コロナ禍の告白 実はノンケだった『薔薇族』伊藤文学編集長ロングインタビュー

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「伊藤文学はゲイを食い物にしている」

――単行本しか作ったことのない“ノンケ”が“ゲイ”の雑誌を作る。力を貸してくれたのは、2人のゲイだった。

 僕の呼びかけに、藤田竜さんと間宮浩さんという人が、声をかけてきてくれてね。彼らは、当時、『風俗奇譚』というSM雑誌に原稿を書いてたんだけど、SMの雑誌だからゲイの記事はわずかで、もやもやしてたんだろうね。

 僕はゲイ業界の事は分からないから、細かい企画とかは2人の力が大きかった。藤田さんは文章だけでなくて、写真も撮れるし、絵も描けるし、ほとんど編集長みたいな人だったから。彼と出会わなかったら『薔薇族』は登場しなかったと思う。

 だけど、ゲイの人は自由気ままなお天気屋で、怖くて電話ができなくなるくらい怒られたこともあった。それでも30年ずっと一緒にやれたのは、僕が辛抱強かったからかな(笑)

――もちろん、ゲイでない人間がゲイ専門の雑誌を作ったことに対する批判もあったという。

「伊藤文学はゲイを食い物にしている」ってね。当時の僕の気持ちは、『薔薇族』第2号の編集後記によく表れている。

《創刊号の文通欄には7人の人たちしかのせられなかったところへもってきて、全国から手紙が届けられ、渋谷区のH君などには百通にも及ぶ手紙がよせられましたが、その一通、一通を人に頼まず毎晩の日課として、これで仲間になればいいのになあと思いながら回送しました。二号には一挙に60人の仲間を求める手紙がのせられたのですから、これに手紙がぞくぞくと寄せられたらどういうことになるのか、気が遠くなる思いですが仲間を求める切実な手紙を読むと、なんとかしてあげなければと思うばかりです》

 つまり、立場の弱い人とか、差別を受けたり、偏見の目で見られている人の役に立とうという思いしかなかった。これは本当。そういう思いを持つようになったのは、隔世遺伝なのかもしれないね。僕の祖父の伊藤富士雄は救世軍の将校で、廃娼運動の活動をしていた。測量器械の工場長で労働運動をやっていたから、経営者との交渉経験を生かして、女郎を置いている廓屋の親父と掛け合うのが得意だったらしいんだ。

 女郎は金で貧しい農家から売られて、それで廓で働かされる訳だけど、歯ブラシからなにから全て廓屋の親父から市価より高い値段で買わされて、どんどん借金が増えていったんだ。祖父はそういう境遇にあった女郎たちを1000人近く救い出していた。そんなことをすると郭屋の親父は損するわけだから、当然怒る。やつらは暴力団みたいなのを雇って、救い出しに行った祖父を蹴ったり殴ったり。大けがをさせられたことも何度もあったらしい。

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