当初余裕も「ロシア」感染激増で「学徒出陣」「貧困増大」プーチン政権「延命危機」
横浜港に停泊したクルーズ船で「新型コロナウイルス」の感染者が増え続けた2月中旬、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、日本政府の対応は「無秩序でカオス」と優雅に批判していた。
だが、ロシアでは4月中旬以降、毎日5000人規模で感染者が急増。4月29日時点で9万9399人と、感染源の中国を抜いて世界ワースト8位となっている。
医療崩壊も進み、まさにロシアが「無秩序でカオス」に陥った。当初はモスクワ首都圏が感染者の3分の2を占めたが、その後北部、南部など全土に広がり、ピークは見えない。
新型コロナ禍に伴う原油価格の暴落もダブルパンチとなって、ロシア経済に打撃を与えつつある。空前の格差社会の中で、最もしわ寄せを受ける貧困層や貧しい地方の反乱も予想され、米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』(4月23日)は、
「ウラジーミル・プーチン大統領は過去20年で最大の試練に直面しよう」
と伝えた。
時代錯誤の演説
ロシアはウイルス発生で早々と中露国境を閉鎖するなど水際作戦を展開し、3月1日時点で感染者は在留中国人2人だけだった。しかし、人気のアルプス・スキーに出かけた富裕層が北イタリアからウイルスを持ち込んだ。
ロシアが西欧との航空便を全面規制したのは3月13日で、この間の油断が致命傷となった。ウイルスは「3密」のモスクワのナイトライフを通じて拡散。4月1日にはまだ2700人程度だったが、その後爆発的に増え、増加のテンポはイタリアやトルコに匹敵する。
実際の感染者が確認された数字をはるかに上回ることは、セルゲイ・ソビャーニン・モスクワ市長も認めている。医師の労組「医師連合」は、政府が感染者の正しい数字を隠していると非難した。サンクトペテルブルク市の当局者は、今後同市だけで感染者が最高12万人に膨れる恐れがあると警告した。
多くの病院でクラスターが発生し、医療崩壊を招いている。
『モスクワ・タイムズ』紙(4月24日)によれば、富裕層は人工呼吸器を自前で確保しているが、病院の人工呼吸器は老朽機器や故障品が多い。
プーチン政権は国産品を優遇し、外国からの人工呼吸器輸入を禁止したが、医療関係のNGO(非政府組織)は大統領に対し、国産器は不良品が多いとして、禁輸措置の解除を要請した。同紙は、病院が感染のホットスポットになり、多くの医師や病院関係者が感染していると伝えた。
プーチン大統領はオンラインで連日対策会議を指揮しており、4月13日には、
「状況は日々悪い方に変わり、罹患者が増え続けている」
「正確なデータと客観的な予測を毎日私に報告せよ」
「時間を無駄にしたらそれは犯罪的な職務怠慢だ」
と地方指導者らに檄を飛ばした。大統領はさらに、
「医科大の学生も動員すべきだ」
と「学徒出陣」を命令。軍や予備役の専門家も動員するよう指示した。
大統領は3月末、
「政府は事態を掌握している」
「2カ月程度で終息する」
と述べており、予測の甘さも目立った。
4月8日の国民向け演説では、中世の遊牧民族による侵略を退けた歴史を持ち出して、新型コロナ禍に勝利しようと呼び掛けたが、SNS上で「時代錯誤」と皮肉られた。大統領は感染を避けるため、南部・ソチの公邸に移動したとの情報もある。
国民は飲酒に走る
ロシア政府は3月末から「有給非労働期間」を設置、全土に事実上の外出禁止令を敷き、買い物や治療以外の外出が禁止された。
家に閉じ込められたロシア人は飲酒に走り、外出禁止開始の1週間で、アルコール販売量は前週の65%増加した。
外出禁止で家庭内暴力が急増し、極東のヤクーツクでは泥酔した父親が妻や子供4人を殺害。首都に近いリャザンでは、男が自宅の窓の下でしゃべっていた若者グループと口論になり、ライフルで5人を銃殺した。
長引く経済封鎖で、南部の30万都市ウラジカフカスで4月20日、封鎖の解除や労働の提供、新型コロナ情報の開示を要求して1500人が非合法集会を行い、主催者らが拘束された。
南部では、この種の反政府デモがしばしば起きている。
