新型コロナ、警察官に感染拡大 治安崩壊はあり得るのか

国内 社会

  • ブックマーク

 4月4日に警視庁赤坂署の23歳の女性刑事の新型コロナウイルス感染が判明し、警視庁は同僚の署員ら70人以上を自宅待機とし、代わって、警視庁本部の刑事部や警備部機動隊など100人以上を赤坂署に応援派遣すると発表した。その後も全国の警察組織で感染者が相次いで判明し、神奈川県警では8日、男性警部補が経路不明で感染し、重体だという。このまま警察組織での感染拡大が続けば、医療崩壊ならぬ治安崩壊も懸念されるが……。警察組織に詳しい、作家で元警察官僚の古野まほろ氏に話を聞いた。

――『警察官の新型コロナ感染』が相次いで確認されており、市民の間に不安が広まっているが。

「御質問に答える前に、まず、今般の新型コロナウイルス感染症で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、現在治療中の方々の1日も早い御回復を祈念します。また、日夜懸命な御努力を重ねておられる医療従事者その他社会的インフラを支えてくださっている方々に、心から御礼申し上げます。

 ***

 ……さて、御質問のように市民の間に不安が広まっているのは、それだけ平時の日常生活において、我が国警察が信頼され、また期待をされていることの表れだと考える。言ってみれば、警察は〈社会そのものの医療従事者〉であり、社会のあらゆる病理に対処する最後の砦だ。その〈社会そのものの医療従事者〉が医療崩壊しないかについて……治安崩壊が現実のものとならないかについて……私を含む市民が不安を感じるのは当然である。

 ゆえに、今こそ我が国警察はその不安を払拭するためのあらゆる努力をすべきであるし、また、市民は平時に増して警察を信頼し、普段から警察が好きかどうかにかかわらず、等しく我が国社会を支える仲間として、いっそう協力し合うことが重要であると考える」

――報道により、自宅待機となった警察官や応援に入った警察官の数が明示されることもあれば、概数しか伝わらないこともあるが。

「まず、警察署なり警察本部なりに『感染者が出た』ということは、来庁する市民・近隣住民にとって重大極まる情報だから、直ちに広報する必要と社会的責任がある。

 他方で、一般論としていえば、警察のマンパワーがどれだけかは……例えば署ごと/課ごとの定員・実員などは……情報公開においてもほぼ不開示となる情報である(警察自身が開示するなら別論)。というのも、どこにどれだけの『戦力』を割いているか、現在の『配置状況』はどうか等々は、警察の脆弱性をも明らかにし、犯罪を犯そうとする者等を利してしまうからである。

 よって、警察自身がどのような判断をするかで、報道発表の仕方も異なるだろう(仮に、応援警察官の人数の多さを広報して市民に安心してもらおうという判断があるのなら積極的に開示することになろうし、仮に、応援を受けても市民に不要な誤解を招く規模であるといったときは、広報を慎むかも知れない。また必要に応じ……最重要な感染者数以外は……概数とするかも知れない)。

 いずれにしろ、警察によるマンパワーの広報については、犯罪者、犯罪組織といったものに『手の内』をさらさないことが最優先であり、それは我々市民の利益にも適うはずだ」

――感染した警察官を見るに、刑事であることが多いようだが、刑事の仕事は新型コロナに感染するリスクが大きいのか。

「報道を見ると、例えば赤坂署・武蔵野署だと刑事だが、他では交通課員の場合もあれば、運転免許試験場勤務の場合も、いわゆる術科特練の場合もあり、はたまた年齢も階級も多岐にわたる。よって『刑事だからどうこう』という話ではない。その点、ウイルスは人を選んでいない。そもそも、我々が一般にいう『刑事』は、犯罪捜査をする私服の勤務員のことだから、刑事課だけにいるわけでなく、警察署にまんべんなくいる(警察本部にもまんべんなくいる)。

