山田吉彦(東海大学海洋学部教授)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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  四方を海に囲まれた日本には、疫病も国家の危機も海からやってくる。さらに国境問題=海洋問題だから、ロシアとの北方領土交渉、日本海での韓国との攻防、中国の海洋進出などにも、海からの視点が欠かせない。日本の海をどう守ればよいのか。海洋政策の第一人者による「海の安全」への提言。

佐藤 今ではほとんど話題に上らなくなりましたが、日本におけるコロナ禍の発端は、「ダイヤモンド・プリンセス号」でした。山田先生は海洋政策がご専門ですが、あの時、どのようにご覧になっていましたか。

山田 日本という国を象徴している出来事だと思いながら、事態の推移を見守っていました。日本の国難はこれまでも海からやってきました。疫病ということでいえば、古くは奈良時代に天然痘が大流行しています。これはおそらく遣新羅使か遣唐使か、いずれにしても大陸、朝鮮半島との交流から国内に入ってきた病気です。この時は、100万人以上が命を落としたという推計があります。

佐藤 それで聖武天皇が東大寺の大仏を造立させ、各国には国分寺を造らせましたね。

山田 ほんとうに大きな国難でした。現代でも戦後まもなく、海を渡ってきたコレラが大流行したことがあります。昭和21年夏のことです。中国大陸で蔓延したコレラが、引揚者や朝鮮半島からの不法入国者を介して日本中に広まりました。GHQは日本政府に対して早急な対応を指示し、政府は運輸省海運総局に不法入国船舶監視本部、九州海運局に不法入国船舶監視部を設置、監視船による警戒を始めました。これが昭和23年の海上保安庁創設につながります。

佐藤 コレラを防ぐのが、海上保安庁の始まりだったわけですね。そうした成り立ちの海上保安庁は今回、ほとんど前面に出てきませんでした。

山田 だから一部の幹部は、強い不満を抱えています。我々は岸壁で見ているだけだった、と。検疫体制の構築にしても、隔離の際の部屋割りにしても、彼らにはその道のプロだという自負があります。

佐藤 初動の段階で「このへんは海上保安庁にノウハウがありますよ」と、総理に耳打ちする人がいなかったのでしょうね。

山田 そうだと思います。海上保安庁が対馬や根室、石垣島などでやってきたことを考えると、彼らならもっと素早い対応ができたかもしれない。もともと検疫という仕事が根底にあって動いているわけですから。

佐藤 自衛隊も、陸上自衛隊は若干入ったということですが、海上自衛隊はあまり出てきていない。

山田 医療に関する特殊な部隊が船内に入ってはいます。また大型の自衛艦の中には病院機能を持っているものもあるのですが、大人数を長期間隔離できるほどの性能はなかった。それに自衛隊が率先して動くことに何かブレーキがかかっているような雰囲気もありましたね。

佐藤 国民の自衛隊に対するアレルギーは、もうないと思いますけどね。むしろ政府の方が、少数の反発する人々を、レンズを通したかのように大きく見ているのかもしれません。

山田 有効な手を打つにも、事前にあまりにも心配しすぎて、手遅れになったり、その選択肢自体を外してしまうことがあります。特に洋上でのコントロールは、国際法の制約もあって、それを国民がすぐに理解できるかわからないから尚更です。今回も的外れな批判がいろいろありました。

佐藤 船は国際法的な位置づけが複雑ですからね。

山田 最初は船がイギリス船籍であることを誰も言わない。船籍のある国を旗国と言いますが、ダイヤモンド・プリンセス号は旗国イギリスの管轄下にあり、本来なら、彼の国に責を問うべきところです。しかもイギリスは国策として大型客船を奨励し、自国の船籍にするようにしています。

佐藤 何か特別の措置をとっているのですか。

山田 税制上の優遇措置を与えています。あの中の乗員は、税制上のメリットがあって、1年の半分、183日間外洋上にいるとその期間の所得税が免除になります。

佐藤 なるほど。

山田 そして運航はアメリカの企業が行い、船長はイタリア人でした。船内の運営、秩序の維持は船長の責務です。船内での感染症の拡大を防ぐ義務は運航会社、船長、そしてイギリスにあります。

佐藤 しかし「浮かぶ監獄」だとか「拙い対応の見本」だとか、日本政府は激しい非難にさらされました。

山田 日本が検疫法により乗客、乗員に上陸の許可を与えなかったのは、やむを得ない判断です。その後、感染者がいる疑いがもたれたオランダの客船ウエステルダム号は、各地で入港を拒否されました。感染拡大の国際法的な責任は日本政府にはありません。むしろ国を挙げ、誠心誠意、対応に努めたと言うべきです。

佐藤 今回は船籍がはっきりしているから、まだよかったのではありませんか。便宜置籍の仕組みで、どの国に属しているかわからない船もたくさんあります。

山田 確かに税制や船舶管理で有利な国に船籍を置く便宜置籍が一般化しています。世界の外航船の約2割はパナマ船籍ですし、約1割はリベリア船籍です。海のないモンゴル船籍の船もあります。日本でも外航船の約6割はパナマ船籍で、日本船籍は1割に満たない。こうしたことから、外航船、旗国、運航会社、船長、沿岸国の役割が不明確になっています。旗国の責任が明確にならないのは、便宜置籍船制度があるからと言ってもいい。

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