「聖帝」として知られる仁徳天皇 歪んだ「毒子」が犯した数々の惨劇のワケ

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女たちの思い

 話を戻して、メドリの立場で考えてみましょう。『日本書紀』によれば、古代、皇后は天皇と同等の地位でした(安閑天皇元年七月一日条)。メドリにしてみれば、仁徳が、メドリと同じくウヂノワキイラツコの同母妹であるヤタノワカイラツメを差し置いて、イハノヒメを皇后にしていたことは、許しがたい屈辱だったでしょう。もしもヤタノワカイラツメが皇后であれば、ウヂノワキイラツコと母を同じくする一族が天皇と同等の権力を持てる。けれど現状は違う。自分が仁徳の妻になっても、イハノヒメの下位に甘んじるという同じ屈辱的な待遇を受けるだけ。ならばハヤブサワケを利用して、政権を取り戻そう。

 そんなふうに考えたのではないでしょうか。

 一方、イハノヒメの立場になってみましょう。仁徳の皇后のイハノヒメは『古事記』では嫉妬深い女性とされていますが、『日本書紀』にはそうした記述はありません。そして『古事記』『日本書紀』に共通しているのは、ヤタノワカイラツメを夫が愛した時、恨み怒って公務を投げ出し、家出したことです。それはひとえにヤタノワカイラツメの血筋がとくべつで、皇后の地位を脅かされる、もっと言えば別の系統に王権をさらわれるのでは――という恐怖さえあったからではないか。

 葛城出身のイハノヒメは4人の皇子を生み、そのうち3人が即位しています。が、ヤタノワカイラツメが皇后になって皇子でも生めば、そちらに皇統が移りかねない。そんな危機意識さえあったのではないか。

 イハノヒメのヤタノワカイラツメへの怒りは、嫉妬の気持ちもさることながら、そうした危機意識によってふくらんでいるように思います。

 けれど、イハノヒメにとっては幸いなことに、ヤタノワカイラツメは子を生みませんでした。

 また、彼女の同母妹のメドリも、仁徳の妻になるのを拒み、ハヤブサワケに謀叛を勧めたために夫もろとも殺されたことも再三書いてきた通りです。

 そのおかげ……と言っては語弊があるかもしれませんが、イハノヒメの血筋はそのまま皇統に流れ続けます。武烈で皇統が途絶え、仁徳の父・応神の五世の孫にあたる継体に皇統が移るとはいえ、継体以下、三代にわたる天皇たちは、イハノヒメには曾孫に当たる仁賢の娘たちを皇后にすることで、新政権を強化する。イハノヒメの血はそこに注ぎ込まれ、栄華は続いていくわけです。

※1 水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(文春新書)

大塚ひかり(オオツカ・ヒカリ)
1961(昭和36)年生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。個人全訳『源氏物語』、『ブス論』『本当はひどかった昔の日本』『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『エロスでよみとく万葉集 えろまん』『女系図でみる日本争乱史』など著書多数。

2020年4月17日掲載

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