「医系技官」が狂わせた日本の「新型コロナ」対策(上) 医療崩壊(36)

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「新型コロナウイルス」対策が迷走している。

 政府は5月6日に期限を迎えた緊急事態宣言を5月いっぱい延長した。その上で本日(14日)、「特定警戒都道府県」以外の34県に対しては宣言を解除する方針を発表する見込みである。

 中国、韓国は勿論、欧州や米国も感染拡大はピークアウトし、問題となっているのはアフリカ、トルコ、ロシアなどだ。なぜ、日本ではこのような議論の迷走が起きているのだろうか。

 私は、議論の前提、つまり厚生労働省が発表する感染者数に問題があると考えている。ご興味がある方は、以下の拙文をお読み頂きたい(『PCR躊躇しまくった日本がこの先に抱える難題』東洋経済オンライン)。

 本稿では、厚労省がなぜこのような判断をするか、その背景について考察してみたい。

「東大」なき「クラスター対策班」

 最近の議論をリードしているのは「クラスター対策班」だ。これは厚労省の新型コロナウイルス対策本部に属する総勢30人程度の組織である。

 この組織は、国立感染症研究所が担当する「データチーム」と東北大学が担当する「リスク管理チーム」に分かれ、「リスク管理案の策定」が本務だ。組織図を図1に示す。

 この2つの組織以外に国立保健医療科学院、国立国際医療研究センター、北海道大学、新潟大学、国際医療福祉大学などが協力している。

 オールジャパンに見えるが、この手の研究につきものの東京大学の名前がない。

 誤解を与えないために言っておくが、私は他大学が東大より劣っていると言いたいわけではない。政府と密接な関係である東大の名前がないことは、この集団を考える上で示唆に富むからだ。組織は畢竟人事である。

 クラスター班の影響力は絶大だ。

 4月15日、記者会見を開き、検討結果を公表した。彼らは、まったく対策をとらない場合、最悪で約41万8000人が亡くなると予想し、「接触8割減の徹底」を求めた。

 安倍晋三政権は翌16日、4月7日に東京、大阪など7都府県に発令していた緊急事態宣言を全国に拡大する方針を明らかにした。

 記者会見を仕切ったのは西浦博北海道大学教授(理論疫学)だ。最近では「8割おじさん」の愛称で親しまれ、テレビでその姿を見かけない日はない。

 多くのメディアが彼らを支援する。『NHK』は4月4日、11日の2週にわたり、西浦教授と押谷仁東北大学教授(ウイルス学)を中心としたクラスター班の活動を『NHKスペシャル』で紹介した。

 西浦教授は押谷教授と共に啓発活動に余念がない。4月15日には「対策の根幹をなすクラスターの早期発見・防止拡大と、発生防止のための様々な対策に関する事項について、より詳細にお伝えする」ため、厚労記者会会見室で意見交換会まで始めた。今後、定期的に開催するという。

 このような振る舞いは研究者としては異例だ。霞が関と記者クラブの関係は多くの癒着を生んできた。研究者が記者クラブと昵懇になることは、ピアレビューを基本とするアカデミアが一線を超え、行政の一員と化していることを意味する。

 記者クラブは霞が関の主張を、そのまま報じる。裏とりの必要がなく、手間が省ける。海外メディアのように独立した識者のコメントを取らないことが多い。

 新型コロナ対策でも、記者クラブは彼らの主張をそのまま報じるが、冷静に考えれば、その主張には矛盾が目立つ。筆者が理事長を務める医療ガバナンス研究所に出入りする大学生は、

「新型コロナが蔓延し、40万人も死ぬなら、クラスターを探しても意味がないのでは」

 と疑問を呈する。

 西浦教授が前提とするモデル自体に疑問を投げかける専門家もいる。

 情報工学を専攻する大澤幸生東京大学大学院工学系研究科教授は、

「私は関連する論文も拝読した結果、やはりモデルが単純すぎて混乱してしまった」

 と述べている。詳細を知りたい方は、以下をお読みいただきたい(『MRICメルマガ』2020年5月2日『「禁三密」「8割減」では動けない ~社会ネットワークシミュレーションの結果から~』)。

