武漢の研究所に危険な数十種の「コロナ」サンプル:「漏出」を疑う米情報機関 インテリジェンス・ナウ

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「武漢に持ち込んだのは米軍かもしれない」

 中国外務省の副報道局長、趙立堅氏が3月12日にツイッターでささやいたこの文言に、ずっと違和感を覚えていた。

 ツイッターは中国国内では、一般の人は使えない。趙氏は当然、内容も政府の指示ないしは許可を得てアップしたに違いない。

「新型コロナウイルス」の「震源地」を武漢の海鮮市場とする中国当局の公認情報が、関係者らの証言などで揺らいでいるため、中国が反撃に出た形だ。だが、「米国の陰謀」を煽る謀略情報であっても、すぐにバレるような誤った情報は通常、避ける。

 だから、陰謀の主体をいつものように「CIA(米中央情報局)」と言うのではなく、なぜ「米軍」と絞ったのか、理解できなかった。

 約1カ月後の4月14日、『ワシントン・ポスト』(WP)電子版に、関連する興味深い記事が出て、事態が呑み込めた。どうやら中国は、米軍の情報機関がこの問題に関与しているとみて、米軍を牽制する動きに出た、とみられるのだ。

 この記事は、2018年1月と3月に駐武漢米国総領事や北京の米大使館参事官が中国科学院「武漢ウイルス研究所」を度々訪問、この研究所が行ってきた「キクガシラコウモリ」から人へのコロナウイルスの感染に関する研究に危険なリスクがある、と国務省あて公電で報告していた、とスクープした。

 それが事実なら、新型コロナは「事故」で研究所から漏出した可能性がある。

 しかも、この参事官はどうやら国務省のキャリア外交官ではなく、米軍の特殊な情報機関に所属している可能性が濃厚であることが、筆者の取材で分かった。

 さらに驚くべきことに、米政府は、武漢ウイルス研究所の研究員が行っていた研究に多額の研究費を支出し、援助していた。

 一体、どんな実験を行い、どのような「安全問題」があったというのだろうか。

731部隊資料保管基地に米医療情報機関

『WP』記事の筆者ジョシュ・ロギン記者は、保守系の外交安保コラムニスト。2年前、マイク・ペンス副大統領の平昌冬季五輪開会式への出席に同行し、米朝首脳会談開催につながる「米朝対話」の動きをすっぱ抜くなど、特ダネ記者として知られている。

 この記事でまず注目したのは、米外交官らが同研究所を訪問した当時、米大使館の「参事官」だったとされる人物S氏の所属である。

 S氏の身元をインターネットで確認しようとしたところ、現時点の国務省の名簿に記載がなく、経歴も不明だった。

 2014年当時、彼が「駐タイ大使館地域環境担当官」だったとする記録文書には、写真が掲載されていた。研究者用のSNSである「Academia.edu」にもサングラスをかけた写真が掲載され、この人物は「まだ論文をアップしていない」との書き込みとともに、彼は国務省の情報機関「情報調査局」(INR)所属と記されていた。

 この人物が、本当は所属機関を秘匿した情報機関員で、「外交官」に偽装していたとすれば、状況は十分理解できる。

 中国側はあえて「米軍」が持ち込んだとしているが、実は、米国の軍事情報機関「国防情報局」(DIA)の傘下に、「パンデミック」(感染症の世界的流行)などに関する医療インテリジェンス(MEDINT)を担当する「国家医療情報センター」(NCMI)という機関がある。

 すなわち、「米軍犯人説」には、武漢を訪れたこの参事官の所属を暗にNCMIと示唆する意図が込められていた可能性がある。

 4月3日付の米外交誌『フォーリン・ポリシー』電子版も、「新型コロナと前線で戦う情報機関」としてNCMIを紹介している。

 中国は今後、この問題で米国の情報活動を批判する論陣を張ろうとしているのではないだろうか。

 NCMIの組織は、戦時中の「陸軍軍医総監事務所」が前身で、戦後は占領地の医療状況を調査して報告する業務を担当。現在は「感染症のリスクに関する医療インテリジェンス」を米政府に提出する任務などを負い、2008年に現在の名称となった。

 NCMIの本拠地はメリーランド州フォート・デトリック陸軍基地。この基地は、戦時中「細菌戦争」を実行した旧日本軍「731部隊」と深い関係がある。

 米国側が731部隊を率いた石井四郎軍医中将を「免罪」したのと引き換えに、石井から米側に提出させた大量の人体実験などの資料が、この基地内に保管されてきた。中国はそんな過去にも注目しているだろう。

 筆者はワシントン郊外のこの基地の外観だけでも見ておこうと、周囲を車で回った経験があるが、警戒が厳重で近づき難かった。

「うちの研究所から?」との疑念も

 ここで武漢ウイルス研究所が抱える問題に戻る。

 同研究所は2015年、国際的に最高レベルの安全基準BSL-4を備えた中国初の施設となった。

 しかしいくつかの問題が指摘されたため、駐武漢米総領事と駐北京参事官(環境・科学・技術・衛生担当)が研究所を訪問して調査を行った。

 ロギン記者がこの記事で紹介しているのは、2人が連名で国務省に送付した、次のような内容の2018年1月19日付公電だ。

■高度に密閉した研究所を安全に運用するのに必要な、適切な訓練を受けた技術者の不足が深刻だ。

■重症急性呼吸器症候群(SARS)のようにコロナウイルスはコウモリから人への感染が可能である。

 では、武漢ウイルス研究所ではどのような研究を行っていたのか、その模様をルポ風に追った米科学誌『サイエンティフィック・アメリカン』(3月11日付電子版)の記事から紹介したい。

