「ビートたけし」愛人妻と「高倉健」養女 その奇妙な共通点とは?
水子地蔵を“破壊”
養女はこんな風にも伝えてきたという。
《自分は高倉が病気になってからほとんど寝ていない。高倉健とは生涯現役で、撮影現場以外の姿を見せてはならない存在である。小田剛一である前に、高倉健であった。自分はそれを守るためにたった1人で、発病以来、ずっと奮闘してきた。いや、高倉と交際して以来、ずっとそうだった。そしてそれをやり遂げた》
《亡くなってからも守るべきものとは、高倉のプライバシーである。避けなければいけないのは、養女という存在をスキャンダラスに暴露されることである。親族との確執があるとか、交際を興味本位に捉えられるのを避けなければならない。にもかかわらず、すでにそのような動きがある。高倉健を守るために自分は孤軍奮闘していることを理解してほしい。親族サイドから、おかしな話がマスコミに出回らないように口をつぐんでいただきたい。「高倉健」を守るために、親族の皆様とも力を合わせたい気持ちだ》
「実際、『口をつぐんで』という件には言葉を失いました。そして、『今後、どうしてもということであれば、面談する機会を設けてもいい。ただ、体力的にきついので1時間程度で』とも言ってきた。『会ってやる』というような態度がありありと出ていたので、私は「必要なし」と蹴ったんです」(前出・妹の敏子さん)
健さんには「チーム高倉」と言って、その目となり足となって一挙手一投足を支えてきた人たちがいた。健さんは生前、瀬田の自宅を出れば真っすぐ品川にあった理髪店に向かう。そこには健さんのための執務室があり、そこで食事をし、話をし、台本を読み……と、1日の大半を過ごすのだ。その他にも、クルマのコレクターであった健さんのためにその管理を一手に引き受ける人物もいた。養女は彼らチーム高倉も切り捨てることになる。
そして、その“排斥主義”の極北が、鎌倉霊園の水子地蔵の取り壊しと言えるかもしれない。それは16年5月ごろのことだった。チームの一員は、こう肩を落とす。
「亡くなったのが14年の11月でしょう。僕はその年、一緒に善光寺にもお参りに行っている。数えたら、それはもう34年に亘っていました」
健さんにとって節分の「善光寺」は、欠かせない年中行事なのだ。
「信仰心が深かったから……。パリダカの映画(『海へ~See you』)を撮影中にも、わざわざアフリカから善光寺へ向かうような人だった……。養女が世田谷の家にいたのは17年でしょ? 僕はその倍以上の年月、あそこへ通ってきたんですよ」
そして涙を浮かべ、こう繰り返すのだった。
「やっぱり、残念というほかないですよ。お参りするところが、ないんだもん。とにかく健さんは信仰心の深かった人だから、切なく思っているだろうよ」
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