「志村けんさん」「森捕手」「立憲議員」たちに見るコロナ禍の喜怒哀楽

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ドリフに対して1つの後悔

 こんにちは、徳光正行と申します。48歳になった現在でも父・和夫からお年玉などを貰っている、不届きものな2世です。

 さて、彼の国からドカドカと入ってきたウイルスによって、我が国は未曾有の危機にさらされています。

 これまで最も衝撃を受けたのは志村けんさんの死でした。緊急速報でそれを知った時「なんで、志村けんが?」と感じた方も多いことと思われます。私もその一人でした。

 そしてその後、各テレビ局で流れる追悼特番を全部とは言いませんが拝見致しました。爆笑に次ぐ爆笑で“笑い涙”が止まりませんでした。48歳である私の笑いの原風景は、志村けんさんだと改めて感じたのです。

 故人を偲ぶ時、笑うという行為は不謹慎かもしれません。しかし、稀代のコメディアンである志村けんさんに対しての供養は、勝手が違ってもいいのではないか? と痛感した次第であります。

 ただ、志村けんさんに対して、そしてドリフに対して1つ後悔があります。それは小学3年生の頃、地元・茅ヶ崎の市民文化会館に「8時だョ!全員集合」がやってきた時、父から観覧を誘われたのですが、「家で『ひょうきん族』見るから行かない」と言ってしまったことです。

 今までもずっと後悔してきたのですが、志村けんさんの死でこのことをさらに強く感じてしまいました。しかし、追悼番組で高木ブーさんの言葉にもあったように、「志村けんは死なないしずっと生きている」と思うことにしました。

 ブラウン管の向こう側のスターを、平面のテレビの中でも追いかけ続けようと思っております。そしてコロナ禍で失態を演じてしまった方も目につきます。

 プロ野球界からは阪神タイガース藤浪晋太郎投手他数名、西武ライオンズ森友哉捕手。時期が違えば嘲笑こそ受けたとしても、そこまで非難されることでもなかったかと思われる事案でした。決して彼らを擁護するわけではないし、その自覚のなさ、危機管理能力の低さでお叱りを受けるのも理解できるのですが、そもそもスポーツ選手に何を求めていますか? 

 私はフィールドで観客を魅了してくれればそれでいいと思っています。時代が違うと言えばそうなのかもしれませんが、フィールド外のミスだけをあげつらうのは不憫に思えます。

 人類史上と言うと大げさにはなりますが、大衆の心を掴むような人物は、いい意味で常識が欠落しているような方が少なくなかったように思います。彼らはまだその域には行ってないとは思いますが、ここは1つお願いがあります。

 日本人いや日本の風土に触れ、穏やかな心を持った日本で暮らすすべての皆様、大きく温かい心でもって許容してあげていただきたい。「アホだけど、あいつの速球は凄いな」「バカだけど、あいつのホームランは気持ち良かったな」といった具合に。

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