 ただし、ウイルスは人を選ばないが、警察官はウイルスに選ばれやすい職種であろう。理論的には、感染リスクはまさか低くない」

――警察官の感染リスクが低くないというのは何故か。

「結局のところ、警察の仕事というのは人を相手とする仕事だからだ。それが被疑者の取調べであれ、変死体の取扱いであれ、参考人からお話をうかがうことであれ、被留置人に関する業務を行うことであれ、交通指導取締りを行うことであれ、職務質問を行うことであれ、人と直接接触することが警察の仕事の本質である。これは近時でいう〈密接〉だろう。

 また、警察官はあらゆる事件・事故・災害について初動活動を行う。そこでは警察官が多数になることもあれば、関係者が多数になることもある。あるいは当初から部隊活動を展開することもある。これは近時でいう〈密集〉だろう。ちなみに初動活動そのものでなくとも、例えば機動隊がいわゆる機動隊バスで待機するなり移動するなりするのもそうだ。

 加えて、例えば制服の地域警察官が勤務する交番は……1人勤務の駐在所は別論……実態論として狭隘である。構造上、換気の悪い場合も多い。そこへ来訪する市民も多い(駅前交番・繁華街交番等が満員御礼なのは、誰もが見掛ける光景だろう)。そればかりか、私服の内勤の警察官が勤務する警察署/警察本部も、役所ゆえ必ずしも広くはない大部屋に10人、20人、時に30人といった数の警察官が勤務する。要は、制服警察官であれ私服警察官であれ、日がな一日在庁しているわけではないにしろ、そもそもの勤務環境が近時でいう〈密閉〉である(これには庁舎防護上、やむを得ない面もある)」

――要は、警察官の職務の本質として、〈3密〉が避けられないということか。

「そうなる。

 またそれだけではない。警察官には泊まりがある。警察署でいえば、制服の地域警察官なら原則として3日に1回。私服の内勤の警察官も、職務によってはそれと一緒か、そうでなくとも概ね1週間に1度前後の泊まりがある。そこでは4時間の休憩(仮眠)が前提とされてはいるが、近時は制服も私服も完徹が多いと聞く。そうした生活リズムの変調は当然、免疫力の低下につながりうる(それどころか、寿命のいかんにもつながりうるだろうが……)。

 さらにいえば、警察官には呼び出しがある。非番・休日においても、また深夜であろうと早朝であろうと、事案があれば出勤しなければならない義務がある。その事案によっては、それ以降ずっと泊まり込みということもある。これも生活リズムの変調となり、免疫力の低下につながりうる。

 以上をまとめれば、警察官の仕事はそもそも〈3密〉を前提とするものだし、それに加え、健康を損ないやすい勤務スタイルを特徴とする。ゆえに感染症対策が特に重要となる。

 といって、警察官の仕事は平時から体力勝負である面が強い。『どのような場合であれ、精強な職務執行ができること』は、スローガンを超えて警察官の職務倫理の1つといえる。ゆえに個々の警察官は、日頃から術科訓練その他による体力錬成に努めており、平均像としては一般の市民より屈強・頑健であると考えてよく、それゆえ、今般のコロナ禍においても『持ち堪えている』面があると思う。よって例えば、泊まり・呼び出しといった変則的な勤務があからさまな脆弱性となるかというと、そこは『基礎体力』『訓練の積み重ね』『慣れ』『使命感』『日頃からの緊張感』等々でカバーできている面があると思う。無論、それは警察官個々の、〈社会そのものの医療従事者〉としての個人的献身のたまものであるし、有限のものであることを忘れてはならないが」

――要は、警察官については理論的な感染リスクは少なくないが、それがすぐさま脆弱性には直結しないということか。

「そう信じる。無論、仕事の特性から必然的に生じる脆弱性には充分留意し、緊張感をもって職務執行に当たらなければならないが、我が国警察はそれをマネージできると信じる。

 そもそも我が国警察は、1950年前後のいわば〈内乱期〉、そして60年安保・70年安保といった受傷・殉職を前提としなければならなかった〈警察戦国時代〉を経験している。また比較的近時においても、東日本大震災における反省教訓は、誇張なく全国警察で共有されている。戦後の我が国警察は、治安の最後の砦としての責務を、特に甚大な危機において、懸命に果たしてきたと考える(元警察官としてではなく、一般市民としてそう考える)。

