「馳浩」元文科相のセクハラ問題 明るい体育会系議員の落とし穴

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 選挙での握手はいうまでもなく政治家とは「スキンシップが大好きな人種」だ。このスキンシップ(本人は「意識にない」としている)で失敗したのが元文科大臣の馳浩氏(58)=自民党衆院議員である。

 虐待や性暴力の被害に遭った10代女性を支援する一般社団法人「Colabo(コラボ)」(東京・仁藤夢乃代表理事)によれば、馳氏は4月22日、議員や秘書など十数人で、同法人が運営する「移動式カフェ」の活動を視察した。ところがカフェ設営の作業中、十代少女の後ろを通った馳氏が「ちょっとどいて」と少女の腰を左右から触ったという。仁藤代表は24日に詳細な経緯を書いた抗議文と要望書を、馳氏が会長を務める部会「自民党ハウジングファースト勉強会」に送ると同時にツイートで内容を公開した。

 慌てた馳氏は翌25日、自身のホームページで「いきなり大勢の男性が若年少女支援の現場に参集した事に多大な不安感と不愉快な思いをさせた事となり、お詫びします」との謝罪文を掲載した。セクハラ行為について馳氏は「ご指摘のように、移動の際に後ろを通って、『ちょっとどいて』と言いながら腰に手を当てたかどうかは、全く意識に残っておりません」とし、「それが事実ならば大変申し訳ない事であり、心より深くお詫び申し上げます」とした。

 Colaboの「抗議文と要望書」によれば、4月21日夕刻、自民党の阿部俊子衆院議員から稲葉隆久副代表理事にSMSと電話で移動式Cafe視察の申し出があった。「5人までなら」「訪問者名を知らせてほしい」と返事した。電話で馳氏の名は出していたが、その後連絡もないまま当日(22日)の午後5時に阿部議員と男の国会議員一人が来た。

 少女たちが来た経緯や被害からの回復途中であること、活動内容などを説明するうち馳議員や身長約2メートルの元バレーボール選手、朝日健太郎参院議員ら4人の国会議員がやってきた。秘書は挨拶もしない。「全員に自己紹介をお願いしています」と呼び掛けても「秘書です」というだけだった。4人の新宿区議らも加わり15人ほどになった。女性は阿部議員だけ。取材者も含めて30人ほどになり新型コロナウイルスの感染リスクが高まった。この時の様子を稲葉副代表は「馳議員は名刺交換をされませんでした。阿部議員は以前から存じ上げておりました。馳議員は、仁藤(代表)とは初対面でしたが、自己紹介で名乗られました」と振り返る。

 馳議員は説明を受けると、テント内の奥の椅子に腰を下ろした。救いを求める少女たちが座る場でその姿に「そんな人はこれまで初めて」と呆れられている。大きな声で威圧的に秘書を呼びつけたりすることも少女らを怖がらせた。設営では馳氏がテントなど重いものを持ち「女の子だから」と、受け取ろうとした少女ではなく、秘書らに運ばせたりした。

「荷物運びや設営も女性たちが中心に行っているのに、馳氏の対応に少女たちは傷ついた」とされてしまった。そうした「哲学」を持つ団体であることも馳氏は知らなかったのか、「いつもの自分の流儀」が好意的に受け取られると思っていたようだ。

 馳氏に腰を両手で触られたという少女はすぐにその場から逃げたが、視察団が大勢いたため、視察終了後にスタッフに打ち明けた。触られた感覚が残り、過去の被害を思い出したり、無力感を感じたりして、食欲もなく、翌日は朝起き上がれなかったという。

 性搾取業者が少女を連れ戻しに来る可能性などがあり、Colaboでは警備員を置いている。顔が知られて困る少女も多く、撮影についても「指定した場面でお願いします」と言ったにもかかわらず視察団は勝手に写真を撮り、自己のSNSなどにアップしたりしていた。稲葉氏は「報道関係者は何名かいらしていましたが約束を守り、議員たちが帰った後に指定の場面のみ撮影されました」と振り返る。

