座頭市はゴジラのように歩いていた――“音楽家”勝新太郎を見抜いていた伊福部昭

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勝新太郎と伊福部昭

「座頭市」シリーズの音楽の骨を作ったといえる伊福部昭は、同じシリーズの11本の音楽を担当した。伊福部は勝新から直接音楽的な意見、希望を告げられたこともある、という。「ゴジラ」のイメージの強い伊福部だが、60年代には他に大映作品も数多く手がけている。第1作目「座頭市物語」で伊福部が取り入れたボレロのリズムは、その後もシリーズを通じて引き継がれ、舞台の「座頭市物語」でも勝新からの依頼でボレロを使った別のバリエーションによる音楽を伊福部がつけている。

 座頭市の歩みが3拍子の流れにあり、ボレロのリズムがそれをなお強く印象づける。ボレロはさらに勝新のテーマのように使われていった。ディナー・ショーでの大トリの曲、ほかならぬ「マイ・ウェイ」は、一時期ディスコ風のアレンジになっていたこともあったが、最終的にはボレロのアレンジに落ち着いている。逆光の光の中へゆっくりと歩み、消えてゆく、勝新の姿に、ボレロの終わりのないような、永続性のあるリズムがこの上なくふさわしく感じられる。

 65年の勝新版「無法松の一生」の音楽も伊福部が手がけている。重厚なテーマ曲は阪妻版とも三船版とも違った、冷やりとした空気を伝えた。この作品のハイライトは、無法松が叩く祇園太鼓である。監督は「座頭市物語」と同じく三隈研次だ。音楽は、三隈が伊福部に直接依頼した。伊福部は依頼された際に、「主役の松五郎はどなたが演じるのか」、と三隈に訊ねたという。伊福部は「(主役が)勝新太郎さんということで、安心したんです。勝さんとはなぜかウマが合いまして、直(じか)に音楽を頼まれたものもあります。『座頭市』の仕事を何本かやっていておたがいに話し合える仲だったし、勝さんが音楽的才能に長けていることは十分に知っていたので、勝っちゃんなら大丈夫だ、太鼓を弾きこなせる、と」(『伊福部昭語る』)

 音楽家、音楽家を知る。「座頭市物語」になぞらえるなら、市と(天地茂演じるところの)平手造酒(ひらてみき)の関係が思い浮かぶ。65年の時点で、音楽家としての勝新太郎を認識していた者が果たして何人いたか。伊福部によると、映画内の太鼓はこのようないきさつによる。

「九州の現地で録音してきた太鼓を聴きました。ただ、その音をそのまま流すわけにはいかない。映画としては使えないので。流れ打ち、勇駒(いさみごま)、暴れ打ちなどの祇園太鼓のリズム譜を書いて、勝さんに実際に打ってもらったんです。お酒を飲みながら何回か打ち合わせをして。いや、見事に打ちこなしていましたね。難なくそれを打ちこなしました。すっかり感心しました。さすがだな、と」(同書)

 比較的淡々と進行するこの作品で三隈は、太鼓を打つ無法松をアップと下からのアングルとで躍動的にとらえている。ときおり目を閉じた無法松が座頭市のように見える。走る姿は「まらそん侍」を思わせもするし、乱闘すれば「兵隊やくざ」の大宮貴三郎がだぶらないでもない。しかし最も心に残るのは、太鼓の音だ。そこには松五郎の切なさと純粋な愛とが響き合っている。松五郎の、勝新の瞳の涼感、美しく清らかな色彩とそれは直結している。誰に誇るでもない純情一徹な心根を勝新は両の桴(ばち)に込めた。

「勝さんは譜面を読むのは苦手でしたが、勘がとても鋭いんですよ。憶えの速さも天性のものがありました。音楽にも詳しい。勝さんは音楽についてもいろいろ注文を出してきます。私も自分の意見を出して、やり合ったりしましたね」(同書)

 松五郎が車を引く、その足どりは軽やかだ。しかし晩年、その動きはゆるやかになる。マンボがボレロになるようにリズムが変わる。そういえばゴジラの動きは摺(す)り足で、山道を行く市に似ていなくもない。「座頭市物語」のテーマ曲をゴジラの歩行シーンに流してみると、まったく違和感がなかった。

湯浅学(ゆあさまなぶ)
1957年神奈川県横浜生まれ。音楽評論家。「幻の名盤解放同盟」常務。バンド「湯浅湾」リーダー。著書に『音楽が降りてくる』『ボブ・ディラン――ロックの精霊』『大音海』『音山』『嗚呼、名盤』、監修に「スウィート・スウィートバック」など。

編集協力:平嶋洋一(キネマ旬報)/週刊新潮WEB取材班編集

2020年4月15日掲載

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