【コロナ禍】悲観論に拍車「40万人死亡」試算を考える 煽るテレビに流されるな

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お先真っ暗ではない

 試みに、現在、感染者が3人である鳥取県の平井伸治知事に尋ねると、

「緊急事態宣言が全国におよぶのは想定外だったので、正直、びっくりしましたが、意義はあると思います。鳥取砂丘はコロナ疎開の象徴のように報じられ、感染者が少ないから鳥取に、とおっしゃる方が多かった。宣言が出て初めての週末、砂丘は砂ばかりになったので、効果はあったと思います」

 いまなお感染者ゼロの岩手県の達増拓也知事も、

「ゴールデンウィークを視野に入れ、最初に緊急事態宣言が出された7都府県から、岩手にもたくさんの人が来ることを懸念していたので、拡大されて、わが意を得たりであります」

 と歓迎する。だが、感染症に詳しい浜松医療センター院長補佐の矢野邦夫氏はこう指摘する。

「いま緊急事態宣言を出す目的は、医療崩壊を防ぐことなので、岩手や鳥取などへの宣言の拡大には、疑問があります。緊急事態宣言とはかなり強いカード。一回出してしまうと、いまは流行していない地域に感染が広がったときに再び切っても、その効果が弱くなってしまう。人の移動はコントロールしながら、タイミングを慎重に検討する必要があったと思います」

 それに、都道府県を跨いでの移動が過剰なまでに問題視されるなか、奪われた命もあった。今月11日、岩手県花巻市で不慮の死を遂げた松尾利明さんである。

「マッサンは東京の人だし、マンション住民は、コロナ疎開でこっちに来たと勘違いするわな」

 と述懐するのは、花巻市東和町にあるカラオケスナックの店主である。

「マッサンが東和に初めてきたのは、30年くらい前らしい。全国の博物館や記念館を回るのが趣味で、数年前から頻繁に顔を出すようになった。すると必ずウチに飲みにきてくれて、ボソボソと喋ってね。カラオケも50年前とかの超古い曲ばかり選んでさ。人に馴染まない性格だったけど、ようやく仲良くなりかけてた。去年の暮れからは月2回も来るので、“東和に住んだら”と言ったのよ。そしたら“実は終活はこっちで考えていたんだ”って。ちょうど近所に高齢者マンションがあって、72歳のマッサンだと半額になるんだけど、たまたま1部屋空いていて、家賃は3万円。俺が保証人になって、家賃も2カ月分振り込んだんだけど、問題があった。住所がこっちになきゃダメなのよ」

 ところが、終の棲家に住民登録しようと花巻市役所を訪ねた4月8日は、緊急事態宣言が出された翌日。

「東京から来たなら2週間待機しなきゃだめだと却下されたみたい。仕方なく俺のワゴン車に寝泊まりしたら、高齢者マンションの大家さんが同情してさ、(別の建物に)空き部屋があるから2週間すごしたら、と紹介してくれたわけだ」

 隣の家のストーブからの失火で、その住居に燃え移った火にのまれ、マッサンが焼死したのは、3日後の11日だった。

「宮沢賢治記念館には千回くらい行ったらしく、地元の人以上に地元を知ってたんだよな。でも、住民票を移す前に挨拶しようと、高齢者マンションの住人のお茶会に参加して、“どちらから?”と聞かれて“東京”と答えたら、何人かフリーズしちゃったと言ってた。村八分のような扱いを受けていると感じていたのはたしかだと思う」

 マッサンの死は、度がすぎる悲観論で人々の恐怖心が煽られると、新たな悲劇を招くことを物語る。ここで悲観論に拍車をかける西浦教授の試算を、改めて考えたい。前出の矢野氏は、

「新型コロナウイルスに対して無頓着な人をターゲットに、警告の意味を込めてこの数字を出したのだと思います。ただ、慎重な方が過敏に反応し、ストレスがかかってしまうという二面性があったと思います」

 と憂慮する。自民党元幹事長の石破茂氏も、疑問符をつける。

「100年前のスペイン風邪で、日本では45万人死んでいて、いまの人口に換算すると120万人くらい死んだことになります。そういう数字は、気をつけなきゃ、と国民を覚醒させる効果はありますが、100年前とくらべ、医療は格段に進歩しています。100年前には人工呼吸器も人工心肺もないわけだし、衛生水準も格段に向上していますからね。だから、北大の先生の言っていることの一部だけを切りとるのは、いかがなものかと思います」

 スペイン風邪との比較においては、前出の石蔵氏の話にも耳を傾けたい。

「スペイン風邪が流行した当時、日本人の平均寿命は42~45歳。そのなかで若い人が大勢亡くなったわけですが、新型コロナウイルスで重症化しているのは圧倒的に高齢者。誤解を恐れずに言えば、そこに救いがある。新型コロナは、労働人口が減少して国が滅ぶような病気ではありません」

 それなのに、冷静な視線を失って悲観主義に支配され続けるなら、滅ぶべくもない国も滅ぶというものだろう。先の岡部氏は、

「日が経つにつれ、このウイルスへの理解が進み、既存薬の活用や検査薬の開発も進んでいる。普通の生活をめざして、いろいろな方向から対策が講じられているところです。少なくとも半年後、1年後がお先真っ暗だとは思いません」

 と、トンネルの先に明かりを灯してくれる。それでも、ハーバード大の研究者が「現在の医療の力では感染の流行は2022年まで続く」と言えば、不安にもなろう。前出の和田教授も、すぐには収まらないと予想するものの、こう提言する。

「我々がすべきは、コロナとの戦いが年単位で続くと想定したうえで、どう生活を維持していくかを考えること。3密を避け、地域を越えた移動を最低限にとどめることは必要です。しかし、たとえば飲食店であれば、席数を減らし、距離を開け、十分な換気を確保するなどの対策を講じたうえでなら、営業できるところもあります」

 矢野氏も続く。

「軽症者まで入院させたり、PCR検査をしたりするから、医療に過重な負担がかかるのであって、危ない人だけ入院させ、集中的にケアすればいいのです。そのうえでお店を開け、イベントも早く再開してもらいたいですね。高齢者や合併症がある方は慎重にしたほうがいいですが、残りの人は元気に働き、飲み屋で騒いでもらっていい。子供は重症化しにくいので学校も再開していい。いまのままでは子供の発達に問題が生じますし、自粛をしたままでは、生活に困窮する人が大勢出てきてしまいます」

 過剰な自粛が原因で、これだけの人が亡くなりかねない、という試算もまた、成立するはずである。

週刊新潮 2020年4月30日号掲載

特集「『コロナ』生死のカギ」より

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