 よって、今般のコロナ禍は『敵が見えない』点で非常に特殊ではあるものの、我が国警察の士気と能力は、必ずやこれに適切に対処できるものと信じ、強く応援している」

――そうはいっても、例えば警察署で1人感染者が出ると、50人だの70人だのといった警察官が、自宅待機となり職場を離れてしまっている。それどころか、多くすると100人もの機動隊員がその警察署に応援派遣されている。こんなことが続けば、〈社会そのものの医療従事者〉は崩壊するのではないか。それはつまり、治安崩壊ということではないか。

「まず、個々のケースでどれだけの警察職員が自宅待機となり、また、個々のケースでどれだけの応援派遣がなされるかは、それこそ個別具体の判断によるが……

 結論として、そうそう簡単に治安崩壊など起きないし、警察がそれを起こさせない。

 ここで、国家公安委員会・警察庁は、既に平成25年10月、警察における〈新型インフルエンザ等対策行動計画〉を策定しており、うち、警察庁と都道府県警察における『治安維持機能の確保』の諸点についてのみザッと見ても、要旨

 ・欠勤者が増加した場合であっても、治安維持機能を保持し続けるため、優先度の高い業務に職員を集中させる措置が講じられるような〈業務継続計画〉の策定

 ・国内発生の段階における、業務継続計画に定められた体制への移行

 ・ある特定の都道府県警察において出勤可能な職員のみによる業務継続が困難になった場合の、速やかな応援派遣

 ・援助の要求をする都道府県警察があったときの、都道府県警察相互の速やかなアレンジ

 ・公共交通機関が停止した場合に備えた、庁舎内休憩場所の確保・備蓄食料の管理

 ・都道府県警察における諸対策に資する装備資器材の管理・整備

といった、いわば危機管理マニュアルが既に整備されて長い。

 またこれを踏まえ、各都道府県警察においても、各都道府県警察版の〈業務継続計画〉が、既に平成の内に策定されている。それらは一般に『最大40%の欠勤者が出る』ことを前提に、その場合においても、限られた人員の中で各都道府県警察がその機能を維持し、必要な業務を継続できるよう定められたものだ(ちなみに詳論する余裕はないが、これらの計画においては、いわば業務のトリアージ……縮小・中断業務のあらかじめの判断とリストアップや、有事における人員の再配分、任務の変更、意思決定プロセスの簡略化等が定められている)。

 なお、警察における〈業務継続計画〉は、上に述べた新型インフルエンザ等対策に係るもののみならず、大規模災害に係るものも存在する」

――今般の新型コロナ流行の遥か以前に、マニュアルが整備されていたということか。

「そのとおりである(特に、今般のコロナ禍諸対策についていえば、平成24年の新型インフル特措法の制定を受けてのことであるが)。

 言い換えれば、警察は治安の最後の砦として、平時から、各種有事における業務継続を図るための準備をしてきたということだ。それゆえ、今般のコロナ禍においても、A警察署の業務継続が困難と認められるときにどこの誰をどう投入するか、B警察署の業務継続が困難と認められるときにこの警察署の業務の在り方をどう見直すか……等が、さしたる混乱なく判断され、計画どおりに実行されることとなる(といってこれは、警察本部も警察署もひっくるめて、警察そのものが『階級のある1つの部隊』ととらえられることから、有事編制としてむしろ当然のことであろう)。

 なおここで再論すると、新型インフルエンザ等対策に関しては、『最大40%の欠勤者が出る』ことが想定されている。むろん今般のコロナ禍についても同様である。警察は平成の内に、それだけの覚悟を終えている。そして上では述べられなかったが、そのような体制を前提としても、業務を継続するに当たっては、混乱に乗じ、混乱を助長し、不安をあおり、あるいはとうとう社会的混乱(騒乱のような)を発生させるような事犯を、強力に/徹底的に/時に部隊を運用して取り締まることは当然であるとされている」

――今般の事案の、想像を絶するレベルを踏まえると、何事もマニュアルどおりにはゆかないと思われるが。

「完璧なマニュアルなどないし、マニュアルどおりにゆく理想的事案もないから、御指摘は確かに正しい。

 ただし、御指摘のマニュアル……〈行動計画〉〈業務継続計画〉が、例えばある警察署への応援の在り方どころか、A県警察そのものに対しB県警察が、あるいはC県警察に対しD・E・F県警察が応援に入るような、そんな全国的規模の事態をも想定していることを踏まえる必要がある(重ねて、『60%の残存員でも業務を回せる』ようにしていることをも踏まえる必要がある)。

