新型コロナで「弾劾」「暴動」「デフォルト」という中南米「未曽有の危機」
新型コロナウイルスの感染が中南米で最初に確認されたのは2月26日、ブラジルにおいてであった。
それから2カ月余、感染拡大が続き、中南米全体で感染者数は36万人、死者の数は2万人を越えた。1週間で倍増する勢いこそ弱まったが、終息の目途は立たない。
汎米保健機構(PAHO)の発表(5月9日現在)によれば、感染者数が最も多いのは、人口2億人を抱えるブラジルで、感染者数は15万5939人、死者数は1万627人となった。1週間で6割増の勢いで増え続けており、ブラジルが「グロバール・パンデミックの次の発生源となる」との観測報道もある(スペイン紙『El País』)。
次にチリとともに検査数の多いペルーが6万5015人と、1日平均3000人のペースで増えているが、死者数は1814人に抑えられている。
続いて、検査の遅れが指摘されていたメキシコで、3万3460人(死者数3353人)と1週間で倍増する勢いに加速しており、一時急増ぶりが著しかったエクアドルを抜いて3番目に浮上した。
4番目が人口1700万のエクアドルで、数値が一定しないが、感染者数2万9559人、死者の数は2127人とやや鈍化傾向にある。
太平洋岸のグアイアス州に感染者数が集中し、野口英世が黄熱病の研究で立ち寄ったことで知られる州都のグアヤキル市では、一時、感染者の遺体の処理が追い付かず、街頭に放置されている状況がSNSで世界中に拡散。オットー・ソネンオルスネル副大統領が「国のイメージを損ねた」と国民に謝罪するに及んだ。
早期対応の背景にある「危惧」
3月11日のWHO(世界保健機関)による「パンデミック」宣言を受け、多くの国で夜間外出禁止、国際線の運航停止、学校の休校、集会の禁止、強制的自宅待機などを行い、都市封鎖・国境封鎖による厳戒態勢で臨んだ。
大統領制の下、憲法の「例外体制」規定に基づき、国民の基本的自由を一時的に制限して治安維持を軍に委ねる、「非常事態宣言」発令による緊急措置である。
多くの政府が、感染者数が少ない段階で中国や欧州での感染防止策に照らし、早期に厳しい隔離政策をもって対応した背景には、WHOの方針を重視する保健行政とともに、分断的で地域格差を抱える医療体制の脆弱性に対する危惧がある。
昨年後半、質の悪い医療など公的サービスに対する国民の不満が、チリやアルゼンチン、エクアドルにおける反政府抗議活動の連鎖を招いたことは、記憶に新しい。
ウイルス蔓延の危機に対し、いち早く厳格な対応を取ることができた政権ほど死者数は抑えられており、政権に対する支持率も高くなっている。
ペルーでは、感染者が累計71人だった3月15日の段階で非常事態宣言が発令され、5月24日まで延長された。リサーチ会社「Ipsos」によれば、マルティン・ビスカラ大統領の4月の支持率は83%と高水準を維持している。
医療体制が比較的整ったチリでは、検査数を増やし、クラスター(感染者集団)を追跡して死者数を抑えており(5月9日現在、感染者数2万8866人、死者数312人)、強制的な自宅隔離を5月7日まで延長した。昨年から続く抗議活動によって1桁台だったセバスティアン・ピニェラ大統領の支持率は、4月に20%台まで持ち直した。
アルゼンチンは3月20日に厳しい隔離政策を敷き、報道によれば、3日で倍増した感染スピードを10日で倍増するまで抑えこんだ。アルベルト・フェルナンデス政権は支持母体の労組の要求に抗して、ブエノスアイレスで6月まで厳しい隔離措置を継続すると発表。80%を越す支持を得ている(5月9日現在で感染者数5924人、死者数300人)。
「弾劾」も叫ばれるブラジル大統領
一方、「経済を破壊する」として対応が遅れた左右のポピュリズム政治に傾くメキシコ、ブラジルの政権は、感染拡大にともない批判にさらされた。
