作である。漫画家の手塚治虫も締め切りを破ることで有名で、「手塚おそ虫」と陰口を叩かれていたらしいが、締め切りが数々の傑作を誕生させてきた。

 作家に限らない。もしあらゆる仕事に締め切りがなかったら、社会は回っていかない。新しい服が店頭に並ぶのも、雑誌が出版されるのも、電車が時間通りに動くのも、全ては締め切りがあるからだ。

 さて、このコロナ騒動でいつもより時間ができたという人も多いと思う。その間にどれだけのことができただろうか。

「時間がない」と言い訳をして、仕事が遅かった人がいる。僕の観察している限り、彼らがこの期間にバリバリと成果を上げたという話は聞かない。曰く「コロナのことが気になって仕事が手につかない」。問題は時間ではなかったのだ。

 それにしても、新型コロナウィルス終息の目処は立っていない。いわば、締め切りのない日々を送っているようなものだ。街を歩くと休業期間が「当面の間」と書かれたビラをよく目にする。「当面」とはいつまでなのか。

 震災復興であれば、少しずつでも社会が元に戻ったり、よくなっていく様子が見えた。今よりも1年後がマシになっていると自信を持って言えた。

 しかしコロナの場合、いつが最悪の状態なのかが見えにくい。この原稿を書いている時点で、実効再生産数から見る日本の流行のピークは3月末だと言えるが、そのうち第2波が来ない保証はない。

 悲観的な予想では、このような状態が2年から3年、中には10年続くのではないかと考える論者もいる。仮にそうなったら、仕事から恋愛まで生活様式はまるで変わるだろう。専門家会議が「新しい生活様式(恋愛編)」として「出会いはアプリで」「キスは決死の覚悟で」「セックスは年に2人まで」などの提案をしてくるかも知れない。

 現実的なことを言えば、社会に締め切りがない時代には、個人的な締め切りを多く設けたほうが精神衛生上いいのかも知れない。僕は週1度の、このエッセイの締め切りに感謝している(殊勝なことを言ってみる)。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年5月28日号掲載

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