収入の途絶えた市民から、外出制限緩和や休業補償を求める声も上がってきた。
政権は感染拡大が社会不安につながることを憂慮し、情報統制を強化している。
『モスクワ・タイムズ』(4月22日)によれば、政権に批判的論調が目立った高級紙『ベドモスチ』は、3月に経営権がクレムリンに近い新興財閥に売却され、新編集長は記者に対し、大統領の任期延長を可能にする改憲を批判する記事を書かないよう通達。違反すれば、解雇もあり得ると警告した。
国内各地で医療現場の窮状を訴えた医師らが当局の圧力を受けており、人工呼吸器の不足をネット動画で訴えた医師は、「偽情報を流した」として取り調べを受けた。
大統領報道官は病院関係者に対し、要望はメディアではなく、政府の関係機関に言うよう命じた。
貧困層を直撃
プーチン政権にとって、輸出の70%、政府歳入の35%を占める石油・ガスの国際価格が暴落したことも、ダブルパンチとなった。
ロシア中央銀行は4月24日、原油価格が年初来70%下落し、経済を直撃したため、
「今年は深刻なリセッション(景気後退)が続く」
と予測。公定歩合を2012年以来最低水準に引き下げた。
政府系紙『イズベスチヤ』(4月16日)は、新型コロナや原油安による経済損失は2400憶ドル(約25兆7000億円)に上り、サービス産業を中心に最高1500万人の失業者が出る可能性がある、とのシンクタンクの予測を伝えた。
ロシア経済はプーチン時代初期の高度成長期は去り、リーマンショック後の2009年からの10年間、年間成長率の平均は1%以下に落ち込んでいる。
しかも、ウクライナ危機の2014年以降は毎年平均所得が低下。貧困層はこの2年で300万人増え、人口の13%に当たる1930万人に上った。
国家統計委員会の調査では、昨年時点で80%の家庭が「最低限必要な物資を定期的に購入できない」と回答した。原油安と新型コロナが貧困層を直撃し、社会不安を誘発しかねない。
最大野党である極左「ロシア連邦共産党」の議員は、経済封鎖で国民の貯金が枯渇しており、現金を配らなければ、大規模な飢餓や反政府運動が起こると警告した。
「政権崩壊」シナリオも
プーチン大統領の5選を可能にする4月22日の改憲国民投票は、新型コロナ禍で延期されたが、ロシア紙『コメルサント』(4月22日)は大統領府筋の話として、6月末か7月初めに実施される見通しだ、と報じた。
大統領府は9月に統一地方選があるため、早期に実施したい意向という。政権はあくまで改憲を急ぐ構えだが、新型コロナと原油安が政権長期化の脅威になりつつある。
ロシアの危機管理問題専門家、アレクセイ・エレメンコ氏は『モスクワ・タイムズ』(4月24日)で、2020~21年に予想されるシナリオとして、
(1)プーチン大統領の支持率は落ちるが、有力野党がないことや政治統制強化で現状維持が続く。しかし、経済は悪化し、失業、倒産が続く停滞シナリオ
(2)政府がGDP(国内総生産)比6~10%を投入する経済復興策に着手し、産業多角化が進み、経済はやや好転。憲法改正が実現し、来年の下院選で与党が勝利する危機克服シナリオ
(3)経済・社会混乱が拡大し、政権は反体制派弾圧やネット検閲を強化。部分的な食料配給制を導入し、企業統制を強めるソ連型シナリオ
この3つの可能性が、この順番で起こり得ると予測。4つ目として、
「民衆が決起し、政権交代」
というシナリオも挙げた。
著名な政治学者、アレクサンドル・ツィプコ氏は『モスコフスキー・コムソモーレツ』紙(4月16日)で、
「コロナの感染拡大により、ロシア人は改憲などよりも、自らの生存問題をひしひしと考えるようになった。革命が起きるとは思わないが、政治の優先度が変わり、政権は国民生活を最優先に考えざるを得なくなる」
と指摘した。
「プーチン政権最大の試練」と書いた『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、経済危機の中で、プーチン大統領のコアな支持層が生活苦から絶望に陥り、政権に反旗を翻す可能性があると分析。
「プーチン氏は当面政権を維持しようが、国民の怒りは2024年の次回大統領選で表面化しそうだ」
と予測した。最長で2036年、83歳までの続投を目論むプーチン大統領の延命戦略は、一転して不透明になってきた。