新型コロナ報道「実名」「匿名」米英・日本「落差」の根源
新型コロナウイルスは、21世紀前半の人類を襲った苦難として世界史に刻まれるはずだ。
そんな重大事を伝え記録するメディア報道に、日本と英米とで重要な違いがある。英語圏の報道では、ウイルスの犠牲になった普通の市民たちが名前や写真とともに多数紹介され、友人や家族の言葉が伝えられる。かたや日本で報じられる犠牲者は、セレブとエリートにほぼ限られる。一般の人々は「70代の男性」のように表現され、名も顔もない。なぜこんな落差が生まれているのか。
ともに生きてきた市民を悼む
〈ロンドン交通局元エンジニアのアール・ドルフィさん71歳は、末娘の結婚式に出た2~3カ月後にウイルスのため死亡した〉
〈元清掃員ステファニー・インスさん57歳と、その母親シャーリーさん78歳は相次いで同じ病院で亡くなった〉
〈ケニス・イェボアさん55歳はバス運転手で、誰とでも気さくに会話するおじさん〉
〈ローラ・ターナーヒューイットさんは、31歳だった。「いつも他の人のことを第一に考える親切な性格」の素敵な若い女性で、学習障害と健康上の問題があり支援を受けて暮らしていたが、感染して入院後、急速に症状が悪化した〉
記事には優しく笑うローラさんの写真が添えられている。こんな横顔記事をどこまでも連ねているのが、英高級紙『ガーディアン』のウェブサイトだ。
米国の新聞も同じ。ピュリツァー賞の常連、フロリダ州の『タンパベイ・タイムズ』は、「フロリダで私たちが亡くした方々」という犠牲者プロフィール特集を設置した。
〈州による死者の発表は冷酷な、拡大し続ける表だ。年齢、性別、郡。28歳のサラソタ郡の男性、101歳のマイアミ・デイドの女性――。でも私たちは彼らの氏名全てを、あるいは彼らがどんな人生を送ったかを、知らない。私たちが失ったフロリダ人のことを、タンパベイ・タイムズは伝えたいと思う〉
天下の『ニューヨーク・タイムズ』も、トランプ政権の迷走を暴露する政治記事の一方で、〈(死者統計の)数字に、名前と顔を加える〉と記し、命を落とした市井の人々の物語を詳細に報じている。新聞社がウェブ上に、社会でともに生きてきた市民を悼む献花台を設置したようだ。
「36人が死亡」だけで十分
日本でのコロナ報道では亡くなった人、症状と闘う人の名前や顔を私たちが知ることは通常ない。危険と隣り合わせで市民を守る医療従事者も匿名が多い。
コロナ報道といえば学者や専門家、官庁の幹部、政治家など、エリートの人々のイメージになる。普通の暮らしにこんなにも入り込んだ危機にもかかわらず、感染者や死者は数字でのみ現れる。
この国で多くの人がウイルスの危機を実感したきっかけは、志村けんさんの死だったはずだ。名前も顔もある人の死がついに語られたこのときが、「身の危険を強く現実的なものとして認識した出来事」だったとする人が、研究者らによる約3200人対象のオンライン調査で、最多の60.5%(複数回答)と報じられている。
その後、実名とともに死や感染が知られる人が続いたが、これまでのところ、女優の岡江久美子さんや外交評論家の岡本行夫さんの死、プロ野球阪神の藤浪晋太郎投手や俳優の石田純一さんの入院など、いずれもスポーツ・芸能関係者やエリートにほぼ限られる。
伝染病感染者は差別や偏見を受けるリスクがあることは事実で、配慮は当然必要だ。そのために匿名を原則とする報道機関の内部ルールが影響している可能性もある。
ただそれ以前に、一般市民は名前や顔を社会に出さないという慣行が、日本で急拡大している印象を受ける。犯罪被害者や災害の被災者を報じることへの非難が、とりわけインターネット上を中心に強まり、昨年は「京都アニメーション」放火殺人事件の犠牲者の実名情報は無意味で、それを報じるのは無思慮との声が上がった。「36人が死亡」だけで十分という指摘である。
「ひと」を属性でまとめず個として尊ぶ英米の報道とは異なっているが、実名忌避のこうした風圧が報道現場を萎縮させている可能性もあろう。実名顔出しでのメディア登場が無価値なものというならば、取材で丁寧にそれをお願いし、話し合う努力には見合わない。
匿名のバッシング