問題は「院内感染」なのだが

 私は情報工学の専門家ではない。臨床医として気になるのは、対策の優先順位だ。

 日本で新型コロナが問題となっているのは院内感染だ。4月14日時点で、国内では162人が死亡しているが、64人が病院あるいは高齢者施設だ。厚労省がPCR検査を規制してきたため、院内感染が蔓延した。「接触8割減の徹底」は院内感染には効かない。

 なぜ、こんなことになるのだろう。

 それは新型コロナ対策の中核を基礎医学者と数理学者が担っているからだろう。落ち着いて考えてみれば、これはかなり異様だ。

 プロ野球で、監督に代わって、トレーナーとデータマネージャーが記者会見を繰り返しているようなものだ。新型コロナ対策で優先すべきは国民の命であり、ウイルス学もモデリングも判断する際の1つの基準に過ぎない。

 ただ、2人とも医師免許は持っている。押谷教授は1987年に東北大学、西浦教授は2002年に宮崎医科大学(現・宮崎大学)を卒業した医師だが、臨床経験は研修医やレジデントだけだ。指導医の元ではなく、主治医として患者を担当した経験はないだろう。

 私の個人的な経験から言って、この差は大きい。最終的に責任を取る立場と、指導を受ける立場は全く違う。

 院内感染が起こればいかに管理が難しく、どれほど多くの患者が亡くなるか。その際、主治医はどのような立場に立たされるかなどは経験したものでなければわからない。骨髄移植を専門としていた私は、数名の患者を院内感染で亡くした苦い経験がある。遺族に説明する際の気まずさ、民事訴訟となる可能性など、当時のことは今でも鮮明に覚えている。

 院内感染対策は、早期発見・早期隔離を繰り返すしかない。ところが、クラスター対策班は、このような配慮が皆無だった。「クラスターの早期発見・防止拡大」さえすれば、PCR検査は不要という立場をとり続けてきた。

 3月22日に放映された『NHKスペシャル:“パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~』に出演した押谷教授は、

「すべての感染者を見つけなければいけないというウイルスではないんですね。クラスターさえ見つけていれば、ある程度の制御ができる」

「PCRの検査を抑えているということが、日本がこういう状態で踏みとどまっている」

 と述べている。その後、私の知る限り、押谷教授は、自らの学説が間違いであったとは認めていない。

最新の研究を盛り込まない「対策」

 多くの研究により、このウイルスの見方は変わってきている。

 このウイルスは潜伏期間にも排菌され、周囲を感染させる。特に症状が出る直前の1~2日間に排菌量が多い。

 ウイルスは鼻腔・咽頭だけでなく、唾液や便にも含まれる。その際、従来の接触、飛沫から感染するだけでなく、エアロゾルのような形で長時間にわたって空中を浮遊し、周囲の器物に付着する。このような粒子が感染力を持つ。

 4月27日には中国の武漢大学の研究者が、病院の患者用トイレが新型コロナの浮遊RNAの溜まり場だったと英『ネイチャー』誌に報告している。

 一方、同じく中国の研究者が、記録が残る7324人を調べたところ、1例を除き全例が屋内で感染していた。屋内でのエアロゾルによる感染対策が重要であることがわかる。

 このような研究は、専門家会議が提案した「3密」対策の重要性を支持する一方、濃厚接触者にウェイトを置いたクラスター対策の限界を示している。早急に方向転換すべきである。

 世界は、このような最新の研究を新型コロナ対策に盛り込んでいる。たとえば、PCR検査の検体採取方法だ。

 米ラトガース大学とエール大学は、鼻腔や咽頭拭い液のかわりに唾液を用いたPCR検査を行ったところ、ラトガース大学はほぼ同レベル、エール大学は唾液の方がウイルス量は約5倍多かったと報告している。