 何が言いたいかというと、市民として見るに、そうした未曾有の想定までしている以上、部外者として考えても、現状ならまだ耐えられる、現状ならまだ想定の範囲内だと思われる、ということだ。

 無論、危機管理は最悪の事態を想定して行うべきものだから、例えば、そうした未曾有の想定の上を行く被害が発生してしまったり、はたまた『危機は一発ではない』の格言どおり、今この最中に大震災が発生してしまったり重大テロ事案が発生してしまったり……ということは当然認識しておかなければならない。その意味でも、なるほどマニュアルどおりにゆくとは限らない。ただ警察庁警備局は危機管理のプロフェッショナルだから、そこまで読んで動いていることは間違いない。それはとりあえず我々市民が今憂慮しても始まらない。よって、今我々ができることは何かを考え、実践すべきである」

――今我々ができること、とは何か。

「冒頭でも述べたが、以上の議論を踏まえ、我々市民は、平時に増して警察を信頼し、ともに我が国社会を支える仲間として、いっそう協力し合うことが重要だと考える。

 そしてその協力のうち最大のものの1つは、『我々市民が落ち着いて平穏な日常生活を営む』ことだと考える」

――かなりの精神論だが。

「治安というのは、実は精神論に大いに左右されるものだ。景気と一緒だ。誰もがよくなると思えばよくなるし、誰もがもうダメだと思えば崩壊する。治安そのものというより、我々市民が心の内に感じる〈体感治安〉が重要であるゆえんである。比喩的に言えば、誰もが『トイレットペーパーはもう無い』と体感したとき、それが結果として現実に無くなってしまうのと一緒だ。我々はそうした『精神論』の悪しき実例を、もう嫌というほど経験している。

 すると、ここで例えば……

 『警察官の新型コロナ感染リスクは高い!!』『100人規模の応援を要する事態はヤバい!!』といったような一般論だけをもって、直ちに『治安崩壊』とか『犯罪捜査に深刻な影響を与える』とか、今は素人の私でも喋れそうな結論だけを一足飛びに喧伝するのは……警鐘を鳴らすという意味では有意義なのかも知れないが……これまでの議論を踏まえれば、いささかデメリットの方が大きいのではなかろうかと、残念に思う。

 そのような喧伝は、結果として、健全な危機管理意識を超えた〈市民の恐怖〉をあおり、〈体感治安〉をグッと下げる可能性もないとはいえない。それは犯罪者や、これから犯罪を犯そうとする者、あるいは混乱に便乗して私利私益を図る者、流言飛語を伝播させる者等々を、大いに利するかも知れない。これも我々は、転売事案で嫌というほど経験した。

 ともあれ、誰よりも危機感を有しているのは警察自身であり、かつ、警察自身はまさか無為無策ではない。ゆえに我々市民が強く認識すべきことは、『警察も大変な事態にあるが、かねてから充分な備えはある』『普段どおりの仕事は無理かも知れないが、治安というインフラは守られる』『治安崩壊に至ることがあるとすれば、それは、我々市民と警察とが互いに信頼を失ったときである』『我々市民が落ち着いて平穏な日常生活を営めば、それは、警察に対する最大の協力の1つになる』ということ、そうした『信頼と協調』ではないだろうか(無論、警察の側も、開示できる範囲で、現状をつぶさに広報して市民の信頼と協調を得る必要があるだろう)」

――では、安心して日々の暮らしを送ってよい、ということか。ただそれは、『警察に迷惑を掛けるな』という風にも聞こえるが。

「例えばマスク騒動にしろトイレットペーパー騒動にしろ、はたまた食料品の買い占めにしろ、事実・実態・現実よりも不安・焦り・相互不信といった心理的なものが、それがなければほぼ平常どおりだったかも知れない事態を、一気に悪化させている面がある。よって、こんな困難な事態だからこそ、市民相互が不安や不信を何とかこらえ、ついこの年始まで当たり前だったように互いを信頼して、社会を平穏のうちに回してゆく必要がある。それが〈体感治安〉の維持・向上につながり、したがって治安そのものにも反映される。すなわち、『安心して日々の暮らしを送る』『その事実が共有される』ことで、実際に治安はよくなる。

