「国連事務総長」の訴え空しく「新型コロナ」が悪化させる「国際紛争」 「平和構築」最前線を考える(16)

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「新型コロナウイルス」危機に際して、3月23日、アントニオ・グテレス国連事務総長は、世界の紛争当事者に、停戦を求める訴えをした。

 国籍や宗教の違いにかかわらず、ウイルスは人間に襲い掛かる。医療施設・従事者が貧弱になっている紛争地を、新型コロナの猛威が席巻したら、大変なことになる――そう述べたグテレス事務総長の訴えは、われわれには至極もっともだと響く。新型コロナ危機が全世界に広がる中、誰にとっても戦争どころではないような気もする。

 他方で、今こうした訴えに納得するような者たちであれば、そもそも戦争をしているだろうか、という思いもする。果たして、グテレス事務総長の訴えは、世界の紛争当事者の耳に届いたのか。様子を概観してみたい。

「弱体化」サウジの「停戦宣言」――イエメン

 日本でも、イエメンの紛争に長く介入していたサウジアラビアが停戦を宣言したことが報じられた。実際に、湾岸諸国とともにサウジがイエメンの親イラン組織である「フーシ派」に対して行ってきた空爆は、4月8日の停戦宣言以降、止まっているようである。ただし、フーシ派側の対応は不明瞭なままだ。

 実はフーシ派は、昨年からサウジ側に停戦の提案をしていた。紛争状況は硬直したまま、サウジとUAE(アラブ首長国連邦)の間に衝突が起こるなど、連合軍側にも足並みの乱れが見られるようになっていた。

 昨年9月のサウジ石油施設へのドローン攻撃(アメリカはイランが行ったと断定)事件の後、フーシ派から停戦提案がなされていた。これは、サウジ主導の連合軍の足並みが乱れたところを狙ったものだったと言ってよい。

 サウジはアブドラボ・マンスール・ハディ・イエメン大統領の政府機構を支援してきたが、UAEはハディ大統領と敵対する「南部暫定評議会」(Southern Transitional Council:STC)を支援してきている。

 昨年8月頃から政府支配地域の奪い合いを繰り広げていた。11月にリヤドで両派は衝突回避でいったん合意した。だが、遵守されず有名無実のものになっており、現在、要衝であるアデン港はSTCが支配している。

 STCは4月26日、新型コロナ危機に伴う緊急事態宣言とともに、南部の自治宣言を行った。

 これに対してハディ政権はもちろん、サウジも反発している。しかし実際は対抗策をとれる状態ではなく、黙認状態となっている。

 今回のサウジの一方的な停戦提案は、サウジの窮状を示唆しているように見える。

 サウジの新型コロナ感染者は、4月30日現在で2万1000人を超え、毎日1000人以上のペースで増え続けている。死者は144人だが、今後増え続けることは必至だ。サウジの人口は3400万人程度で、世界20位の感染者数である。

 新型コロナへの直接対応に加えて、深刻なのは最近の原油安だ。これは、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子にしてみれば、全ての状況をひっくり返すような深刻な事態だろう。

 泥沼のイエメン内戦は、平時から、皇太子の権力基盤を脆弱化させる要素であった。石油収入が断たれるということになれば、いよいよ国内の治安状況を深刻に見直さなければならないだろう。

 もちろん権力基盤の強化のためにも、イエメンの親イラン勢力であるフーシ派をアラビア半島から駆逐しておきたかったわけだが、今やそれどころか、STCに政府支配勢力を刈り取られるのをなすすべもなく見守っているような状況だ。

 イエメンにおけるもう1つの深刻な新型コロナの影響は、アメリカの援助資金の停止だ。

 イエメンは現在、世界最大規模の人道援助が展開され続けている地域である。しかし国連は、イエメンにおける41の人道援助プログラムのうちの31を、資金枯渇のために停止せざるを得ない、としている。

 イエメンでは、人口の3分の1がキャンプ生活を余儀なくされ、人口の8割の約2400万人が人道援助に依存しているとされる。医療機関は破壊されて機能不全を起こしており、新型コロナそれ自体への対応に限界があることも、言うまでもない。

