株主総会直前に風雲急! 積水ハウス「会長派vs.前会長派」の多数派工作

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「このままではアカン」

 そもそも、08年に営業畑出身の阿部氏を代表取締役社長へと引き上げ、“後継指名”したのは、他ならぬ和田氏自身だったのである。

 98年に社長へ就任した和田氏は、積水ハウスの売上高を2兆円まで伸ばし、戸建て住宅の販売数では日本一を達成。中興の祖として、業界団体の会長も歴任し、16年には旭日大綬章も受章していたが、腹心の部下に寝首を掻かれたわけだ。

 和田氏が続けるには、

「私自身、お人好しで脇の甘いところがあったと反省しています。事件を知ったのは、17年6月に土地取引が終わった後の役員会でしたが、私は“こんなことはまかりならんから、公にしろ”と皆に言ったんです」

 ところが、部下から猛反対を喰らったという。

「当時の法務部長に、“警察から、捜査の妨げになるから公表はしてくれるなと言われている”と止められた。稟議書に判を押した責任者である当時の阿部社長以下、稲垣副社長(士郎・現副会長)ら役員4人組も、何も言わず知らん顔。それで警察の偉い人に確認してみたら、止めるような話ではないと。おそらく、阿部君たちは事件化するのを恐れて特損計上で切り抜けるつもりだったのでしょう。結局、会社としては事件発生から2カ月経ってようやく公表したのですが、このままではアカンと調査委員会を立ち上げてもらったのです」

 今回の株主総会で、和田氏と共に「前会長派」として決起、勝てば“次期社長”と目される積水ハウスの現取締役・勝呂氏も、

「事件後、和田会長から徹底的な調査を求める指示がありましたので、取締役会で決議して調査委員会が設置されたのです。あくまで社内向けのものでしたが、事件の経緯が明らかになるにつれあまりに酷い内容で……。会社として、きちんと結果を世間に開示して説明すべきだと私も考えたのですが、その矢先に政権が代わってしまったのです」

“政権交代”とは阿部氏の会長就任を指す。

「結局、阿部会長の下で会社は事件の経緯から再発防止策までをプレスリリースしましたが、そこでは重要な事実関係に一切触れていません。調査委員会の報告内容を隠蔽する手段として、阿部会長らが取締役会で会長交代劇を仕掛けたとしか思えません」

 そう話す勝呂氏によれば、調査委員会は、クーデターが起こる前に「調査報告書」を完成させていたという。

 そこでは、社長だった阿部氏の決裁権者としての責任をこう断じている。

〈業務執行責任者として、取引の全体像を把握せず、重大なリスクを認識できなかったことは、経営上、重い責任がある〉

 だが、このような指摘を含む報告書の全文を、積水ハウスは模倣犯の発生や捜査上の機密保持を理由にして公表しなかった。

 積水ハウスの責任を問う株主代表訴訟でも「不開示」の姿勢を貫き、裁判所から提出命令を受けても即時抗告で争う始末。却下されて渋々開示したが、一部黒塗りの形で閲覧謄写に応じる徹底ぶりだった。

 勝呂氏に言わせれば、

「土地取引の稟議書へ最初に判を押したのは社長でした。そのため、幾つも疑わしいことが重なっても“社長案件”となって周囲が忖度し、契約に突き進んでしまった点は否めません。弊社は警察に被害届を出していますが、取引の経緯や対応を検証すれば、本当に被害者だったと言えるのかは疑問が残りますね」

 その最たるものが、地面師との土地取引が始まった後、積水ハウスの本社に届いた「内容証明郵便」だ。

 伏せられた「調査報告書」によれば、地面師らとの取引の最中、件(くだん)の五反田の土地所有者だと名乗る人物から、「通知書」が郵送で届く。

 その内容は、自分は長期入院中で面会謝絶の身、積水ハウスが交渉している相手はニセ者であるというもの。しかもそこには、土地の所有者本人であることを示す印鑑登録証明書の番号なども、添付されていたという。その一方、ニセ女将は契約時の本人確認で、干支を間違える失態を犯してもいる。

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