 他方で、ここのところ、マスクの販売をめぐって行列トラブルが生じるなどにより、警察官がドラッグストアに臨場したり駐留警戒をしたりする事案が見られる。これなど、現役の警察官は立場上誰も発言できないだろうから市民として言うが、貴重な警察力の浪費そのものだ。ただでさえ有事を迎えている警察に、余剰の人員は1人もない。もしこんなことが全国で発生しては、〈社会そのものの医療従事者〉は疲弊し、それこそ崩壊する。

 そういう意味で、御指摘の『警察に迷惑を掛けるな』という表現・内容を、『警察という限りあるリソースを大事に使おう』と、言い換えてみてはどうだろうか。

 ここで無論、現実の医療従事者については、誰もがそう考え、そのような社会的コンセンサスができているはずだ。ならば、〈社会そのものの医療従事者〉についても……重ねて、一市民として言えば……信頼と思い遣りを持ちたい。困難な事態をともに乗り切るために協力したい。それは結局、警察のためではなく、そのオーナーである我々市民の未来のためだから。警察というリソースを食いつぶせば、我々は平穏無事に外出することも、平穏無事に食料を購入することも……いや、あらゆる社会的活動ができなくなってしまうのだから(ちなみに、1万人を超える定員を有する都道府県警察は日本に9しかなく、実は定員が2,000人を下回る都道府県警察の方が何気に多いのです……ましてそれに0.6を掛け算したらどうなるか……)」

――だが、『警察に思い遣りを』となると、真に緊急・重要な通報や相談を躊躇してしまう人も出るのではないか。

「都道府県警察の業務継続計画による業務のトリアージが行われる場合でも、110番(通信指令)関係業務や相談関連業務、犯罪被害者支援関連業務は縮小・中断されない(47都道府県警察を網羅的に調べてはいないが、そもそも業務の特性上あり得ない)。また、どのような業務が縮小・中断されるかは、各都道府県民の理解を得る必要があることから、各都道府県警察のホームページ等により積極的に広報される。このようなことから、警察としては、真に緊急・重要な通報・相談をまさか抑制する方針はとっていない。

 しかしながら、常識的・理性的な市民の方ほど『こんなときに、こんなことを通報/相談してしまってよいのだろうか……』と悩むのは理解できるところで、ゆえにそのような常識的・理性的な方のために述べれば、『110番も相談も、要は普段どおり、いつもどおりです』ということ。ここで『いつもどおり』というのは無論、例えばイタズラ110番や緊急性のない110番はやめてほしい、という趣旨を含むが、重ねて、それはいつもどおりのことである」

――雑学的なことになるが、関連報道で23歳の女性刑事という人物が出てきた。そんなに若い刑事もいるのか。

「刑事ギルド……刑事部門が是とすればあり得る。特に女性の場合、女性ならではの職務に従事すべき機会が多いため、男性よりも早期に捜査員に登用される率が高い。某私の親族も21歳だか22歳だかにシャブ獲りの捜査員になったとか。詳しく訊かないので概数だが。

 ただし、23歳という年齢を考えると、ひょっとしたら学校を出たてのいわゆる『実戦実習』の仕組みによって各課を実習して回っている新任巡査さんだ……といった話もなくはないが、時期と所属の帳尻が合わない気もするので、余談として述べるに留める」

――機動隊が警察署の応援に入ったとして、例えば、急に刑事の仕事ができるのか。

「機動隊にも様々な年齢・経験・階級の警察官がいるので、一概に『できない』とはいえない。ただ、昔の曖昧な記憶だと……幹部でない隊員については、年齢30歳未満の独身者が、それも1年程度の実務経験があれば選抜されるものだから、そうした若手については、直ちに刑事としてバリバリ仕事ができると考える方が無茶だろう。どこの会社でもそうだ。

