検察庁法改正案抗議ツイートは500万件超 SNS世論は「民意」となり得るのか

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 5月8日から11日にかけて「検察庁法改正案」に抗議の意思を示す議員や著名人のツイッターへの投稿が相次いだ。そのハッシュタグは「#検察庁法改正案に抗議します」。

 その間、投稿数は500万以上を記録した。

 

 500万。大したツイート数である。

 この記事ではスパムツイートによる水増しも調査したところ約4・87%程度というから、仮に5%が「水増しツイート」だとしても、約475万のツイートがあったことになる。

 しかし、そもそもSNSによって集められた「世論」とは、いったいどこまでが「民意」として客観的に通用するものなのだろう?

『武器としての世論調査――社会をとらえ、未来を変える』(ちくま新書)の著者で、長年にわたり世論調査を検証してきた三春充希氏は自身のツイッター(@miraisyakai)でこう語る。

「ネットの調査は答えたい人が群がって答えているだけなので、いくら回答が多くてもダメです。世論調査は無作為に聞かなければなりません」

「ネットのアンケート調査は答えたい人が群がって答えているだけなので、いくら回答が多くても何の価値もありません。選挙結果とも整合性はありません。科学的な世論調査は、有権者を対象にランダムに聞くから意味があり、選挙とも整合するのです」

 これらのツイートはネットでの支持政党アンケート調査に関することではあるが、“答えたい(ツイートしたい)人が群がって答えているだけ”という点では、SNSにも同じことは言える。

 こうした社会調査的視点では、SNSによって集められた意見はいくらその数が多くても全体を代弁するような「民意」とはなり得ないということになる。

 しかし、だ。

 例えば500万でも1000万でもいいのだが、そうしたものに客観性があろうとなかろうと、あるいはそれが署名活動によって集められたものであれ、ツイートされたものであれ、一応一定数の「民意」であることに間違いはないのではないのか。それを政治側が一切無視などできるものだろうか。そうした民意には何かしらの法的意味合いはないのだろうか……。

 そうした「民意」と政治、法にまつわる疑問を『弁護士法人横浜パートナー法律事務所』の代表弁護士・大山滋郎氏に聞いてみた。

― 例えば「署名活動」によって集められた民意は、法律的にはどんな意味合いを持つのでしょうか?

「そもそも『民意』というもの自体が、立憲民主主義という立場をとる以上、選挙による民意以外、それほど意味がありません。もちろん、言論の自由があるので、好きなことは言えます。請願権があるので、政府に意見もできます。しかし、それを採用するかどうかは、政府の裁量です」

―そうした「民意」がツイッターやフェイスブックなどのSNSで相当数(例えば1000万など)集められた場合、現在の法的観点から見て、こうした「多数の民意」とはどんな種類の法的カテゴリーというか、どんな扱いになるのでしょうか?

「SNSやネットによって集約された『民意』も、上記の署名活動によって集められたものと同じ『民意』となるので、その扱いは変わらないです」

―では、結局そうしたものはすべて“それほど意味のないもの”として扱われるのでしょうか?

「いえ、それは違います。そうした民意が次回の選挙に影響すると判断されると認識されれば、事実上、政治に対して強い効力を生みます。つまり、そうした「民意」を次の選挙までつなげることができれば、いくらでも政策を変えることができます。

 逆に言うと、それさえできない『民意』なるものを、本気で重視する必要があるのかという疑問が生じるのです。

 また『民意』と言っても、一括りにはできないのです。

 憲法前文は、『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し』という言葉から始まっています。間接民主主義、議会制を取ることを、一番最初に明確にしたのです。

 これは戦時下に、軍部主導の『民意』に強く影響され、『不拡大方針』を撤回のうえ、戦争に突き進まざるをえなかった過去の政府を反省した規定でもあります。

 海外でも、ナチスドイツが選挙に基づく政治を否定し、直接の「民意」がユダヤ人迫害や、侵略戦争へとつながっていったという歴史もあります。
 過去には、そんな『民意』もあったのです」

「民意」は力を持つことができる。しかし「民意」がすべて正しいわけではない。むしろ、「民意」こそが致命的で破壊的な選択をすることも時にある。歴史的にもそれははっきりしている。大山弁護士はそういうことを説明したかったのだと思う。

 今回の「検察庁法改正案」について言えば、改正内容自体に様々な問題が含まれているにも関わらず、コロナ禍の中でこの法改正を異常なスピードで進めようとしていると思う。この法案をこのタイミングで急いで成立させなければいけない理由は、私も全く理解できない。

 しかし、だからと言って、ある政治家が憤って国会で発言した「検察庁法改正案に500万人もの人が“反対ツイート”をしている。この民意を無視するのか!」という言葉では、それを言われた側の政治家におそらく痛みはさほどない。

 なぜなら、SNSによって集約された「多数の民意」とは、社会調査的にも法的にも“民意を反映した客観的なデータ”として扱いようがないものだからだ。

 その数がいくら集まったとしても、まずは冷静にそう理解することが先決なのだと思う。

 しかし、先の大山弁護士の説明にもあった通り、500万人の「SNS世論」が力を持つための方法はある。この民意を何とか次期選挙まで継続させ、今回の件で言えば「検察庁法改正案」に賛同した政党や政治家を「民意」で落としまくればいいのだ。

・SNSがその拡散力と共有力で「民意」のベース部分を作り上げる。
・そのテーマに関して、テレビ・新聞などのマスコミや調査機関が反応し、無作為抽出的な世論調査が実施される。
・各社世論調査により、客観的民意が浮かび上がる。このテーマは次期選挙の論点にならざるを得ない。
・政党や政治家はこの民意を汲んだ公約をするようになる
・このテーマに言及しない政党や政治家は、選挙で落選させる。

 こうしたプロセスでなら、「SNS世論」が最も得意とする「民意の基礎部分の集約とその共有」の力を生かすことができる。

 しかし、何の見通しもなくその場その場でいちいち腹を立て、「#○○は許さない」などというハッシュタグを書き込むような習慣を持つ人が過剰に増加し、そうしたハッシュタグがSNSに溢れることが当たり前になってしまえば、さらに自分たちの社会が息苦しいものになってしまうのだと思う。

尾崎尚之(@YuuyakeBangohan)/編集者

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月16日掲載

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