なぜ我が子2人を殺めたか 「タイ人妻」バンコクの実母が告白する「嫁姑地獄変」

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国際電話に異変

 ところが、数年前から娘の国際電話に異変を感じていたと、実母は振り返る。

「電話口ですすり泣くから、どうしたの?と聞いても答えない。暫くして、“夫の母は酷い人”って本音を漏らすようになったんです。私に心配をかけたくないのか、具体的に何があったかは言わない。何度尋ねても、“いや、義母は優しい人だ”とはぐらかす。以前は丁寧に仕事や生活の仕方まで教えてくれたそうなので、いつからどうして不仲になったのか分かりません」

 どこの家にも嫁姑の確執はあるとはいえ、異国で独りぼっちのルディーポン容疑者にとって、相談相手はタイに住む母親だけ。

 しかし、来日してからの14年間でタイに帰国したのは2回のみだったとして、実母はこう明かすのだ。

「義母にパスポートを取り上げられ、娘は自由に帰省できなかったようです。さらには孫を囲い込まれて、娘が誰と会って何を話したかを告げ口させていたと聞きました。常に義母から見張られているような気分になっていたのでは」

 そんな孫を通じて、義母はタイに電話をしてくることもあったと話す。

「長男の方は少しタイ語が喋れたので、“母さんが仕事でミスをしたから、日本のお婆ちゃんに謝って欲しい”って。その場で義母に代わり、私に日本語で“ゴメンナサイ”と謝るよう言われた。娘にどういうことなのって聞いても、“いいから、謝って”としか言わない。こんな電話は以前も稀にありましたが、ここ1年程で増えて、事件が起きた3月だけで4回ありました」

 そして犯行前夜、ルディーポン容疑者は実母にこんな電話をしてきたそうだ。

「深刻な声で、“夫に離婚を迫られた”と言うんです。彼は“おふくろに離婚しろと何度も言われる。オレはそのストレスに耐えられない”と娘に迫り、お義母さまも“とっととタイに帰って”と……。これに娘は“子供たちと離れたくない”と悩んでいた。14年間休まず働き、家事もこなして我慢を続けたのに、遠い日本で味方もおらず、絶望を感じていたんだと思います」

 如何なる理由があろうと、2人の子供を手にかけた罪は決して赦されるものではないが、なぜ彼女は義母との対立を深めていったのか。

「子供を殺したのに、未だタイの家族からは謝罪のひとつもない。おまけに私たちを悪者扱いするなんて、おかしいですよ」

 そう憤るのは、孫を失った件(くだん)の義母(63)だ。

「確かにウチは家族経営で、年中仕事ですが、休みは月1、2回ありましたよ。私の息子とルディ(容疑者)は、4年前から別居中でうまくはいってなかったけど、夫婦間の問題だから私が口を出したことはありません。そもそも彼女は日本語の読み書きも満足にできないのに、店ではマダム面で出しゃばるから、お客様に迷惑をかけることが度々ありました。そういう理由で、タイの実家に謝罪して貰ったんです」

 加えて、こんな話も打ち明ける。

「事実はひとつで、殺された孫たちは、私のことを“お母さん”と呼んでいた。なぜなら、ルディは孫を叩きベランダに放置するなど虐待していたのです。どんな酷い仕打ちを受けたかは、長男の方が手紙に書き残していたので、事件後に警察へ提出しています」

 殺害の動機については、

「事件の2日前、彼女はタイの家族に相談して、長女だけでも連れ帰ろうとした。それを長女に持ち掛けたら“日本に残りたい”と言われ、カッとなって殺してしまったんだと思います」

 嫁姑双方の主張には隔たりがあるが、斯様な“大人の確執”に巻き込まれて、未来ある2人の命が失われたのだとしたら――。

 取り調べに対し彼女は、

「子供のいない生活は考えられなかった。殺してしまおうと思った」

 と、供述しているという。

週刊新潮 2020年4月9日号掲載

特集「なぜ我が子2人を殺めたか 『タイ人妻』バンコクの実母が告白する『嫁姑地獄変』」より

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