 視察終了後、議員らは活動をSNSなどで報告したが、鈴木隼人衆院議員は「アウトリーチ活動にボランティアで参加しました」などとアップした。Colaboでは「視察でなくてボランティアとは。Tsubomi Cafeが利用された」と不信感を募らせる。

 人気プロレスラーから政治家に転身した馳浩氏は富山県出身。隣の石川県出身の森喜朗元総理大臣(現・東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長)の庇護で文部科学大臣にまで登った。現在も党教育再生実行本部長、同組織委員会顧問委員会の顧問や日本レスリング協会の副会長などに就く。

 虐待や性的被害などの経験からも怯えるように生きる少女たちの中に大男がずかずかと乗り込み、「やあ、やあ、元大臣が視察に来てあげましたよ」と言わんばかりだった様相が目に浮かぶ。

「Tsubomi Cafe」は、虐待などで家を出たりして夜の街をさまよう女子中高生らが「性売買」に引きずり込まれないうちに彼女らと繋がることを目指して実現した。「赤い羽根福祉基金」や、東京都や新宿区、フードバンクなどの支援を受けて、中古のマイクロバスを可愛らしくデザインした「夜間巡回バス」を都内の繁華街に駐車してはバスの周囲にテントを張り、椅子とテーブルも置く。車内では歯ブラシや化粧品、食事や飲み物、衣類なども提供して悩みの相談に乗る。場合によっては病院に同行したり、シェルターでの保護や宿泊支援、シェアハウスでの住まいの提供などを行っている。仁藤代表自身、中高時代に街をさまよう生活を送った経験を生かした活動はメディアでも多く報じられ、仁藤氏は朝日新聞の「フロントランナー」に取り上げられたり、TBSの「サンデーモーニング」でもコメンテーター出演するなどしていた。

 メディアも知らない無名団体に国会議員がぞろぞろと視察に行くはずもない。馳氏らは発信力のある仁藤氏に視察を肯定的に報じてもらうことを期待し有権者へのPR効果を狙ったのだろう。裏目に出たのは、馳氏が元プロレス仲間や支援者に接するのと同じような態度で臨んだからに違いない。「豪放磊落な明るい体育会系人間」を自己の魅力と信じて疑わず、それがどこでも通じると勘違いしていたようだ。

 女性である阿部議員がしっかり「事前レク」をしなかったのだろうが、最もまずい男が「視察」に出かけたといえる。両手で腰を触ったとされたことについて馳氏が発信した、「意識にはないが、もしそうであったら申しけ訳ない」はこうしたケースでの最も便利な方便だ。

「スキンシップ」が日常であった馳氏なら「劣情」のなせる業でなければ「意識はない」は嘘ではないのだろうが、余計に始末が悪い。

 視察のきっかけは、NPO団体からハウジングファーストの事務局にColabo視察の案内があったことで、Colaboが政治家たちに売り込んだのではない。

 Colaboに直接謝罪しないうちに馳氏らがHPやSNSで発信していたことも「謝罪になっていない」と不信感を持たせている。当事者とのやり取りが終わってからすべきことだ。

 稲葉副理事によれば、腰を触られた少女は馳議員のブログに掲載された文章(阿部俊子議員が馳氏に謝罪にきたという内容)やHPへ掲載された文章を読み「触られたのはまぎれもない事実なのに。遠回しにじゃなくて潔く謝るまで私は許さない。小さい頃に悪いことしたら謝りましょうと習わなかったのでしょうか。そんな基礎的なこと出来ない人が国会議員になって日本の法律決めてるなんて」と話しているという。「弱者に寄り添う」を振りかざして視察してみせても当事者など眼中にない。福祉団体を利用して世間への自己アピールだけ考えている議員たちの「正体」がはからずも暴露した。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月6日掲載

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