コロナ禍で迷走する安倍政権 「田中角栄」が総理だったらこの難局で何をやるか

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 コロナ禍で日本中が苦難を強いられている中、安倍内閣の支持率が急落している。4月14日に共同通信が発表した世論調査(4月10~13日)では「支持しない」が43・0%で、「支持する」の40・4を上まわった。その上、緊急経済対策で日本経済の回復が期待できると答えた人は僅か1・2。この国難の時に伝説的政治家・田中角栄氏が宰相だったら、どんな手を打つのか。

「田中角栄さんは水害などの自然災害があると、常識外れの予算を付けた。角栄さんが生きていたら、大型の経済対策をやったに違いありません」

 そう語るのは、著書に『指導者の条件―田中角栄に、なぜ人が集まったのか』(光文社文庫)などがある政治評論家で田中角栄研究の第一人者・小林吉弥氏である。

 田中氏は郵政相、大蔵相、通産相を歴任した後、1972年に54歳の若さで首相に就任した伝説的な人。74年の首相退任後も政界に強い影響力を持ち続けた。

 生前の田中氏の持論の一つは「金というものはチマチマ使うより、ここぞという時、一気に使え。そのほうが効果は何倍も大きい」だった。今回、政府が打ち出した新型コロナウイルス対策の緊急経済対策も事業規模約108兆円(GDPの2割)になる見通しで、巨額だ。ただし、「ハリボテ」と指摘され、評判が悪い。

 なにしろ社会保険の納付猶予分などもカウント。「真水」と呼ばれる政府の財政支出は約20兆円に過ぎないと見られるのだから。国民への現金給付も当初は収入急減世帯に限って30万円を配る予定で、総額は約4兆円に留まる予定だった。

 ところが、新型コロナ禍で苦境に立たされている世帯は数多いので国民から不満が噴出し止まらなかった。足下の自民党、連立与党の公明党からも酷評された。このため、一転して1人一律10万円を給付することに。現金給付の総額は単純計算で12兆円に膨らんだ。とはいえ、政府の吝嗇さと決断力の鈍さを示す形になってしまった。

 再び小林氏が語る。

「安倍政権は当初、給付金支給世帯には複雑な制限を設け、絞り込む予定でしたが、角栄さんなら最初から単純明快に『1人いくら』で支給したはずです。当初の支給対象世帯の説明をすぐ理解できる人なんて、そういなかったでしょうから。角栄さんはお年寄りでもすぐ分かるような仕組みでないと認めなかった」(小林氏)

 また、今回の給付金が配られるのは早くても5月中と見られるが、田中氏なら違ったはず。田中氏のスタイルはこうだったからだ。

「結論が出たらすぐに実行するのが、私の流儀」(田中氏の言葉)。

 そもそも田中氏は庶民のために政治家になった人である。家業を継ぐ形で議員になったのではない。このコロナ禍においても人々を泣かすまいと懸命になっただろう。

「俺の目標は、年寄りも孫も一緒に楽しく暮らせる世の中をつくること」(田中氏の言葉)「国民のための政治がやりたいだけ」(同)

 背景には自らが経験した貧困と出征の経験がある。旧制高等小学校を首席で卒業しながら、家が貧しく、進学できなかった。また、旧陸軍で終戦までの6年間、一兵卒として辛酸を舐め続けた。

 自分の経験した苦労を、次代の日本人には味わわせたくなかった。

「昔は政治家になる時の意識が違いました。かつては政治家になりたい理由がはっきりしていた。『困っている人を助けたい』とか『貧しい人を救う』とかです。今は国が豊かになったせいもあるのでしょうか、相対的にそういう考えを抱いて政治家になった人が少ない」(前出・小林氏)

 ただし、田中氏は学力エリート集団である官僚のウケも抜群だった。「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれるほど頭脳明晰で、行動力もあったからだ。責任逃れをしないことも官僚にとっては頼もしかった。

「今回の新型コロナ問題の大型経済対策を角栄さんがやったら、その財源まで自ら考え出し、官僚を納得させたでしょう。田中政治が可能だったのは、高度経済成長下で、国家に潤沢な予算があったからと言う人がいますが、それは違う。官僚の発想にはない税源を見つけてきて、それをどう使うかを考えたのです」(前出・小林氏)