敵・味方の社会的分断と民衆との直接的な接触から養分を得て増殖するポピュリズム政治にとっては、ウイルスの蔓延に対し危機感を共有すべき段階においても、国民的な団結や社会的隔離策と相容れないものがあると言ってもよいだろう。
特に、昨年1月に汚職防止と経済再建を託されて政権に就いたブラジルのジャイール・ボルソナロ大統領は、隔離政策に消極的で経済活動の再開を求めてきた。保健省や州政府が隔離政策を取る中で、大統領は支持者とともに外出禁止に抗議するデモに参加したり、最高裁に州政府の隔離政策を止めさせるよう圧力を加えたりするなど、結果として一貫しないコロナ対策となっている。
4月16日には、新型コロナ対策を巡って対立してきたエンリケ・マンデッタ保健大臣を解任するに至った。
さらに4月24日、政権の汚職防止キャンペーンの象徴的な存在であったセルジオ・モロ法務・公安大臣も政権を去った。ボルソナロ大統領が連邦警察庁長官を解任し、長男のフラビオ上院議員の資金洗浄疑惑に関する捜査を妨害しているとして、辞任したのだ。
2003~2016年のルラ、ルセフ左派政権で連邦地裁判事として汚職の解明に乗り出し、国民的な支持を集めたモロ氏を解任したことで、政党基盤を持たないボルソナロ大統領は、政権誕生の御旗を自ら降ろすことになった。
結果、大統領の弾劾を求める動きが出されており、それを避けるために、政府ポストの供与と引き換えに、汚職で批判された既存政党との連携を余儀なくされている。
次の焦点は、パウロ・ゲデス経済大臣の去就である。
彼は、年金制度改革や民営化など「小さな政府」への構造改革によって、経済の浮揚を目指してきた政権の柱だ。コロナ危機により大幅な経済収縮が予想される中で、緊急経済対策を余儀なくされているが、市場の動向に照らし、先ずは感染防止を優先する立場にある。
また、アミウトン・モウロン副大統領をはじめ、多くの軍人経験者を閣内に送り込んでいる軍部も国防上、感染症には敏感で、大統領と距離を置きつつある。
ポピュリズムに起因する曖昧な対応によって、感染の拡大が抑えきれないようだと、ボルソナロ大統領の立場は益々困難となるだろう。政局は不透明度を増しつつある。
絶滅する先住民集団も……
南半球では、これから季節が夏から冬に変わる。今後も厳しい隔離が続くことが予想され、冷静に市民が対応できるか予断を許さない。
公衆衛生の不備が国民の不安や恐れを増幅させ、パニックや感染者に対する差別を引き起こしやすい土壌となっている。
危機に乗じた犯罪者集団の暗躍や、経済悪化に伴う治安悪化にも注意が必要だ。
とりわけ医療体制が貧弱な都市の貧困層居住地や地方辺境の都市、多数の人が集うマーケットで、感染拡大の恐れがある。また日銭で糊口を凌いできたインフォーマルセクター(非正規雇用群を差し、国際労働機関=ILO調べで雇用の53%を占める)の住民は、外出禁止で急速に経済が収縮することで、困窮度を極める。
所得格差の大きな中南米で、黒人や先住民など貧困層への影響が大きいだろう。
収容人数が3倍、4倍と大幅に定員を超え、劣悪な環境下にある刑務所などでも、感染が拡大する可能性がある。未決の勾留者や軽犯罪者を釈放するなどの措置も取られており、選挙資金をめぐり予備的に勾留されていたペルーの元大統領候補ケイコ・フジモリ氏も自宅軟禁となった。
刑務所内での暴動も各地で発生しており、5月1日にベネズエラで起きた暴動では、鎮圧により47人が死亡したと伝えられている。
アンデス農村やアマゾンの奥地に拡散すれば、絶滅する先住民集団も出てくるだろう。すでにブラジルでは、アマゾン先住民への感染拡大が報じられている。
アステカやインカは、旧世界から持ち込まれた疫病の蔓延によって人口が激減し、帝国が疲弊してスペイン人の征服を許すことになった。その帝国崩壊から約500年の節目で、新たなウイルスが遺された民族に忍び寄っているということだ。
