未婚のまま出産……小林麻美が明かしたユーミン、芸能界のドンとの日々

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ユーミンとの邂逅

「読み終えるのが惜しかった」。ある写真誌の女性編集者が私にメールをくれた。『小林麻美 第二幕』の感想だった。「だから一日何ページかを決めて少しずつ読み、本の扉を閉じるようにしていた。この物語がそれだけ自分の物語になっている気がしたから」

 彼女は小林麻美の10代の部分を繰り返し読んだという。

 外に女性がいて滅多に家に帰らない父親。優秀な成績ながらピアノ教師と恋愛し、高卒後に結婚、家を出てしまった姉。父のいないストレスで体調がすぐれず一年にわたり入退院を繰り返した中学時代。普連土学園から文化学院への転入。有名作詞家との道ならぬ恋。赤坂ムゲンからの朝帰り。紫のエナメルのマイクロミニに白いブーツ。

 10代の小林麻美は朝吹登水子訳のフランソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』の文庫本を持ち歩いた。遠くにあって手が届かない。満たされないから切ない。憧れと切なさが同居するこの小説で「アンニュイ」という言葉を知った。

 広告デザイン会社、ライトパブリシティ社長でクリエイティブ・ディレクターの杉山恒太郎は当時の小林麻美の印象をこう語る。

「生活感がなく、透明感というか、テレビに出てはいけない人なのではとはらはらしたり。惹かれながらもね。ファンタジーというか、その違和感がたまらなかった。ずっと見ていたい、でもそこにいてはいけない。そんなイメージでした」

 サガンもそうだが、フランソワーズ・アルディ『さよならを教えて』、ソフィア・コッポラ『ヴァージン・スーサイズ』、レノン&マッカートニー『シーズ・リーヴィング・ホーム』、村上春樹『ノルウェイの森』と、10代特有の悩みと憧れを抱えながら時代の微笑みを味わうイノセンスとヴァージニティは幾多の青春文学と音楽を生んできたが、小林麻美のイメージはその群像に連なる。

 ここでもう一人、ユーミンこと荒井由実を挙げなければならない。

 14歳の時、立教女学院聖堂脇の小部屋にあったピアノで作詞作曲した「ひこうき雲」「ベルベット・イースター」「翳りゆく部屋」は繊細で純度の高い文学性、生と死に隣接する危うい少女性で、今もなお聴き継がれるエタニティを内包している。学年が同じ麻美とは東京に生まれ育ち、立教女学院、普連土学園とミッションスクールに通い、横浜、横田とアメリカ軍基地に出入りし、60年代のカウンターカルチャーのダイナミズムを共有していた。

 ユーミンが小林麻美をプロデュースした「雨音はショパンの調べ」は時代を超越する名曲だが、並みのヒット曲とは違い、アンニュイですぐに折れてしまいそうな青春の儚さ。ゴダール、トリュフォー、クロード・シャブロルなどヌーヴェルバークのサントラの趣きがある。

 都市の虚無を流離(さすら)い、時代の彩りを味わう10代だった。時代に巻き込まれ、光り輝くものに吸寄せられるのみの麻美だった。それが彼女の限界であり、色あせない魅力でもあった。

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