国立競技場に一番近いラーメン屋 「ホープ軒」社長が語る東京オリンピック延期問題

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“移動飲食業”

 ホープ軒の創業は1960(昭和35)年。前回の東京オリンピックの4年前だ。

「当時、友人が赤羽でラーメンの屋台をやっていてね、私も赤羽でラーメン屋台を始めたのです。そんな時、吉祥寺の『ホープ軒本舗』が屋台募集していたので、ホープ軒の屋台をやってみることにしました」

 最初は高田馬場で早大生など学生相手に営業した。1杯40円で、当時の銭湯と同じ値段だった。

「学生相手では儲からないので、銀座に移ったのですが、そこは縄張りがあり断念。新橋でチャルメラを吹いていました。夜中に屋台を引きながら歩いていると、NHKがあったので、その前で営業することにしました。当時NHKは内幸町に本社を構えていたんですよ。NHKは24時間稼働しているし、近くには中日新聞、ジャパンタイムズ、共同通信もあった。酔っ払いを相手にするより、深夜まで働いている人をターゲットにした方が儲かりましたね」

 屋台のラーメンは、1日に50食売り上げると一人前と言われている。

「当時、屋台はレンタンを使っていて、1日100食作るのが限界でした。火が消えてしまいますからね。そこで考えたのがプロパンガスです。小型のタンクを屋台に設置しました。火力は強いし、いくらでも作れた」

 オリンピックのあった64年からプロパンガスを導入、売上はみるみる増えた。麺などの食材をトラックで運び、1日に500食売ったこともあったという。もっとも、

「オリンピック期間中は売上を期待したのに、家でテレビを観る人が多かったので、繁華街はガラガラでした。私の屋台も暇だった」

 ホープ軒独特の、背脂たっぷりのこってりスープができたのは、1962(昭和37)年である。

「当時は、透き通ったスープが一般的でした。中華のスープはラーメンだけでなく、麻婆豆腐とか炒め物に使いますから、透き通っていなければならなかった。そのためスープは沸騰させないように、コトコトと小さな火で煮込んだのです。でも、考えてみれば、ラーメン屋は、ラーメンしか作らないから、スープが濁っていてもいいじゃないかと思って、沸騰させて混濁したスープにしたんです。そうするとコクが出るのです。私は脂っこいのが好きなので、バターを入れたり、色々試しましたが、ラードにする豚の背脂を使ってみたら、これが旨かった」

 当時、濁ったスープは、九州の豚骨ラーメンしかなかったという。

 現在の場所で営業を始めたのは1975(昭和50)年。

「74年に、丸の内の三菱重工や三井物産など、企業の連続爆弾事件があって、内幸町で夜間に営業するのが難しくなりました。それに、結婚を考えていて、婚姻届を出す時、屋台だと職業欄に“移動飲食業”って書かなければいけない。それを家内が嫌がってね。だったら、店を出すかということになったのです。外苑西通りは、64年の東京オリンピックの時に青山通りまで開通。店のあるこの外苑西通りの一区間は、デザイナーのコシノジュンコさんが“キラー通り”と名付けました。何故かと言うと、人通りが少なくて、店を出しても絶対に流行らないからです。店を殺すからキラー通りですよ。屋台の時、常連さんは300~400人ほどいましたから、店を出してその半分も入ればいいかなと思っていました」

 牛久保社長が屋台を辞めた時、屋台を手伝っていた人が独立して新しく屋台を始めた。ホープ軒と同じく、後に背脂入りのラーメンで人気店になった「香月」と「弁慶」だ。

「ホープ軒を開店した当初は、1日に200食ほどでしたが、大学野球で早慶戦があると、学生が前日から泊まり込みで並ぶので、一気に客が増えました。神宮球場でプロ野球があると、試合後どっと100人ほどお客さんが押し寄せます。1日に1500食作ったこともありますよ」

 24時間営業のホープ軒は、タクシー運転手が手早く食べられるように、1階は立食となっている。現在、ラーメンは800円である。

「首都高速の通行料金と同じですよ」

 漫画家の横山氏にロゴマークを描いてもらったのは?

「横山先生は、うちの創業の頃からの常連なんです。吉野家のロゴマークが牛だったから、うちは豚で行こうと決めたのです」

 81歳になっても厨房に立つという牛久保社長。

「実は、昨年の12月19日、店に立っていたら具合が悪くなって、救急車でJR病院へ運ばれました。動脈瘤でした。すぐに手術しないと危ないと言われて、カテーテル手術をしました。入院した時、店を手伝っている息子に後を継がせようかな、という考えが頭をよぎりました。でも、年末に退院したら、何もやることがなくてね、結局、その日に店に出ました。そのままずっと正月も店に立っています。店の仕事はチームワークが必要。邪魔になるようになったら、息子に後を任せますよ」

週刊新潮WEB取材班

2020年4月2日掲載

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