未婚のまま出産……小林麻美が明かしたユーミン、芸能界のドンとの日々

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新たな伝説

 息子が大学を出て、無事就職。さてこれからどうしようと、麻美はオープンテラスの青山のカフェにいた。

 トイレに立ったとき、懐かしい顔と再会する。ファッションプロデューサーの岩崎アキ子だった。岩崎こそ、かつて石岡瑛子によるPARCOのCM「淫靡と退廃」を仕掛けた人物だった。

「麻美さん、仕事を再開するけど、どう?」

 岩崎はすぐさま動く。電話をかけた相手はマガジンハウスの淀川美代子だった。これが女性誌「クウネル」表紙での衝撃の復活劇に繋がる。編集長の淀川にしても、「雑誌に麻美さんに出てもらうのは逆立ちしてもダメだろうと思っていた」矢先の連絡だった。

 麻美は四半世紀ぶりに撮影スタジオでカメラの前に立った。自然光が降り注ぐ新木場のスタジオだった。当日朝、大丈夫かしら、どうしようとドキドキした。

 衣装は自分で選んだ。姿を消している間、日本服飾文化振興財団に寄贈した180点余りのサンローランのヴィンテージコレクションから黒いタキシードを用意した。激動の60年代、「スモーキング革命」なるムーブメントを起こしたサンローランはで史上初めてレディメイドとしてパンツスタイルのスーツを発表したが、そこには女性も既成概念と戦うべきだとの彼の信念があった。「タキシードは女性が着た方がはるかに美しい」という美学も。

 10代の頃からサンローランに親しんだ麻美はそれを知っていた。「覚悟をもって着る」という言葉以上に、カメラのフラッシュを浴びる彼女の心境を表している表現はない。復帰に際してのキャッチコピーは、「小林麻美さん、伝説のおしゃれミューズ衝撃の登場!」

「プロにメイクをしてもらうのも何十年ぶり。自転車を久しぶりに漕ぐ気分でした。でも自然に乗れたんです。ずいぶん乗っていないから難しいだろうと思っていた自転車にすっと乗ることができて、自分でも驚きでした。昨日も撮影していて、きっとこれが明日も続くんだって思うくらいに」

 小林麻美が表紙を飾った「クウネル」は多くのメディアが注目する復活劇となり、新たな伝説の一ページがめくられた。

 スタジオでは連続するシャッター音が心地よかった。その心地よさは、人生の旅を経て程よく熱が冷め、芳醇な香りを振りまく自分への祝福も表していた。彼女はもはやオブジェでない。自ら道を切り開く人生の「第二幕」のプロローグとなった。

延江浩
1958年東京生。慶応義塾大学文学部卒。TOKYO FMゼネラルプロデューサー。作家。小説現代新人賞。主な著書に『アタシはジュース』(集英社文庫)、『いつか晴れるかな 大鹿村騒動記』(ポプラ文庫)、『愛国とノーサイド』(講談社)、企画・編纂として『井上陽水英訳詞集』(講談社)。2020年ミュージック・ペンクラブ音楽賞

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月3日掲載

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