冒頭で記したように、エクアドルでは急速に感染が拡大したが、赤道直下のグアヤキル市のように公衆衛生に問題をかかえた地方都市での爆発的感染拡大は、この他、ブラジルのマナオス、ペルーのイキトスなど、アマゾン川流域に位置する地方都市でも発生している。
ベネズエラで政権転覆事件
医療崩壊が叫ばれて久しいベネズエラでは、3月13日に初の感染者の確認(2名)が公表され、5月9日現在で感染者数は402人、死者数10人(いずれもPAHOより)と極端に少ない。
政府はコロンビア国境を封鎖する厳しい措置をとり、感染者の少なさを誇っているが、南米最多の感染者数が確認されている国々に近接する同国である。医療物資が絶対的に不足し、経済悪化が進む中で蔓延する恐れがある。
米国の経済制裁に加え、原油価格の急落による財政の逼迫が、防疫能力をさらに低下させるだろう。また、500万人と見られる国外への移住者・避難民からの仕送りが減少、市民生活にも影響が出る。
中南米では例外的に医療体制が整った同盟国キューバからの支援が継続されるだろうし、中国の「マスク外交」も行われている。
だが、そのキューバも苦境に立たされている(5月9日現在で感染者数1766人、死者数77人)
キューバは、外貨獲得源として医師を海外に派遣しており、コロナ危機でも活発な「医療外交」を展開するはずだが、ベネズエラの経済崩壊によって頼りの石油供給も細り、ドナルド・トランプ米政権による経済制裁も重くのしかかる。
さらに、米国に亡命した移民からの仕送りが大幅に減少し、クルーズ船などの観光産業の中断も大きな損失である。
ソ連崩壊後、突然援助を絶たれた1990年代と同様の国難にさらされている。
ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権は3月15日、長年敵対してきた国際通貨基金(IMF)に対し、コロナ対策として50億ドル(約5357億円)の緊急融資を要請した。背に腹は代えられない事情があったためと考えられる。
しかしIMFは、日米欧の主要拠出国が同政権を正統な政権と認めていないことから、この要請を断った。
政権の苦境に乗じて米司法省は3月26日、麻薬取引の容疑でマドゥロ大統領と政府幹部を訴追し、ベネズエラ沖でのパトロールを強化した。
同時に米国務省は3月31日、民主政権への移行案を提案。議会を中心に与野党の和解政府を作り、自由公正な選挙を行って民主政権への移行を実現すれば、制裁を解除する、と揺さぶりをかけている。
マドゥロ政権はこの提案を拒否したが、挙国一致で新型コロナ対策を取り、国際支援を受け入れない限り、有効な防疫体制を敷くことはできない。
新型コロナ危機を介してベネズエラ情勢がさらに悪化し、周辺国に影響を及ぼすか、打開に向け動くか、注視する必要がある。
5月4日、ベネズエラ政府はマドゥロ政権の転覆を計画したとして、武装した米国人男性2名を含む13人を逮捕。米国とコロンビア政府の関与があると非難した。真相は不明だが、マドゥロ政権は、生活苦の中で隔離を強いられた国民による、刑務所を含む各地での暴動や抗議活動に直面している。その中で起きた今回の事件である。
政府は、キューバ革命後の1961年にCIA(米中央情報局)の画策で亡命キューバ人武装勢力がカストロ政権の転覆を図ってキューバに上陸し失敗した「ピックス湾事件」と重ね合わせ、体制の引き締めを図るのに躍起である。
最悪のタイミングでの経済ショック
厳しく対応する政権ほど感染防止に効果を見せ死者数を抑えているものの、脆弱な医療体制を背景に、隔離政策の長期化が予想される中で、経済崩壊による新たなリスクにも直面し始めている。
