駅舎の「保存」「復原」ブーム到来 求められる“品格”とは?
今年3月14日、山手線では約半世紀ぶりの新駅となる高輪ゲートウェイ駅が開業した。鳴り物入りで誕生した高輪ゲートウェイ駅は、駅名が発表された直後から多くの話題を振りまいてきた。
斬新すぎる駅名は山手線に相応しくないとして、エッセイストの能町みね子さん、地図研究家の今尾恵介さん、日本語学者の飯間浩明さんなどによる駅名再考を求める署名活動にも発展。その後も、駅売店が無人化されていることや駅名標が明朝体であることが注目を集めた。
速報「娘はフェイク情報を信じて拒食症で死んだ」「同級生が違法薬物にハマり行方不明に」 豪「SNS禁止法」の深刻過ぎる背景
速報「ウンチでも食ってろ!と写真を添付し…」 兵庫県知事選、斎藤元彦氏の対抗馬らが受けた暴言、いやがらせの数々
高輪ゲートウェイ駅が開業した1週間後、同じく山手線の原宿駅が新駅舎の供用を開始した。原宿駅は新宿・渋谷といった東京の大繁華街に近い。ただでさえ、多くの若者が乗降する。くわえて、近年は明治神宮に立ち寄る訪日外国人観光客が増加し、それゆえにホームなどを拡幅する必要性が生じていた。
都内最古の木造駅舎として親しまれてきた旧駅舎は、混雑緩和を目的に新駅舎に役目を譲った。木造駅舎の最終日は報道陣が詰めかけ、ファンとともに別れを惜しんだ。現在、役目を終えた旧駅舎は解体を待つばかりになっている。
原宿駅の旧駅舎から新駅舎への切り替えも、翌日に大きなニュースとして扱われた。日本を代表する山手線は、よくも悪くも耳目を集めやすい。
原宿駅の木造駅舎は、地元の商店街や鉄道ファンから長年にわたって親しまれてきた。そうしたこともあり、保存を求める声が強く、それらを受けて保存・復元を模索する動きもあった。
しかし、JR東日本は「できるだけ現場に近い形で“建て替える”」との言及にとどめている。費用面などがネックになり、保存・復元が叶う見込みは薄い。
原宿の木造駅舎は東京五輪後に解体工事を実施する予定になっていたが、新型コロナウイルスによって五輪開催の延期が決まった。五輪の延期は決まっても、木造駅舎の工事スケジュールは不透明のままになっている。しかし、スケジュールに狂いは生じるものの、木造駅舎を解体することは不可避だろう。
都内最古の木造駅舎である原宿駅が役目を終えた約1か月後、都内で2番目に古い木造駅舎だった国立駅が復原を果たした。
赤い三角屋根が特徴の国立駅舎は、大学町として発展する国立のシンボルとして語られることが多い。そんな国立駅舎が解体されたのは、連続立体交差事業によって中央線が高架化されることが決まったからだ。
鉄道の立体交差化は、開かずの踏切が社会問題化した頃から各地で検討されてきた。開かずの踏切は、交通渋滞の原因と指弾される風潮が強い。また、踏切を除去することで鉄道事故を減らす効果もある。事故が減少すれば、鉄道会社は定時運行を確保できる。定時運行は鉄道会社だけではなく、利用者にとってもメリットがある。
鉄道の立体交差化は時代の要請でもあり、中央線が通過する三鷹市・武蔵野市・国分寺市・立川市などとも歩調を合わせる必要がある。駅舎の解体には反対を示していた国立市だが、高架化まで反対できない。そうした事情から、中央線は高架化された。
中央線の高架化を受け、国立市は駅舎の保存を検討。駅南側の隣接地を購入し、そこに駅舎を復原した。大正期に建設された国立駅舎は、当然ながら現代の耐震・防火基準を満たしていない。そのため、駅舎の復原は困難を極めた。国立市は駅舎を文化財に申請。文化財に認可されたことで復原を達成した。
建造物を以前と同じように再現することを、従来は“復元”と表現する。一方、2012年に開業当時の姿に戻された東京駅の赤レンガ駅舎は、“復原”と表した。
東京駅は1914年に竣工。威厳を漂わせる赤レンガ駅舎は、帝都の玄関口に相応しいとして高い評価を受けている。東京駅の赤レンガ駅舎は、当時の日本が文化・文明の両面で西洋に追いついたことを内外に誇示することを目的にして計画・建設された。いわば、国家の威信をかけた建築物でもあった。
現在、国家の威信を駅舎に込める必要はなくなったが、それでも東京駅の赤レンガ駅舎が特別感を強く放っていることは事実だ。赤レンガ駅舎は関東大震災・戦災を生き延びているが、空襲によって屋根が焼け落ちたために戦後の復興ではドーム型から8角形へと微妙に変えて再建された。
これは応急処置によるもので、すぐに元に形に戻される予定だった。しかし、そのままの形で長らく使用され、2014年に復原を果たすまで放置された。
東京駅の赤レンガ駅舎以降から、駅舎を昔の形に戻す作業は“復原”の文字が好まれて使われるようになった。“復元”も“復原”も、過去の姿に戻すという意味では同じだが、“復原”は文化財建造物を修復する際に用いられる傾向が強い。
国立駅舎でも、“復原”という言葉が使用された。そこには、“復元”よりも、強い思いが込められているようだ。
[1/2ページ]