 この記事の主役は、武漢ウイルス研究所で研究プロジェクトのリーダーを務めた石正麗博士(55)。武漢大学を卒業後、フランスのモンペリエ第2大学で博士号を取得した。

 過去16年間にわたって、中国南部亜熱帯の洞窟に生息するコウモリを捕らえてウイルスを検出するなど活躍、あだ名は「コウモリ女」だという。

 彼女は雲南省の省都・昆明郊外の洞窟で5年間にわたり、キクガシラコウモリから数百種類のコロナウイルスを検出した。大多数は無害だったが、数十種類はSARSと同じグループで、マウス実験でSARSのような症状を発症し、人にも感染することを確認した。

 2015年、洞窟の周辺住民200人以上の抗体検査を行ったところ、約3%の6人からSARSのような抗体を検出した。これらの人は野生動物を扱ったことがなく、SARSのような症状や肺炎にかかったこともなかった。

 また、別の鉱山では、労働者6人が肺炎のような症状にかかり、うち2人が死亡。坑道で捕まえた6種のコウモリから多様なコロナウイルスを検出したという。

 昨年12月30日、石博士らが武漢ウイルス研究所に戻ると、世界が変わっていた。

 彼女は「中国中央部の武漢で(コロナウイルスの蔓延は)起き得ないと思っていた」ので、武漢市当局の発表は間違いかと考え、

「うちの研究所から出た可能性があるのか?」

 とも疑ったという。

 当初は自分の研究所の事故で外部に漏れた可能性があるとみていたのだ。

 急きょ患者のサンプルを検査したところ、SARSに似た遺伝子配列で、「SARS-CoV-2」というウイルス名(COVID-19は病名)が付けられた。石博士らが雲南省の洞窟などで採取したものの中に、同じ遺伝子配列のウイルスはなかった、と同誌は伝えている。

米政府は研究支援を停止

 しかし、別の科学誌などと合わせ読むと、石博士らのグループが危険とみられる実験も行っていたことが分かる。

 2015年11月12日付英科学誌『ネイチャー』電子版によると、この研究チームは、SARSのウイルスを土台に、キクガシラコウモリから見つかった「SHC014ウイルス」のタンパク質を表面に持つ「キメラ」(2つ以上の異なる遺伝子を持つ組織が1個体を形成したもの)のようなウイルスを作製したという。

 石博士らは、SARSのようなパンデミック(世界的流行)の再発防止を目的に、米国やシンガポールのグループを含めた国際的な研究協力を進め、これに対して、米国政府は研究資金を提供してきた。

 しかし、ウイルスの毒性を高めたり、伝染力を強めたりする「機能強化」の実験も行い、不必要なリスクを冒したとして、バラク・オバマ政権時代の2014年10月、ホワイトハウス科学技術政策室は研究助成の支払いを停止した。

 ロギン記者のコラムによると、駐武漢総領事からの公電は、研究は危険だが重要だとして、追加的な研究助成を政府に要請していた。

 英紙『デーリー・メール』電子版(4月12日)によると、米政府からの拠出額は370万ドル(約4億円)に上るという。

中国当局、資料公開を抑制

 いずれにせよ、新型コロナ禍がどのように発生したか、その原因を解明することが最も重要な課題となっている。

『CNN』は4月16日、米情報当局および安保当局は、新型コロナの発生源として、海鮮市場ではなく、「武漢の研究所から拡散した可能性」に注視している、と報じた。

 ただ、その「研究所」が例の海鮮市場から約30キロ離れた「武漢ウイルス研究所」なのか、約5キロ離れた「武漢疾病対策管理センター」なのかは特定していない。

 現在のところ米国では、当初一部で指摘された中国による「生物兵器開発説」の可能性はないとみられており、「事故」によって研究所から漏出した可能性の方が重視されている。ただ、武漢ウイルス研究所側は事故説も否定している。

 マーク・ミリー統合参謀本部議長は研究所が発生源かどうか、情報コミュニティが「注視している」と言明。また、マーク・エスパー国防長官は『NBC』で、「問題のウイルスは自然界のものというのが多数派の見方」として、なお調査が必要と強調した。

 ドナルド・トランプ大統領は『FOXテレビ』で、

「政府は徹底的な調査を行っている」

とだけ述べ、具体的な事実への言及を避けた。

 焦点を絞ると、第1に、石博士らが雲南省などで集積した数十種の危険なコロナウイルスのサンプルの中に、SARS-CoV-2と同じ遺伝子配列を持つウイルス標本が本当になかったのかどうか、だ。再調査の必要があるだろう。

 また石博士本人が『サイエンティフィック・アメリカン』に明らかにしたように、最初に「うちの研究所から出た?」という疑問を抱いたことも無視できない。

 だが、中国政府は先手を打った。COVID-19関係の論文公開に当たっては、特別に厳しく精査する政令を発したというのだ。当然、原資料も漏れないよう管理を厳格化したに違いない。

 第2に重要なのは、米国やシンガポールの研究協力者が持つ資料を再点検することだ。今後、関係各国情報機関は競って原資料入手に努めるだろう。

春名幹男
1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

Foresight 2020年4月24日掲載

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