 イエメンにおける新型コロナ感染者数は、現在のところ1人である。もちろん政府機能が崩壊しているイエメンにおいて、検査を実施する能力そのものが整っていないことは自明のことなので、これから何が起こってくるのかは、全く不透明な状況だ。

 この状況で、果たしてフーシ派は、何を考えているだろうか。援助停止後の人道危機、コロナ蔓延の危機、弱体化しているハディ政権を撃退する機会とを天秤にかけて、計算を進めているはずだ。イエメンは、不気味な緊張状態にある。

活発な軍事攻勢――東アフリカ

 アフリカでは、大陸全域で3万4610人の感染者と、1517人の死者を出している。各国とも「WHO」(世界保健機関)の協力を得て対応体制をとりながら、次々とロックダウン措置を導入してきた。今後、どれくらいの広がりを見せるのか、予断を許さない。

 新型コロナがアフリカの紛争に与えている影響は、まだ見定めることができない。

 紛争多発地域であるアフリカの角からサヘル(サハラ砂漠南縁)にかけての地域では、アルカイダ系や「イスラム国」(IS)系の様々なイスラム原理主義勢力が、「侵略者たちが持ち込んだ」新型コロナへの警戒心を呼び掛けているが、同時に、欧米諸国がことごとく新型コロナで疲弊していることを1つの好機ととらえ、活発な軍事攻勢の動きも見られる。

 イスラム原理主義テロ組織である「アル・シャバブ」と「AU(アフリカ連合)軍」(AMISOM)などとの戦争が続いているソマリアでは、3月16日に最初の新型コロナ感染者が見つかった。現在は582人にまで増えている。医療体制は脆弱であるため、感染拡大が恐れられている。

 ソマリア政府(首都モガデシュ周辺を統治)は、商業国際線を全面運航停止にし、国内ではロックダウン措置をとった。ところがこれに反発した民衆がデモを繰り返し、手を焼いた警官が発砲して1人を殺害するという事件が起きた。

 4月7日、「アメリカ・アフリカ軍」(AFRICOM)は、4月2日の標的爆撃によって、Yusuf Jiisというアル・シャバブの指導者の1人を殺害していたと発表した。実はアメリカが停戦に応じていないわけだが、ソマリアでは、アル・シャバブはもちろん、AMISOMも停戦を宣言する余裕がない。

 筆者がこの原稿を書いている段階でも、ソマリア南部Barawaの空港に対してアル・シャバブが襲撃を仕掛けてきたのを、AMISOMが撃退した、といったニュースが次々と流れてきている。

 AMISOMは新型コロナ対策の衛生環境普及活動などにも従事しているが、アル・シャバブはその様子をうかがいながら、勢力の拡大を目指した攻勢に出ているのである。

ボコ・ハラムの攻勢――西アフリカ

 同じように目立った動きをしているのが、西アフリカの「ボコ・ハラム」だ。指導者のアブバカル・シェカウは4月14日の声明において、自分たちの領域にコロナウイルスを持ち込むことは許さないとする一方、神に祈りを捧げて、通常通りの生活を続けている自分たちは、

「アンチ・ウイルスを保持している、お前たちはコロナウイルスを持っている」

 と主張した。そして自分たちが健康でいることについて神に感謝し、また世界でパンデミックが起こっていることについて、特にアメリカ、ナイジェリア、チャド、ニジェールが苦しんでいることについて神に感謝する、と述べた。

 シェカウに名指しされた周辺国は、ボコ・ハラム掃討軍事作戦を長年行ってきている「MNJTF」(Multinational Joint TaskForce)の構成国である。4月27日現在、ナイジェリアは1728人の感染者と51人の死者、チャドは52人の感染者と2人の死者、ニジェールは713人の感染者と32人の死者という、新型コロナの被害を出している。

 ナイジェリアは2億人を超える人口を持ち、1人当たりGDP(国内総生産)も6000ドル台というアフリカの大国だが、周辺国は人口1000万~2000万人規模の低開発国であり、ニジェールにいたっては1人あたりGDPが1200ドル台の世界最貧国の1つである。新型コロナへの対応にも限界があることは、言うまでもないだろう。