ネット上の声といえば、その一方で「目立つ者」「叩きやすい者」に匿名で襲いかかるバッシングもまた激しい。
帰省先の山梨県で感染が確認された後、東京の自宅に帰った20代の女性に対し、ツイッター上では激しい非難や、女性の身元と称する真偽不明の情報が多数書き込まれた。
ある全国紙デスクは私の取材に、
「ネット上のこうしたバッシングがあまりにも激しい。報道側としては、感染者に関する記事がバッシングにつながってしまっては大変だと、表現を必要以上にぼかす方向に行く。そうなると、必要な情報が社会に伝わらなくなってしまう」
と危機感を打ち明けた。感染がどんな場所で多発しているのか、感染者はどういう行動を取ったかを社会が知ることは、拡大防止や検証の観点でも大切なのに、情報を出すことがはばかられる。まして、感染者や死者のことを知り、横顔を語るということは、日本では無謀な危険行為になるのだろうか。
匿名でのバッシングをめぐっては、2014年に総務省が各国の1000人ずつを対象に調査した結果が参考になる。ツイッターの匿名利用者は、米国、英国、フランス、韓国、シンガポールでいずれも30~40%台にとどまるのに、日本では75%を超えた。
日本語ネット空間の極端な匿名志向は、ネット拡大期に人気を博した匿名掲示板「2ちゃんねる」(現5ちゃんねる)の作法の影響とも考えられる。
半面、そもそも現実社会において小中学校時代から人前で意見を言う教育が乏しく、むしろ目立てば叩かれ、「出る杭は打たれる」文化が反映したようにもみえる。一般の市民は公の場で名乗り、責任を負って発言するような立場ではないというのが、日本的な匿名志向の含意となる。
そんな中でも、ジャーナリズム現場の努力により、ごく少しずつではあるが名前や顔を明らかにしたコロナ感染者や遺族が語る報道も出ている。
しかし、もし彼らがバッシングを受けたら?
報道記者には、「そんなことは起きません」という保証などできないというのが現実だ。
「安易なところを出発点にしてはならない」
そうした冷厳な現実に向き合いながら、報道機関、報道記者が真実を伝える努力を重ねていることは、米英も日本も違いはない。
「取材相手が、報道後に嫌がらせや報復を受けるのではと不安を抱くことは多い。その際に記者がすべきことは、リスクも隠さず、その上で『嫌がらせ自体も続報にできる』と説明するなど、取材に応じてくれた人を見捨てず闘う態度をはっきりさせることだ」
これは実は、米記者たちが取材のため実践していることだという。
2016年、米ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれた「調査報道記者編集者協会(IRE)」の講座「どうやって取材に応じてもらうか」で、講師の1人、米『CNBC』テレビのディナ・ガストフスキー記者がそう説くのを聞き、私は意を強くした。
彼女はまた、
「実名顔出しで話していただいてこそ意味がある、と説得することが大切」
とも強調した。
「取材相手の人が、ぼかしを入れればカメラの前で話す可能性は常にある。だが、1人の記者として、決してそんな安易なところを出発点にしてはならない」
米英の市民は日本より遥かによく公の場で話す。それでも、記者は気楽に実名取材をしているわけではない。
なぜ実名顔出しが大切なのか。調査報道記者として米テレビ界の栄誉、エミー賞を3度も受賞したウェンディ・ソルツマンは、ミシシッピ大ジャーナリズム・ニューメディア学部の「ニュースラブ・プロジェクト」に対し、
「シルエットだけの(匿名の)インタビューは最後の手段」
と言い切る。ソルツマンはある消費者被害取材で、鍵を握る人物の実名インタビュー実現に何カ月もかけた。
「隠された人に対しては信頼度が下がる。証言者だけでなく、記者や記事の信頼度も、だ」
匿名報道は、長い目で見れば結局のところ、メディア不信の源泉になりうると警告するのである。
このこだわりを、報道記者は職業倫理として持ち続けるべきだろう。そうした報道側の姿勢が、不信と苛立ちが強まるコロナ禍の中にあって匿名社会への転落を防ぎ、人が正々堂々と意見を言える社会の基礎を固めていく一助になるのではないだろうか。