「こんな時に」か「だからこそ」か「改憲議論」の迷走 深層レポート 日本の政治(210)

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 新型コロナウイルスは日本国内での感染者増加のピークが過ぎ、減少傾向にあるようにも見えるが、再び感染者数が増加傾向に転じる可能性はあり、予断を許さない状況が続いている。

 政界でも当然ここ数カ月、話題はコロナ対策一色。経済政策や社会保障、安全保障、外交などすべての政策的なテーマがコロナ問題との関連で語られてきた。

 コロナ対策は今の国民の最大の関心事である。ということは、政治家の最大の関心事でもある。不謹慎な言い方になるが、このテーマで国民にどのような印象を残せるかが、政治家自身の将来を左右することになるからだ。

政治家が飛びつきたくなる「お得なテーマ」

 新型コロナの感染拡大で急激に失速した日本経済の立て直しのため、経済対策は喫緊の課題である。しかも、経済対策はコロナ関連の中で、政治家にとってお得なテーマでもある。

 資金繰りに苦しみ家賃や給与を払えない中小企業や個人事業主、休業などで収入が減少した生活困窮世帯――。

 こうした人々への支援を充実させることは、国民うけが良く、手柄を立てたい政治家が飛びつきたくなる政策である。

 当然、政治家たちの論争は過熱した。

 まず、専門家でなくとも誰もが考え付いたのが消費税減税だった。与野党の区別なく、これを掲げた政治家は枚挙にいとまがない。

 もともと「れいわ新選組」などのように、コロナ問題とは関係なく、以前から減税を求めてきた政党もあったし、政治家もいた。

 だが、これに冷や水を浴びせたのが自民党幹部らだった。

「消費税というものをつくった時にどれほどの苦労があったかということを考えれば、簡単にそういうことを発言する人は、そういうことを仮にした場合に、それじゃいつ元に戻すのか、この責任は誰が負うんですか、と逆に私の方から問いかけたいと思う」

 3月16日の役員会後の記者会見でこう発言したのは、自民党の二階俊博幹事長。

 消費税減税を実行するには、民間企業などの準備期間が必要になる。国民への周知期間も数カ月はとらなければならない。こうした観点から、岸田文雄政調会長や鈴木俊一総務会長も、同様に消極意見に傾いた。

 いまだに消費税減税論はくすぶっており、今後も議論は続くだろう。

メンツを潰された岸田政調会長

 一方、別の即効性のある有力案として浮上したのが現金給付と商品券配布だった。

 この2案はこの後、麻生太郎副総理兼財務相や二階幹事長、岸田政調会長、そして公明党の斉藤鉄夫幹事長ら与党幹部らの間で議論が分かれ、紆余曲折を経て最終的に「国民1人あたり10万円の現金給付」に落ち着いたことは周知の通りだ。 

 新型コロナウイルスが日本経済に与えた影響は深刻であり、その救済のために与野党の政治家が努力しているのは事実だ。

 ただ、その努力は自分のためでもある。国家的危機に際して、国民はどの政治家がどのくらい奮闘しているかをちゃんと見ている。良い政策を提示することが、国民の支持を集めることになり、政治家自身の将来にもつながる。

 特に次期首相の座を目指している岸田氏にとっては、コロナ対策は特別の意味を持っている。

 今回、いち早く「商品券配布」を否定して「現金給付」を主張しながら、最後は「1世帯30万円」を補正予算に盛り込むことまで導いたものの、土壇場で「1人10万円」の公明党案になびいた安倍晋三首相によってメンツを潰された格好の岸田氏は、これから続く「コロナ対策第2弾」とも言える第2次補正予算案の議論で主導権を握ろうと、必死になるだろう。

