とにかく戦時売春は許されないのか 一からわかる「慰安婦問題」(4)
慰安婦問題に関連して、ある時期から登場するようになったのが「広義の強制」という言葉である。この分野の研究者として有名な吉見義明氏らは、日本軍による「広義の強制」があった、という主張だ。つまり、たとえ日本軍が直接強制的に女性を連行したのではなくて、一部業者が騙したにせよ、そういう状況を作った一因は日本にあるのだから、日本軍にも責任があるのだ、といった論理である。
これをどう考えればいいのか。『こうして歴史問題は捏造される』(有馬哲夫・著)をもとに見て、この連載を終わろう。
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彼のいう「広義の強制」を認めると、慰安婦も日本国内の通常の売春婦も、現在売春が合法とされている国々にいる売春婦にもそれが認められることになってしまいます。こういった女性はいつも、自ら望んで春を売っているわけではないので現在合法的に行われている売春(たとえばドイツ、スイス、オランダ)でさえ該当します。また、こういった女性たちは、なんらかの施設で生活をしている場合が多く、いったんそこに入ると、いろいろな事情から、でられなくなってしまうことは現在でも変りありません。
そもそも、吉見が70年以上もあとに考えついた定義を、売春が合法とされ事情がまったく異なっていた当時にさかのぼって当てはめることに無理があります。
歴史的事実を評価(evaluate)する際は、まず当時の尺度で測り、しかるのちに後世の尺度で考えてみなくてはなりません。たとえば手塚治虫の漫画(テレビ番組やアニメーションではなく)「ジャングル大帝」にギョロ目で腰みのをつけた黒人がでてくるからといって、作者を人種差別主義者だと非難することはナンセンスです。手塚は過去の伝統的な黒人の描き方を踏襲したにすぎず、彼の罪ではないからです。ただし、そうすることによって黒人のステレオタイプをより広めてしまった事実は、しっかりと受け止め、考察しなければなりません。もし、彼が現代的人種差別の基準を知った後もなお、黒人の描き方をかえなかったならば、その時は非難されてしかるべきでしょう。
報告者のラディカ・クマラスワミ同様、吉見も「娼妓取締規則」(朝鮮は「貸座敷娼妓取締規則」)に廃業の自由(つまり性奴隷をやめる自由)が規定されているかぎり、当時の基準では慰安婦(一般の売春婦も)は奴隷とはいえないし、日本軍がした「売春所の経営と売春に施設を提供すること」が国際法で処罰の対象となったのは1950年であるということを無視しているように思えます。そうしなければ、慰安婦が「性奴隷」ではないこと、日本軍の「慰安所」システムが当時の国際法に違反していないことが明確になってしまうからです。クマラスワミも吉見も、現在の基準を70年以上前の日本軍に当てはめるのではなく、まず当時の基準に照らして評価し、理解したうえで、現代の基準から慰安婦たちの人権について考察するという手順をとるべきでしょう。
以上、これまで述べてきたことから反証可能な歴史論議では、「20万人以上の朝鮮人女性が日本軍によって強制連行され慰安婦にされた」という国際社会に流布している言説はすべて否定できるといえます。反証可能性をもつ第一次資料からは、朝鮮人女性に関しては、「強制連行」どころか、「強制」すらなかったといえます。
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現在でも本人の強い意志で性産業に従事している人もいれば、不幸が重なって仕方なくそうした仕事を強いられている人もいることだろう。現代を生きる私たちにとって必要なのは可能な限り後者を減らすための努力なのではないだろうか。