 特異な自信を誇示するボコ・ハラムは、軍事攻勢を活発に仕掛けてきている。

 報道では、3月下旬にナイジェリア軍兵士70人が殺害される攻撃、チャド軍兵士92人が殺害される攻撃などが起こった。

 これに対応してチャドは、イドリス・デビ大統領自らが戦線に赴いて、大規模なボコ・ハラム掃討作戦を行った。

 デビ大統領によれば、この作戦によってチャド軍兵士52人がさらに死亡したが、ボコ・ハラム兵士1000人を殺害したという。4月4日にデビ大統領は、チャド領内からボコ・ハラム勢力を全て追い払ったと宣言したうえで、4月10日にはボコ・ハラム掃討作戦からチャドは撤退することも表明した。潮時を狙っているということだろう。

誘拐事件も発生――マリ

 マリでは2000万人弱の人口で、482人の新型コロナ感染者と25人の死者が出ている。テロ勢力掃討作戦を展開中のG5サヘル合同軍を構成する周辺国(マリ、モーリタニア、ブルキナファソ、ニジェール、チャド)では、人口2000万人程度のブルキナファソが感染者638人・死者42人を出しているなど、この地域にも着実にウイルスが広がってしまっている。

 パンデミックの中、マリでは3月29日に議会選挙が行われた。投票者に2メートルの間隔をとるよう指導をしながら行ったという。

 選挙期間中に起こった衝撃的な事件は、野党党首のスマイラ・シセ氏が、マリ中部で誘拐にあったことである。側近の者たちは一緒に誘拐されたが、ボディガードは殺害されたという。マリでは「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)系のテロ集団などが武装闘争に明け暮れているが、シセ氏は、いずれかの組織によって拘束されたと考えられている。マリでも、グテレス国連事務総長の呼びかけに応じて停戦が起こる気運は見られない。

停戦合意の履行進まず――アフガニスタン

 アフガニスタンでは現在、2171人の新型コロナ感染者と64人の死者が出ている。3月に感染爆発状態になったイランと長い国境を接しているため、西部のヘラートを中心に、ウイルスの浸透度は非常に高いと考えられている。

 新型コロナ危機の渦中の3月24日にアフガニスタン担当国連事務総長特別代表に就任した、カナダのデボラ・ライオンズ氏が停戦を各当事者に訴えているが、まだ成果は出ていない。相変わらずの戦闘と市民の被害が続いている。

「タリバン」は、明確に停戦の呼びかけを拒絶している。2月にアメリカとの間で締結された合意の履行が先だ、というのがその理由だ。

 アメリカ軍の撤退に至る道筋を示した2月合意では、まずタリバンとアフガン政府の間で、それぞれが拘束している相手側の捕虜を解放することになっている。しかしアフガン政府は、ほんの部分的な形で対応しているだけで、タリバン側の暴力の停止を求めて、この措置の履行を渋り続けている。

 なお先月、2人の大統領候補が同時に就任式を行ったカブールのアフガン政府側の混乱は、まだ続いたままである。果たしてこのような状況で、新型コロナ対策はどのように実施されていくのか。

弱みに付け込む反政府勢力

 このように主要な紛争地の様子を見ていくと、残念ながらグテレス国連事務総長の呼びかけに応じる流れができているとは言い難い。

 コロナ危機の対応を迫られるのは、保健政策を通じて国民の保護にあたらなければならない各国政府なので、いくつかの政府の側には、停戦が果たされれば安堵する気持ちがある。

 しかし反政府系の勢力は、そのような保健政策導入の義務を持っておらず、爆発感染が起こりやすい都市部を拠点にしているわけでもない。また、もともと兵力の補充も非合法な形で行ってきているため、新型コロナ危機に対する深刻度は共有されていないのだ。

 政府側を支援してきたドナーである欧米諸国が、軒並み新型コロナ危機で政治的にも財政的にもひっ迫している現状では、政府側勢力が劣位に陥る形で、紛争が悪化しがちになっている傾向も見て取れる。むしろ反政府勢力側が相手の弱みに付け込むように攻勢をかけてきている様相もある。今のところ、新型コロナ危機は、世界の紛争問題を悪化させる要因として働いているように見える。

篠田英朗
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)など多数。

Foresight 2020年5月1日掲載

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