現状では、全体的に生命を優先して厳しい防疫体制が取られているが、今後も感染者数の増加のピークアウトが確認されず、適切な感染防止を図りつつ正常化を目指す方向に転換されないとすると、防疫中心の厳しい政策も次第に限界に直面することになるだろう。
それだけ、新型コロナ危機の中南米経済に与える影響が甚大だからである。
財政の落ち込みが医療体制のさらなる悪化を招く。2014年に「資源ブーム」(2003~13年)が終焉して以降、景気後退が続いてきた中南米は、最悪のタイミングで想定を越すショックに襲われた。
IMFは20年の世界の実質GDP成長率を最善で3%減と見通したが、中南米については5.2%減と大幅な落ち込みを予測している。
同じく国連中南米カリブ経済委員会(ECLAC)は4月21日発表したコロナ危機の経済的影響に関する報告書において、GDP成長率5.3%減とし、記録をとり始めてから史上最悪の経済危機に直面すると予測する。
失業率は11.5%に拡大、新たに貧困層3000万人が生まれる。
国別の成長率では、ブラジル5.2%減、アルゼンチンとメキシコ6.5%減と、主要国の落ち込みが特に著しい予測となっている。
ウイルス蔓延に終息の見通しが立たない中で、未曾有の不況に直面する可能性がある。
特に過去20年で中国が最大の貿易相手国となり、中国依存が増加したブラジル(鉄鋼と大豆など農産品)、チリ(銅)、ペルー(銅、非鉄)を中心に、その影響は甚大だ。原油(コロンビア、メキシコ、エクアドル)など資源価格の下落に加え、中国経済の急減速が輸出を直撃する。
そこに先進国の都市封鎖、サプライチェーンの分断による世界的な経済収縮、送金の減少、観光産業の中断、自国のコロナ対策による経済の下押しである。
余力のある国とそうではない国
社会的隔離を進めるに当たり求められる現金給付や経済対策において、財政的余力のあるチリやペルーなどの国と、そうでない国との差異も、顕在化することになろう。
ペルーでは、35歳の女性大臣であるマリア・アントニエタ・アルバ経済財政大臣が3月29日、貧困層に対する給付とともに、約260億ドル(約2兆7846億円、GDPの12%に相当)の緊急経済対策を打ち出した。加えて、富裕層に対する課税強化も国民的議論の俎上に上がっている。
反対にメキシコでは、かつてのポピュリズムの失敗に懲りた新興左派の政権が、財政悪化を恐れるあまり有効な経済対策を打てないでいる。
7月1日に北米自由貿易協定(NAFTA)に代わる新協定(USMCA)の発効が待たれる中、米中貿易戦争によって中国から北米への生産移転を促す好機であったが、情勢は一変した。短期的には北米市場の経済収縮の影響が直撃する。
中南米から米国に移住したヒスパニックの6割がメキシコ系である。米国での死者や失業者といったコロナ危機の犠牲者と民族(黒人やヒスパニック)との間に相関関係があると分析されており、多くのメキシコ系が含まれると考えられる。本国への送金にも甚大な影響が及ぶであろう。
エクアドルでは、IMFの支援による経済再建策が暴動を招き、撤回を余儀なくされたばかりだが、そこに頼みの石油収入が急減。また、「ドル化政策」により、周辺国との競争力において不利な立場に立たされている。
アルゼンチンと同じく、デフォルトが現実味を帯びてきた。
当面は、集会の禁止など強制力を伴う感染防止策が、各国政府に対する抗議活動を抑える効果を持っている。
しかし、今や「4人に1人」とも指摘される失業者急増の可能性など深刻な経済の落ち込みや、脆弱な保健医療体制を考えれば、コロナ危機の及ぼす社会・経済的な影響は、計り知れないものがある。ウイルスに対抗する国家の能力と社会の対応力が各国で試されている。
その結果次第では、世界恐慌後の1930年代の中南米地域のように、暴動や軍のクーデターが頻発する変動に襲われる可能性も否定できない。