コロナで「緊急事態」だからこそ見たいドキュメンタリー「さよならテレビ」

国内 社会

  • ブックマーク

「さよなら週刊誌」は作れるか

 たとえば、マツコ・デラックスという異形の芸能人は、これまでのテレビの”作り込み”に対するアンチテーゼとして登場したのだろう。澤村さんの言う「いつの頃からかテレビが嘘っぽくなった」という流れと軌を一にして、マツコはテレビのなかでテレビの”作り込み”をアケスケに語るようになり、そこに視聴者は共感した。映画を見ながら、そんなことにも気づかされた。

 やらせとか誇張とか、そういう単純な話ではない。カメラを向けられると、人はどうしても構えるし、少し饒舌になるもの。もちろん編集も入る。どれほど“ありのままに”、“自然体に”と努力したところで、カメラの有無は人の心理や言動に大きく影響する。何かを伝える以上、ムダを省いて捨象する作業は避けられない。となると、「ありのままの現実って何だ?」という疑問が浮かぶ。

 伝わってくるのはテレビ業界の葛藤ぶり。が、これは決してテレビだけの話ではなく、新聞や雑誌、あるいはラジオなども他人事ではない。私は週刊誌の仕事を時々手伝っているが、決して嘘ややらせではないものの、多少”話を盛る”というか、より興味関心を引くようドラマチックな方向に記事を作成していくことは、当然のこととして行われている。

 たとえば、緊急事態宣言の影響について取材した場合、「特に関係ないですよ」という人の言葉よりは、「収入激減で倒産しそうです」という言葉のほうが、記事に反映される可能性が高い。状況がハードであればあるほど、記事になりやすい。それは作為というより、人間が人間に対して何かを伝える以上、避けられないことなのかもしれない。

 が、そういう作為や作り込みが、どこかタテマエじみていて嘘っぽく見えるというのも分かる。「さよなら新聞」、「さよなら週刊誌」というタイトルで、自分たちで自分たちを取材する自画像ノンフィクションが続いてくれたら、面白そうではある(誰も作りたがらないかもしれない)。

 是非見て欲しいと言っておきながら、7都府県を中心に映画館の営業休止が相次いでおり、上映の機会は非常に限られている。地方のミニシアターまで足を運ぶか、あるいはDVD化を待つほかないのだろうか。

西谷格(ライター)
1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。地方新聞「新潟日報」の記者を経て、フリーランスとして活動。2009~15年まで上海に滞在。著書に『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHPビジネス新書)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年4月12日掲載

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。