 しかしながら、前述の〈業務継続計画〉は実務のコアとなる者を確保する観点からも策定されるから、そうした『指導者』は確保するだろうし、確保できなければ仕事にならない(なお無論、署にはベテランが必ず複数いるし、警察本部のベテランも投入できる)。

 また、刑事の仕事は見て習う部分が非常に多いから、応援であろうとなかろうと、どのみち人生のいつかの時点で指導を受けその実務を修得しなければならないわけで、応援に入る機動隊員にあっては、それが早いか遅いかの違いしかないともいえる(ギルド入りを目指さなければ別論だが)。それこそ、23歳で見習っている巡査もいるのだから。

 あとは、思い付きだが、機動隊員をいきなり刑事に持ってくるのではなく、刑事経験のある他の署員をピックアップして刑事課に再編制し、それらの後釜を機動隊員で埋めるといった手もあろう。要は、計画と人事権者の工夫次第だ」

――関連報道で、夫婦ともに警察官、しかも父親も警察官という家族が出てきたが、こうした家族は警察では普通なのか。

「普通の定義によるが……違和感は全く無い。例えば私の極めて近しい知り合いについていえば、結婚した御主人は警察官、本人も警察官、弟さんも警察官、叔父さんも警察官。警察職員夫婦というなら数え切れない。警察官が警察官の妹さんを娶って義弟になるというケースもあった。離婚もそこそこ見てきたが。

 いわゆる『警察一家』がほんとうに親族を意味するケースが数多いのは、諸々の理由はあるだろうが……やはり警察が特殊な文化を有する部分社会で、警察職員を最も理解できるのは警察職員だからだろう(別段、最も理解できる相手と結婚する必要は必ずしもないと思うが)」

――雑学的なことは以上だが、最後に何かあれば。

「警察官は社会と市民を守る、我々市民自身のリソースだ。

 ゆえに警察は、オーナーとしての市民に、いつにもまして実情を素直に説明しその協力を得なければならないし、オーナーとしての市民は、いつにもまして警察業務が適正・円滑に実施されるよう、『できること』から協力をしなければならないと考える。

 といってそれは、公権力にはとにかく従っておけとか、警察官には盲従しろとかいった、そんなデタラメなことではない。断じて違う(私は今は本格ミステリ作家なので、日本社会で時として過剰になる同調圧力や多数派の暴力は大嫌いだ)。上にいう『できること』とは要は、まずは『落ち着いて平穏な日常生活を営む』こと。『安心して日々の暮らしを送る』こと。まずはそれが、縷々述べたとおり、充分警察に協力することになる。

 そしてもし仮に、具体的に警察官から何か頼まれることがあったならば、状況の許す範囲で『助け合ってほしい』『事情と心情を酌んでほしい』。そもそも警察官と市民は敵ではないし、今般の敵は新型コロナウイルスなのだから。

 ウイルスとの闘いにおいては、警察官と市民とが、互いを思い遣りながら『助け合う』ことが必要だと強く思う(そして『助け合う』以上、警察の側も、疲労困憊な中でも、緊急の事態において困っている市民に対する受容と共感の気持ちを、いつにもまして維持するよう心掛けなければならないだろう。味方同士のいさかいでリソースを浪費することがあってはならない)。

 今、ウイルスによって、人と人とのつながりは、物理的に断たれることを強いられてしまった。だがそれゆえにいっそう、人と人とが『解り合う』『助け合う』『協力し合う』、そうした心理的なつながりを強く意識することが、瀬戸際にある私たちの社会を維持してゆく上で、とても大事だと思う。また精神論だと笑われるかも知れないが。

 ……社会に対し何の責任も負わない作家の戯言と自分でも思うが、最前線で、命懸けで闘い続ける〈社会そのものの医療従事者〉に、多くの理解と協力が寄せられることを願ってやまない」

古野まほろ
東京大学法学部卒業。リヨン第三大学法学部修士課程修了。学位授与機構より学士(文学)。警察庁I種警察官として警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務し、警察大学校主任教授にて退官。警察官僚として法学書の著書多数。作家として有栖川有栖・綾辻行人両氏に師事、小説の著書多数。

デイリー新潮編集部

2020年4月10日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。