「志村けんさん」「岡江久美子さん」は実名でも「コロナ死去」匿名報道のワケ
京アニ放火殺人事件では
こうした考え方は事件事故にも通じる。例えば、誰もが被害者、加害者になりうる死亡交通事故の場合、警察は亡くなった被害者名を実名で公表し、報道機関も実名で報じるのが基本だ。殺人事件など凶悪犯罪が起きた場合も、原則、死亡事故と同様に被害者名は実名公表され、実名報道がなされている。
事件事故の実名報道の根底には、事実の記録に加え、社会の一人ひとりが同じ人間として事件事故を現実の問題として受け止めて悲しみや怒りを覚える、再発防止に向けた観点からもより具体的な情報が欠かせない等の考えがある。さらに、公表する警察が、捜査ミス等の何か重大な情報を隠していないかを検証するなど、権力不正の監視・追及の面でも実名は重要な要素となる。
もちろん、実名報道にあたっては、被害者遺族らへの配慮が欠かせない。実名報道に公益性・社会性があるとはいえ、亡くなった大切な家族を静かに悼みたいと願う遺族も当然いるはずだ。
昨夏に起きた京都アニメーション放火殺人事件では、京都府警は、遺族の意向をそれぞれ確認した上で、事件発生から1か月以上経ってから犠牲者の実名公表に踏み切るという異例の対応をみせ、報道機関に対しては、実名報道を拒否している遺族が多数いることも強調した。
なお、京都府警が「匿名希望」と説明した遺族の中には、取材に対して「匿名は望んでいない」として応じるなど府警と遺族の間で食い違いが生じ、遺族意向の確認のあり方には課題を残したものの、こうした京都府警の姿勢は一定の評価ができるだろう。
(※京都府警の異例の対応には、当時の警察庁長官の意向があったhttps://www.dailyshincho.jp/article/2019/08200558/)。
今回の新型コロナの問題に話を戻したい。新型コロナに感染して死亡した犠牲者らにとってみれば、不慮の感染症で突然に命を絶たれたという悲劇に加え、感染リスクから死に目にすら立ち会ってもらえない、遺族が立ち会えないという辛さもある。
遺族からすれば、新型コロナで亡くなったのは、犠牲となった匿名の「誰か」ではなく、人格を持った「大切な人」なのだ。それにもかかわらず、世の中に知らされるのは、「○県の男性」という、機械的なたった数文字のみ。新型コロナには、死者の尊厳すらも踏みにじる怖さがあるとも言えるだろう。
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