 PCRに用いる検体が唾液で良ければ、尿検査の要領で患者が自ら採取すればよい。検体採取に伴う医療従事者の感染リスクは激減する。

 かくのごとく現場で試行錯誤を積み重ね、適切な方法が普及する。

 ところが日本の新型コロナ対策では、このような議論は少ない。

 多くの患者が院内感染で命を落とし、多くの国民が緊急事態宣言で失業した現在、その見通しの甘さを国民に謝罪するならともかく、「このままでは40万人以上が亡くなる」と国民を脅すなどあり得ない。なぜ、こんなことが罷り通るのだろうか。

 それは押谷教授や西浦教授が医系技官の主張を代弁しているからだ。私は迷走の主犯は医系技官だと考えている。

 その証左に、4月18日に開催された「第94回日本感染症学会学術講演会 COVID-19シンポジウム――私たちの経験と英知を結集して」で、押谷教授は、

「厚労省の検査基準(37.5度以上の発熱4日間以上など)の決定には私もクラスター班も一切関わっていない」

「2月25日にクラスター班が発足した時点で、厚労省の診断基準はすでに決まっていた」

 と説明している。

 勿論、だからと言って、彼らが免責されるわけではない。彼らは表だって反対した訳ではないからだ。

 では、検査や診断の基準を決定した厚労省の医系技官とは、どんな人々なのだろう。それは医師免許を持つ厚労省のキャリア官僚だ。次官級ポスト1つ、局長ポスト1つを有する総勢約200人の一大勢力である。

 彼らは世界に例を見ないユニークな存在である。高級官僚になるのに、その能力が問われないからだ。

 どういうことだろうか。

 それは、医系技官は医師国家試験に合格しているという理由で公務員試験が免除されているからだ。医系技官の希望者は少なく、

「基本的に希望すれば、余程大きな問題がない限り、採用される」(元医系技官)

 別の元医系技官は、

「志望者の中には医局内での競争についていけなかった落伍者も少なくない」

 という。

 勿論、医系技官の中にも優秀な人材はいる。ただ、その数が少ないので、重要性が高い特定の部署・ポストに集中的に登用される。それは保険局医療課と医政局だ。医系技官の中でのエリートは、この2つのポストを歴任するのが恒例だ。

 現在、医系技官のトップは鈴木康裕・医務技監だ。2017年7月に新設された次官級のポストで、鈴木氏はその初代である。医系技官エリートの典型で、1984年に慶應義塾大医学部を卒業し、保険局医療課長、医政局研究開発振興課長などを歴任した。

 健康局長の宮嵜雅則氏も慶大医学部卒で、鈴木氏の3年後輩だ。保険局医療課長や医政局医師臨床研修推進室長を歴任して、昨年7月に局長に昇格した。

 残る医系技官の幹部は総括審議官の佐原康之氏と審議官の大坪寛子氏、迫井正深氏だ。

 佐原氏は保険局医療課課長補佐、医政局研究開発振興課長、迫井氏は保険局医療課長、医政局地域医療計画課長などを歴任した。

 大坪氏は和泉洋人首相補佐官との不適切な関係が週刊誌で話題となった人物で、改めて説明する必要もないだろう。本省の課長ポストを経験せず抜擢された。

 保険局医療課と医政局が花形のポストであるのに対し、

「公衆衛生と国際畑は日陰のポスト」(厚労省関係者)

 とされる。その中には、国立国際医療研究センターなどのナショナルセンター、地方厚生局、検疫所、さらにWHO(世界保健機関)や国立感染症研究所が含まれる。まさに、新型コロナ対策を担当する部署である。

 そして、厚労省本省で新型コロナ対策の中心的な役割を担うのは、健康局結核感染症課だ。そのパートナーが国立感染症研究所である。

 健康局結核感染症課の問題については、総合情報誌『選択』5月号に興味深い記事「日本のサンクチュアリ 厚労省・結核感染症課」が掲載されている。ご興味のある方はお読み頂きたい。(つづく)

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

Foresight 2020年5月14日掲載

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