コロナ禍の告白 実はノンケだった『薔薇族』伊藤文学編集長ロングインタビュー
訪ねてきた全身緑色の男
1971年に創刊された日本初のゲイ専門商業雑誌『薔薇族』。同誌は70年代~90年代にかけて、日本のゲイコミュニティにとって欠かせない「バイブル」だったが、その初代編集長の伊藤文学氏(88)が、実はノンケ(異性愛者)であったことはあまり知られていない。米寿を迎えてもなお意気軒昂な伊藤氏に、当時の編集秘話を語ってもらった。
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いきなり薔薇族にたどり着いた訳じゃないから、順番に話さなくちゃね。僕の父親の伊藤祷一(とういち)は明治38年生まれで、根っからの文学青年だったんだけど、若いうちに父親を亡くして早稲田大学を中退して出版社に就職したの。戦後に第二書房という出版社を作って、下北沢の自宅が社屋になったわけ。そういうことで僕も駒沢大学を出てそのまま第二書房で働くことになったんだけど、金は父親ががっちり握ってて、給料ももらえないんだよ。
転機は僕が30歳くらいの時だったかな。第二書房の著者の1人で、当時有名な作家さんが亡くなって、父親が遺産の分配なんかを任されたんだけど、父親がその家の女中さんとできちゃったんだ。父親は元々、作家志望だから、出す本は短歌集とか詩集とか格調高いんだけど、あんまり売れ行きは良くなくてね。
それに加えて愛人ができちゃったもんだから、全く働かなくなってしまって。それで僕が1人で会社を切り盛りしないといけないとなったとき、小さい出版社はエロ本しかないと考えてね。当時は新潮とか文春とか一流の週刊誌とは別に、二流三流の雑誌も結構あったんだけど、そこで書いている作家さんなんかに声を掛けて、艶笑小話のような本を出すようにしたんだ。
――刊行したのは“夜”と“騎士”をかけた『ナイト・ブックス』というシリーズ。毎月1冊の刊行ペースだったが、これが大当たり。会社の業績も回復したという。
父親は「小さい出版社は製本代や印刷代を値切れない。節約できるのは著者の印税だけだ」というのが口癖で、ずるいんだけど、例えば5000部刷っても、著者には3000部しか刷ってないって言って、印税をごまかしていた。やりすぎたのか、中には製本屋にまで調べにいった著者もいたよ。僕はそういうやり方が嫌だったから、エロ本出すようになってからは、印税ではなくて、原稿を買い取りにしたんだ。出してる物は下品なんだけど、会社としては健全になるという何とも皮肉な話ではあるんだけどね。
――がむしゃらに“エロ本”作りに勤しんでいた伊藤氏。そんな彼のもとに、ある日、一人の人物が原稿をもって現れる。全身緑色という変わった身なりの男が、伊藤氏のその後を決定づけることになった。
がむしゃらにエロ本作ってたら、ある日、秋山正美さんという人が我が家を訪ねてきたんだけど、変わった人でね。背広から靴からネクタイまで全身緑色で、挙げ句の果てには原稿を包んだ風呂敷も緑色なんだよ。その秋山さんが持ち込んだのが、マスターベーションの「正しいやり方」を書いた原稿。あちこちの出版社に持ち込んだんだと思うんだけど、マスターベーションのやり方を出すとこは無いよね。だけど、その時僕はひらめいたんだ。
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