歴史上の毒親はハンパない! 毒母に育てられた応神天皇の小狡い性格とは

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 子供の人生を奪い、ダメにする「毒親」。近年、盛んに使われだした言葉だが、もちろん急に親が「毒化」したわけではない。古代から日本史をたどっていくと、実はあっちもこっちも「毒親」だらけ――『女系図でみる日本争乱史』で、日本の主な争乱がみ~んな身内の争いだったと喝破した大塚ひかり氏による新連載。スケールのでっかい「毒親」と、それに負けない「毒子」も登場。日本史の見方が一変する?!

系図の最小単位、親子関係

 系図作りが好きです。

 一本の縦線や横二重線に、汲めども尽きぬ豊かな世界、時に悲しく、時に残虐な、胸に迫る物語を見いだした時の喜びは何にも替えがたい。

 そうして生まれた『女系図でみる驚きの日本史』『女系図でみる日本争乱史』は、通常の父系の系図ではなく、どの母の“腹”から生まれた子であるかに注目した母系の系図で切ることで、歴史を読み直したものです。

 それにつけても痛感したのは、系図の最小単位である「親子関係」の奥深さなのです。

 親子という、いわば「最も小さな系図」でくり広げられる確執や感情のぶつかり合いが、歴史を動かし、兄弟間の不仲を生んで争乱を呼ぶといっても過言ではありません。

 歴史の有名事件の裏には、親子が敵味方に分かれて争ったり、対立して絶縁したり、殺し合ったりといった例が枚挙にいとまない。ヤマトタケルノ命は父・景行天皇(※1)に見殺し同然に西征・東征に赴かされて死んでしまうし、護良親王は父・後醍醐天皇に利用されるだけされ、見捨てられて足利方に暗殺されます。

「世を治める太上天皇と前関白が、共に兄を憎み、弟をひいきして、こんな世の中の最大事を行った末に起きたのが保元の乱である」

 と慈円が指摘したように(『愚管抄』巻第四)、歴史を変えた大争乱が、権力者の親子間の愛憎から起きているということも多い。もちろん親があっての子、責任の大半は親にあります。親の身勝手で子を差別したり、子を自分の道具としか見ないことで、関係がこじれ、大事を招いてしまうのです。

 折しも現代日本では、子供の人生を奪い、ダメにする「毒親」という概念が世に知られ、「毒親育ち」と称して昔のトラウマを語るネット民が多く見られたり、親の虐待による悲惨な死を遂げた子供のニュースがしきりに報道されています。

 スーザン・フォワードの『毒になる親』の登場以来、「毒親」という観点を得た我々は、日本史上の政界のみならず、宗教界、はたまた文学界の親子に、毒親と言うも生ぬるき「鬼親」、そんな鬼親に育てられ歪んでしまった「毒子」があふれ返っていることに戦慄すると同時に、ある種の納得を感じるに違いありません。

 そして知るでしょう。

 この世の喜怒哀楽、世にある事件は、系図の最小単位である一本の縦線から始まるのだ、と。

 系図上では、夫婦を表す横二重線以上に、はかなく頼りない親子の縦一本線――。そこに込められる愛憎が、日本史上に与えたはかりしれない影響の、一端なりとも感じ取っていただければ幸いです。

はじめに子棄てと子殺しがあった

 日本史を「毒親」という観点から見ると、子を虐待して殺傷するようなハード毒親から、子を差別し自尊心を奪い辱めるソフト毒親まで、実に毒親だらけであることに驚きます。

 とりわけ『古事記』『日本書紀』『風土記』あたりに出てくる親は現代の基準からするとすべてがハード寄りの毒親。

 まずイザナキ・イザナミという日本を作った夫婦神はあらゆる児童虐待を行っている。

 最初に生まれたのは、ぐにゃぐにゃの水蛭子<ひるこ>だというので葦船に入れて流し棄ててしまうし、イザナミの女性器を焼いて出てきた火の神はイザナミの死因となったというんで、父・イザナキが斬り殺してしまう。さらにイザナキの禊で生まれた三貴子(同じ子でも差別があるのにも注目です)のひとりであるスサノヲは、亡き母・イザナミを慕って泣いてばかりいるので、激怒した父・イザナキは、

「この国に住んではならぬ」(“此の国に住むべくあらず”)

 と言って追放してしまいます。

 子棄て、子殺し、気に障る子には「出てけ!」の暴言――毒親と言うにはあまりに毒々しすぎる犯罪的な三点セットを日本の国土を生んだ神々はしでかしている。

 もちろんこれらは神話です。

 けれど、当時の人が犯罪者のそれとしてではなく、「神や貴人の所業としてあり得ること」として受け入れられる、許容できるからこそ、語られたのです。

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