為末大(Deportare Partners代表取締役)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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これからの五輪

佐藤 選手の意思決定ということで言えば、東京五輪の開催に関して、アメリカの水泳連盟がいち早く延期の要望書を出しました。どうして日本の選手たちは意思表明をしなかったのでしょうか。

為末 アメリカの陸上競技連盟も早かったですね。日本のスポーツ界からそうした意見表明はまず出てきません。アスリートファーストといっても、その声をまとめて意見表明する仕組がありませんから。

佐藤 他の国にはあるんですか。

為末 選手会がその役割を果たしていることが多いですね。選手会には寄付などもあり、財政的にも独立しています。でも日本の選手会は各協会の予算でやっていて、その協会がJOCと別の意見を表明するのは難しい。だから結局、選手たちの声は取り上げられない。

佐藤 大部分のアスリートは、かなり前から、この状況では予定通りの開催は難しいと考えていたはずです。

為末 その通りです。五輪に向けての調整はもう前年から始まっていて、7月以降の本番で全力を発揮できるようにメニューを組んでいます。たとえ7月に感染拡大が終息したとしても、3月時点でトレーニングが満足にできていなかったら、パフォーマンスが落ちる人も出てくる。すると100メートルが9秒台で決着せず、10秒1ということもありえた。その時、あっちの選手のほうが本当の実力では速いんじゃないかといった疑いが、金メダルに向けられてしまう。

佐藤 つまり金メダルの価値が下がる。また選手がヨーロッパやアフリカから来ないとなったら、メダルを獲っても輝かないですよ。

為末 延期に伴い今度は、誰を代表にするのか、という新たな問題も出てきました。いまの状況で完全に公平な代表選考は難しいでしょうから、スポーツ仲裁裁判所に提訴するケースも出てくるかもしれない。

佐藤 私がこの東京五輪で注目していたのは、AIとバイオテクノロジーの結びつきがどう表れてくるかということでした。選手の健康管理などにはその最先端の研究が使われているはずですよね。そこからトリクルダウンし(滴り落ち)て、いろんなビジネスにつながっていく。

為末 パラリンピックでは、走り幅跳びの義足の選手が、オリンピックの選手の記録を超えつつあります。非常に高いパフォーマンスを引き出せるギアが作れるようになった。今後、こうした世界新記録をどう扱うかを考えなくてはいけないですね。また、バイオテックの領域だと、これからは遺伝子治療の技術を用いた遺伝子ドーピングが出てくる。

佐藤 ゲノム編集で筋力を向上させた場合、それをドーピングと言えるのか、非常に難しい問題になります。

為末 以前のドーピングは体に悪い薬物の投与というシンプルな話でした。でもより健康体になり、より強くなるような取組をドーピングと見なすかどうか、つまり人類の人為的進化をどう考えるかという問題になる。

佐藤 それに比べると、ロシアのドーピングは単純な話ですね。彼らが言うには「我々はドーピングを抜く技術の開発を怠ってしまった」と。

為末 あはは(笑)。

佐藤 かつてはきちんと抜けていたのに技術力が落ちた。それである時から検体自体をごまかすようになった、というわけです。あの人たち、まったく反省してないですからね。

為末 その段階ならわかりやすい。でもいまはアンチエイジングの技術が転用されているので、ドーピングは体に悪いと一概には言えなくなってきました。

佐藤 私だって血圧降下剤を飲んでいますから、日常的にドーピング状態ですよ。だからここはどんどん変わっていくと思いますね。

為末 五輪は表面上、とてもクリーンですが、その歪みが出てきています。そもそも五輪憲章が有名無実化しているところもある。例えば、国にはメダルを授与しないと書いてありますし、政治的なパフォーマンスも禁止とあります。それなら国歌が流れるのも国旗掲揚もおかしい。また難民選手団は政治的なパフォーマンスじゃないか、となります。

佐藤 国に授与しないんだったら、国ごとのメダルの集計もできない。

為末 やっぱり五輪を活用して何かやろうとすると、プロパガンダまでいかないにしても何らかのメッセージ性は帯びます。だからそこはあまり厳しくしなくてもいいのかもしれない。社会の流れの中で、政治性についても、バイオテックの問題にしても、今後は大きく変わっていかざるをえないのだと思いますね。

佐藤 そこはやはり本音と建前のバランスですよ。

為末 五輪が変わると、スポーツ界全体も変わってきます。これからどうなっていくのか、いまは大きな転換期にあると思います。

為末大(ためすえだい) Deportare Partners代表取締役
1978年広島県生まれ。法政大学経済学部卒。大阪ガスを経て2003年プロ転向。01年のエドモントン世界陸上の男子400メートルハードル銅メダルは、短距離種目で日本人初。05年ヘルシンキ世界陸上でも銅メダルを獲得した。五輪はシドニー、アテネ、北京に出場。12年に引退。(一社)アスリートソサエティ代表理事も務める。

週刊新潮 2020年5月7・14日号掲載

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