吉村知事は評価は高いが……

 何をどのように見せるかというイメージ戦略も政治家にとっては重要だ。

 コロナ対策で評価が高いのは、大阪府の吉村洋文知事である。東京と比較して、大阪では吉村氏のリーダーシップのもとで対策がうまく進んでいるというイメージがある。

 だが、感染者数の統計を見ればすぐにわかるように、大阪府は人口あたりの感染者数が全国的に見て決して良い成績とは言えない。

 東京や大阪は人口が多いので高めの数字が出るのだろうと考えるかもしれないが、大阪府よりも人口の多い神奈川県のほうが人口あたりの感染者数は少ないし、大阪府(全国3位)に続いて人口が多い愛知県(同4位)、埼玉県(同5位)も、人口あたりの感染者数は大阪より少ない。

 もちろん吉村氏がコロナ対策で懸命になっていることを疑う余地はないだろうが、イメージ先行という面は否めない。

緊急事態条項が曖昧な自民党案

 何でもコロナ対策と絡める政界にあって、憲法改正問題も例外ではない。与野党ともに活発な議論が展開された経済対策とは正反対に、こちらはコロナ禍においても停滞し、湿りがちだが、脚光を浴びた議論もある。

 国家的な危機における政府や国会の対応について規定する「緊急事態条項」を、憲法に盛り込むべきかどうかというものである。

 諸外国と比較して、日本のコロナ対策が緩いと感じられるのは、PCR検査体制などの医療面の弱さもさることながら、国民に対する国家の態度の緩さが目立つからである。

 日本では外出、移動、集会、商店の営業などについて、政府や地方自治体による部分的な自粛要請にとどまっているが、海外に目を転じれば、外出禁止命令、集会禁止命令、さらには違反者への罰則など、強硬姿勢で臨んでいる国も多い。

 もちろん、諸外国の例が国民に対する国家の適切な態度であると一概に断じることはできない。ただ、いざという時に、国家がどこまで国民の権利に踏み込んでいいのかということが明確になっていないこと自体が、日本の危機管理の脆弱性を示しているとも言える。

 自民党は2018年3月に憲法改正に関する「条文イメージ・たたき台素案」をまとめており、その中に緊急事態条項の創設を盛り込んでいる。

 その柱は、南海トラフ地震や首都直下型地震などの大災害発が発生する緊急事態に際して、

(1)国会機能を維持するための議員任期延長

(2)国会が機能不全に陥った場合に、内閣が緊急政令を制定できることを規定する

 などである。

 だが、任期延長以外の部分については、あいまいな表現が多い。

 例えば、今回新型インフルエンザ等対策特別措置法改正で議論になった緊急時の私権制限についても、自民党素案には「政令制定を認める」として盛り込まれていると言えば盛り込まれているのだが、具体的に何をどこまで想定しているのかは分からない。 

 政府がどの程度まで強権的に私権に踏み込めるのかも不明だ。

自民党案に注文をつけた馬場幹事長

 新型コロナウイルス感染と憲法改正を早い段階で結び付けて考え、自民党の「たたき台素案」に注文をつけたのは日本維新の会の馬場伸幸幹事長だった。

 馬場氏は1月28日の衆院予算委員会で質問に立ち、次のように述べた。

「自民党さんがイメージされているこの緊急事態条項は、国民が聞いても全くどういうことかよくわからない。国会議員の身分がどうこうというのは別ですよ。それ以外のどういう緊急事態が起これば、どういう発動がされるのか、何のためにされるのかということは、国民は全然分かってないと思うんですね。私も分かりません」

 そのうえで馬場氏は、

「新型コロナウイルスの問題はまさしく良いお手本になると思います。議論しながら、この憲法改正の緊急事態条項についても国民の理解を深めていくという努力が必要だ」

 と、たたみかけた。憲法改正論議の促進を訴えるとともに、自民党を挑発した質問だった。

 これに呼応したわけでもないだろうが、この後、自民党内では緊急事態条項の議論が活発化した。

 翌29日に、自民党の中谷元・元防衛相は派閥会合で、

「緊急事態にしっかり対応できるような措置ができるように、法律でできれば一番いいが、そういうものができないとなれば、そういうこと(憲法改正)も議論の必要があると思う」

