センチメンタル・ジャーニー(古市憲寿)

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 旅ができない時代だ。

 せっかく時間があるので、これまで訪れた場所の写真を見返していた。iPhoneをスクロールしていたら、ノルウェーで船を間違えたことを思い出した。2016年、夏至の頃の話である。

 よくある乗り間違えといえば、浜松町駅で山手線に乗るところを京浜東北線の快速に乗車してしまい、数分をロスしたとか、その程度のものだろう。しかし船の間違えは、もう少しだけ大変だった。

 その日、僕はボーデというノルウェー北西部の港町から、ロフォーテン諸島へ高速船で移動する予定だった。曇り空の港町には興味を惹かれるものは少なく、予定よりもだいぶ早く船乗り場に着いてしまった。これが間違っていた。

 受付で買ったチケットをやる気がなさそうな係員に見せて、船に乗り込む。出航まで1時間近くあるはずなのに、やけに座席が埋まっている。本来はそこで違和感を抱くべきだった。

 乗り込むとすぐに高速船は港を出た。夏季だから臨時便が出ているのかとも思ったが、さすがにおかしいとGPSを確認すると、船が南に向かっていることがわかった。ロフォーテン諸島は北西にあるはずだ。

 もしかしてと船の時刻表を検索してみると、乗るはずだった高速船よりも約1時間前、南へ向かう船が同じボーデから出航していることを知った。航路を確認する限り、どう考えてもこの船である。

 大変だと騒ぎたかったが、一人旅なので黙るしかない。大学時代、ノルウェーには1年間住んでいたが、時刻表には一度も聞いたことがない地名が並んでいる。船は一日一便の運航で、今日はもうボーデに戻れないし、ロフォーテン諸島に行けないこともわかった。

 各寄港地のホテルを調べていくが、どれも小さな村や島ばかりで、きちんとした宿泊施設は見当たらない。Airbnbもチェックするが、1時間後に泊まれるような場所はない。

 そうしているうちに船の最終目的地がサンネシェーンという人口約8000人の大きめの町だということがわかった。ホテルも二つある。結局、5時間半かけてその町へ向かうことにした。

 日が沈まない夏のノルウェーで、船窓には風光明媚なフィヨルドが広がる。しかし、見慣れてしまえばただの岩のかたまりなのだろう。現地に住んでいると思しき乗客はみな景色など無関心というように、深く眠り込んでいた。

 22時前、白夜のせいでまだ太陽が眩しい町に船は着く。そして翌朝6時半、昨夜と変わらない明るさの港で、昨日と同じ高速船に乗り込む。昨日と変わらない景色を見ながら、昨日もいた町へと戻るために。

 あの乗り間違えを懐かしく思う。ただの無駄でしかなかった寄り道。しかし旅自体、ほとんどが不要不急だ。だから世界中の人々が控えている。コロナ騒動が終わった後、僕たちは再び旅に出るのだろうか。それとも家にいることに慣れ過ぎて、旅が古臭い慣習となっているのだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年4月30日号掲載

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