山田ルイ53世 一発屋?スギちゃんの「ワイルドが生まれるまで」に迫る

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イクメンパパ化計画

 あの涙の「R-1」から8年。

 今後の展望など伺うと、

「“ちやほやされたい”とか“テレビ出たい”っていうのはもう経験したし、今はなんとなく仕事いただけてるけど、それが無くなったら芸人もパッと辞めると思う」

 と20年近くの歳月を粘り勝ちした男とは思えぬ、淡白な答えが返って来た。

 第一、仕事はある。

 CSやNHK、地元愛知ローカルでのレギュラー番組に、ウェブCMやPRイベント、地方営業などのオファー。

 ここ数年は、「ズボン船長」や「キス・ミー・ケイト」といったミュージカルにも進出し演技も好評と聞く。

 一発屋と言いつつ、ただの売れっ子。

 当分、引退などできそうもない。

 一体何故、と率直にぶつけると、

「子供と嫁を悲しませてまで夢を追いたいとは思わない!」

 2015年、13歳年下の奥様と結婚、3年前には第1子となる息子を授かったスギちゃん。

“ワイルド”な男を“マイルド”にしたのは、“チャイルド”と妻……家族の存在だった。

 今、彼のSNSアカウントを覗けば、

「かわいいぜぇ」

「愛おしくて仕方がないぜぇ」

「本当に生まれて来てくれてありがとうだぜぇ」

 と歯の浮くようなコメントが添えられた、息子とのツーショット写真や動画で溢れ返っている。

“リツイート”や“いいね”を数多く獲得し、「ほっこりする」「癒される」などと評判も上々。

 実際スギちゃんは子煩悩な良いパパだが、「楽屋で息子と戯れるスギちゃん」、「雑踏の中立ち尽くす幼い息子の視線の先に、営業中のスギちゃん」といった連日の投稿にはあざとさが漂うのも否めない。

 中でも、家族で訪れたサイパンの一枚。

 スギちゃんと息子が、波打ち際を歩いている。

 いかにも、“瞬間を切り取った”風だが、親子が身を包むのは、袖なしGジャンとデニムの短パンのペアルック。

(旅行に衣装持って行く?)

(子供用もわざわざ作ったの?)

(……っていうか、普通着る?)

 とツッコミ所が満載なのだ。

“イクメン仕事”でも欲しいのかと、冗談めかして聞けば、

「あれは……俺じゃない」

 と何やらモゴモゴと。

「イクメンというか、結婚前までの俺のイメージを変えようというか……。女性とネットで出会ったりとか、ファンレターをくれた女の子と付き合ったりとか、そういう助平でエロい話をテレビで全部喋ってしまったりとか、まあそういうところを、奥さんは変えていこうとして……」

「スギちゃんイクメンパパ化計画」、その黒幕は奥様……写真や動画の大半は、彼女の手に拠るものだというのだ。

 日本で最も多くの蓋を捨ててきた夫の過去に、“臭いモノ”とばかりに蓋をしようとする妻。

 いや、面白いが、そこには彼女の健気な想いが込められていた。

 2018年4月22日。

 杜の都仙台は、平昌冬季オリンピック金メダリスト、羽生結弦選手の祝賀パレードで大賑わい。

 地元の英雄の凱旋を一目見ようと、沿道を埋め尽くした10万人の中に、スギちゃんの姿もあった。

「たまたま、仕事で仙台行くって言ったら、奥さんが『パレード見たい!』って」

 との要望に応え、家族を伴い来仙していたのだが、ユヅフィーバーを取材中のテレビ局のクルーに捕まってしまう。

「ただ、向こうはタレントだと気付いてなくて。『すいません、実は俺……スギちゃんなんです』って断った」

 映像使用の許可云々といった、先方の面倒を気遣ってのことだったが、

「なんで? 折角テレビに映れるのに!」

 とお冠の奥様。

「そのために私はあなたを連れてきてるの!」

 ……妻の言葉に、とある出来事が夫の頭を過った。

 さらにひと月前、スギちゃん一家は、奥様の実家へ里帰りしていた。

 彼女は北海道の北見出身で、“またもや”……といっても、時系列は逆さまだが、偶然“カーリング娘”ことLS北見の凱旋パレードに遭遇。

「LS北見パレードだぜぇ 銅メダル感動したぜぇ」(要約)

 などと投稿したツイートが、後日、北海道のローカル番組に出演した“カー娘”の面々に、

「実はこのパレードに、ある人が来てたんですよー」

 と紹介され、生放送中着信があり、電話出演を果たした、ということがあったのだ。

「特にそのときは、スケジュールが暇だったから。奥さんは覚えてたんやねー……」

 一発屋と揶揄される夫の露出を少しでも増やしたい。

 話題を作って、何かのきっかけになれば。

 スギちゃんという“ストーン”の行く先をデッキブラシでゴシゴシ擦って導く妻……良い夫婦である。

 ***

 小学校3年生の頃、心臓に穴が開いていると診断され、「このままだと40歳で死ぬ」と大手術を受けた英司少年。

 以来、窮地を乗り越えることが男の人生となり、それはやがて、「自作自演の窮地」を笑いに変える芸、「ワイルド」となった。

 涙脆い一発屋も、今や家族を得て盤石。

 この先、どんな苦難に見舞われようとも心配はないだろう。

 勿論、断言はできぬ。

 何事も蓋を開けるまでは分からない。

 しかし、この男の場合、蓋が無くなってからが真骨頂。

 最後には、

「……ワイルドだろぉ?」

 と笑っているに違いないのだ。

山田ルイ53世
1975(昭和50)年、兵庫県生まれ。お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになる。大検合格を経て、愛媛大学法文学部に入学も、その後中退し上京、芸人の道へ。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞し話題となる。著書に上記の連載をまとめた『一発屋芸人列伝』のほか、『ヒキコモリ漂流記 完全版』(角川文庫)、『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)、『中年男ルネッサンス』(田中俊之との共著/イースト新書)がある。

デイリー新潮編集部

2020年5月9日掲載

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