 財源がないから、官僚は金を出し渋る。だが、田中氏は自分で財源を生み出した。

 例えば、田中氏は1952年、道路整備の財源を捻出するため、ガソリン税を議員立法で成立させた。ガソリン税は道路を作るためだけの特定財源となった(2009年には使途が限定されない一般財源に)。

 1949年度時点の国道と都道府県道の舗装率は僅か2・1%。全部舗装するには100年以上かかると指摘され、復興の大ブレーキになると見られていた。だが、田中氏が財源を編み出したことにより、舗装は進み、復興のピッチも上がった。

 ガソリン税は安くはなかったものの、ポイントは受益者負担にしたこと。舗装道路を使うドライバーが税を支払う形にした。田中氏は公平性を重んじた。

 危機時の田中氏の活躍で圧巻だったのは大蔵相時代の1965年に行わせた日銀特融だ。それにより山一證券は倒産を回避した。

「誤解する向きもあるが、あの特融は山一という会社の救済のために行われたわけではない。当時は機関投資家が少なく、山一が倒れたら、多くの個人投資家が被害を蒙った。角栄さんはそれを避けようとした」(前出・小林氏)

 山一が倒産した場合、証券会社への不信と不安が募り、景気に甚大な悪影響が出るのは必至だった。半面、日銀特融はそれまで一度として使われたことがなく、日銀は難色を示した。

 田中氏も最初は山一のメインバンクである日本興業銀行(当時)、三菱銀行(同)、富士銀行(同)に救済させようと目論み、3行の頭取を集めて協議を行った。

 ところが、その場で三菱銀行の頭取が「2、3日取引所を閉鎖して、ゆっくり対応策を考えたらどうですか」と提案したことから、田中は声を荒らげた。「君はそれでも銀行の頭取か!」。事実、山一の支店には既に投資家が殺到していた。解約の累計は6日間で実に177億円。国民の利益を守ることを考えると、待ったなしの局面だったのだ。

 結局、「日銀にしか山一は救えない」という流れになり、田中氏のリーダーシップによって特融が決定。メインバンク3行を通じ、282億円が無制限、無担保で山一に融資された。これにより山一の倒産と証券会社不安は回避された。

 仮に山一が返済できなかったら、田中氏の責任問題に発展していただろう。だが、田中氏は山一の再建を確信していた。事実、282億円は4年4カ月で完済されている。

 新型コロナ対策では政府の対応の遅さ、政府と都の話し合いの長さが批判されているが、これも田中氏には許せなかったに違いない。長い会議を極端に嫌ったからだ。

「会議の長さは出席者数の二乗に比例し、会議の成果は出席者数の二乗に反比例する」(田中氏の言葉)

「ドケチ」とも揶揄される今回の緊急経済対策の設計図を描いたのは財務官僚ではなく、安倍内閣を支える経産官僚とされる。いずれにせよ、田中氏が宰相なら、官僚たちのモチベーションは違ったのではないか。

「今の政治家には官僚を掌握する能力はない。今の官僚は『安倍さんを総理にしていれば、やりやすいし、ポストもまわってくる』といった考えでしょう」(前出・小林氏)

 田中氏が蔵相に就任した際の省内での挨拶は官僚たちの間で語り草だ。小学校卒の新大臣を冷ややかに出迎えたエリート官僚たちをやる気にさせた。この時、田中氏は44歳の若さだった。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも遠慮なく大臣室に来てほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。出来ることはやる。出来ないことはやらない。全ての責任はこの田中角栄が背負う。以上」(1962年、田中氏の蔵相就任時の挨拶)

 こんな大臣はいなかった。その上、人情味もあるのだから、官僚たちはぞっこんになった。田中氏の頭の中には官僚たちの出身地、入省年次から、家族構成まで入っており、夫人の誕生日には花を贈っていた。

 田中氏はこんな言葉も残している。

「後代の日本人から褒められるような新しい政治と取り組もうではありませんか」

 新型コロナ対策は10年後、20年後の日本で評価を得られるだろうか。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年4月21日掲載

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