山田ルイ53世 一発屋?スギちゃんの「ワイルドが生まれるまで」に迫る
ピンになった途端、一気に決まる
「お仕事依頼はこちら」
と連絡先をブログに貼り付け、迎えた2008年。
その幸先は良かった。
ピン芸人「杉山えいじ」としての初舞台が、ライブ会場に偶然居合わせたスタッフの目に止まり、浅井企画在籍時、コンビでオーディションに挑むも門前払いを喰らっていた「エンタの神様」(日テレ)に、同年6月出演が叶ったのである。
番組ホームページに踊る、“前代未聞の「杉山さん」と「タケシくん」が今夜いきなりエンタデビュー”との文言に、
「あれだけ一人で勝負したいと、啖呵を切っといて!」
と憤る方がいるやもしれぬが、ご安心を。
実はこのネタ、「タケシくん」と名付けたマネキン人形相手に、「だるまさんが転んだ」をやるというもの。
確かに前代未聞、シュールである。
残念ながら、物言わぬ相方とのコンビ“えいじぃず”を「エンタ」で見る機会は二度と無かったが、ちょうどこの年始まった「キングオブコント」(TBS)にダメ元でエントリーを願い出ると、何とこれが了承。
勿論、主催者側の遊び心もそこまで。
2回戦進出とはいかなかったが、今度は「マネキンを引き連れコント大会に出場したピン芸人」に興味を持った「あらびき団」(TBS)からオファー(オンエア上は一般応募扱い)が舞い込む。
折しも、「エンタ」「レッド」「あらびき」と若手のネタ見せ番組が出揃い、各局新しい人材を発掘すべく躍起となっていた時期とはいえ、
「ピンになった途端、いろいろ一気に決まって。何だったの今までは?って」
と本人も驚いたその“わらしべ長者”ぶりには舌を巻く。
何しろ、当時のもう一つの持ちネタ、「おっぱい先生」にもお声が掛かったほど。
詰め物で誇張したバストをこれみよがしに揺らし、「アイ・マイ・ミー・オッパーイ!」、「3.14159、オッパーイ!」と叫ぶだけ……というアングラ感が企画の趣旨と合致したのか、「イツザイ」(テレ東)の一コーナー、「インディーズ芸人グランプリ」に第1回から1年間、ほぼ隔週で登場。
2009年の春には、「おっぱい先生」が歌う「スクール・オブ・おっぱい」が「着うた」で配信と、もう何が何やらの展開となった。
そんな曲が大ヒット……などするわけもないが、
「歌を出すとき、『イツザイ』の制作会社の人から、フリーだといろいろ面倒だからと紹介されて……」
と流浪の芸人を新天地へ誘う役割は担う。
3つ目の所属先、「デンナーシステムズ」である。
笑福亭鶴瓶を擁するこの事務所のご縁で、「A-Studio」(TBS)の前説の仕事が決まると、
「事務所の偉い人から、『衣装は着るな!』『ネタはやるな!』と。鶴瓶さんとこの人間になったんだから、“べしゃり”を勉強しないとダメだよって」
と親身なアドバイスを頂いた。
「その方とは、今も付き合いがある!」
と下積み時代の恩人との“ええ話”を披露するスギちゃんに、「その方の名は」と尋ねると、
「えーっと、誰だったっけ? ○○さん、いや、△△さんか……あれ?」
(いや、どんな付き合いやねん!?)
挙句、
「あっ、でも、あれ鶴瓶さんが言ったのかも」
と大胆な方針転換の後、
「だから、ブレイクして一番嬉しかったのは、(2013年に)『A-Studio』にゲストとして呼んでもらったこと」
と何とか美談の着地に成功した。
……よくもまあ“だから”などと言えたものだが、「故郷に錦」には違いない。
「その時、楽屋に『おかえりなさい』って書かれてて……あれも泣いたなー」
と 再び飛び出した“ええ話”に気を取り直し、素敵ですねと筆者が相槌を打とうとすると、
「あっ、『A-Studio』じゃない、『ごきげんよう』(フジ)や、あれ!」
……いや、もういい。
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