 と発言し、他の議員も追随した。

2年も棚ざらしの国民投票法改正案

 本来、憲法改正問題は新型コロナがあろうがなかろうが、改憲に賛成だろうが反対だろうが、国会で粛々と話し合っていかなければならないテーマを含んでいる。

 たとえば国民投票法改正案については、野党も必要性を認めている。この法案が自民党、公明党、日本維新の会、希望の党の4党によって国会に提出されたのは、2年も前の2018年6月である。これを受けて、一時は多くの野党も審議に前向きの姿勢を示していたのだった。

 ところが森友問題、加計問題、河井克行前法相周辺の公職選挙法違反事件、果ては「桜を見る会」と、政府・与党に問題が持ち上がる度、野党はおよそ憲法改正とは関係がなさそうな事案であっても、それを口実として審議に応じない姿勢を示してきた。

 この結果、衆院憲法審査会は昨年11月以降、参院憲法審査会に至っては2年以上も実質的な議論が行われていない。

 そして、そこに降ってわいたのが新型コロナ問題である。政治家の習性だと言ってしまえばそれまでだが、与党も野党も憲法改正の議論を自身に有利な方向に導くためにコロナ禍を利用しようとした。

 自民党内の改憲推進派は、国家的危機に対応するためにはやはり緊急事態条項が必要だという理屈で、新型コロナをてこにして憲法改正論議の促進を唱えた。

 これに対して、憲法改正論議を停滞させたい主要野党側は、目の前にあるコロナ危機への対応が最優先であり、憲法改正を話し合う余裕はないし、緊急事態宣言の発令も現行法か特措法改正で対応可能だとした。

ようやく開催された幹事懇談会

 与党は、憲法審査会開催に向けた与野党幹事による懇談会の開催を2月に申し入れたが、野党はのらりくらりと話をそらし、議論に応じる気配を見せなかった。

 4月3日、衆院憲法審査会の与党側の筆頭幹事を務める自民党の新藤義孝・元総務相は、

「1週間単位でずっとこれまで開催をずらされているという状況。1カ月以上にわたって幹事懇開催に応じられないと一貫しておっしゃっている。(中略)4月になってもこのような状態で、もう到底受け入れられない。我慢の限界を超えている」

 と、といらだちを隠さず、その日の夕方、野党側筆頭幹事である山花郁夫衆院議員(立憲民主党)の部屋に向かった。

 直談判で憲法審査会開催を求める新藤氏に対して、いったん回答を留保した山花氏だったが、野党幹事団で協議した結論はやはり、

「今、コロナ対策でいろんな対応を優先してやっている中で、これを取り上げるのは適切ではない」

 だった。ゼロ回答である。

 公明党の高木陽介国会対策委員長は4月8日の記者会見で、

「この時期だから(憲法改正論議を進めよう)という意見と、逆にこういう時期じゃなくて平時に落ち着いた環境で議論する、という議論がある」

 と述べて、憲法改正論議の現状を分析してみせた。

 5月14日になってようやく幹事懇談会が開かれたが、緊急事態を受けて泥縄式に議論を進めようという自民党推進派の思惑に対して、今は緊急事態だからこそ緊急事態について話し合っている暇はないという主要野党の理屈は、いまだに平行線をたどっている。

 ここに1つの憲法改正私案がある。

「内閣総理大臣は、国家の存立と国民の生命の安全が危殆に瀕する恐れがある事態に際しては、法律の定めるところにより、国家緊急事態を宣言し、必要に応じて緊急命令を発布することができる」

 これは自民党案でもなければ、政府内で検討された文書でもない。現在の立憲民主党や国民民主党の多くの議員がかつて所属していた旧民主党、その代表を務めた鳩山由紀夫元首相が2005年2月に独自に発表したものである。15年も前の時点で、すでに鳩山氏は緊急事態条項の必要性を訴えていた。

「こんな時に改憲論議を進めるべきではない」のか、「こんな時だからこそ改憲論議を進めるべき」なのか。

 いずれにしても、「こんな時」でない時に改憲論議を進めておかなかった国会の怠慢のツケが、今になって回ってきたと言っていい。

Foresight 2020年5月19日掲載

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